第33話・大参謀返上

 遣唐使を送り出したら、気を取り直して、三月、ホワイトデーの準備をする。

「何を贈ればいいのかのぉ」

「そうですね、陛下と私と品物が被らないようにしましょうか」

 僕は菓子か、干し柿にしようと思っていた。だって、木の実一、二粒のお返しだよ? 

「全員に帯をあげようか」

「いえいえいえ、陛下、あまり豪華な物を返しますと、来年からお返し目当てが殺到します。お気持ち程度でよろしいのです」

「なんだ、どうせ我はいずれ位を去るのだから、なんだったら宮の物を全部配ってしまってもよいのだ」

「陛下! 」

 結局、軽皇子は、男性には「墨」を女性には「髪挿し(かみざし)」を作らせ、皆に配った。僕が偉いと思ったのは、髪挿しは全て違う色形だということだ。若い頃は引きこもりだったくせに、どこでこんなことを学んだんだろう。

「小足媛がな、髪挿しが欲しいと言ったのじゃ」

 なるほど。

「でも、他の人と同じものは嫌、と言うから」

 もしかして、僕が一番女性の気持ちをわかっていない? 

「そちにはこれじゃ」

「いえ、陛下、私は二月に陛下からいただいております」

「よいではないか。遠慮は無しじゃ」

 軽皇子は僕に勾玉の首飾りをくれた。

「そちが守られるように、我の本命返しじゃ」

 軽皇子の気持ちだ。ありがたく頂戴しておこう。じゃあ、年末にはクリスマスのイベントを企画して、僕も記念になるようなプレゼントを贈るとしよう。

 さあ、次は何のイベントをやろうか。葛城皇子が悔しがるくらい、楽しくしよう。


 ホワイトデーも終わりしばらくすると、軽皇子は僕と旻法師を呼んで言った。

「いっそ、皇太子に位を譲って出家しようか。山奥深い地で静かに過ごそうと思う」

「陛下……、それは……」

 返答に困る僕を見て、旻法師が言った。

「拙僧もご一緒いたしましょうか。お話し相手が必要でしょう」

「では、私も」

「そちはよい。そちはまだ若い。この国のためにやることがたくさんある。隠居してはならぬ。これは命令じゃぞ」

「しかし」

「そちには有間皇子を頼む。この先、有間皇子の後見として皇子を盛り立てておくれ」

「陛下……」

「はて、隠棲先は何処にしようかの。あまり不便な山奥ではそちも遊びに来られないじゃろ」

「温泉の近くなどいかがでしょう」

「おお、温泉の近くか。それはいい」

「春は花咲き、秋は紅葉の美しい場所に宮を作りましょう」

「また二月十四日に義理物を持って遊びに来るがよい」

「そうだ、季節ごとに何か催しをいたしましょうか」

 わざと明るく振る舞う二人に、僕はつらくなった。


 僕は月例会議で飛鳥に行った時、軽皇子に譲位の意向があることを葛城皇子に報告した。隠していたところで、どうせ宮の采女か舎人の中にも僕以外にスパイがいるだろう。今はちゃんと報告して、僕を信頼させておかねばならない。次に僕が何らかの行動を起こす時のために。

「我に譲位すると」

 葛城皇子は嫌そうな顔をした。

「今、我に譲位されても困るな。もうしばらく皇太子としてやりたいのだ。何か考えはないか、鎌足」

「私にそれを考えさせますか」

 軽皇子が譲位したところで葛城皇子は満足しないのなら、僕に何ができる。

「でしたら、もっと天皇をお立てください。皇子は天皇につらくあたりすぎです。実の叔父君ではありませんか。母君も悲しまれましょう」

「母上は我の好きにするが良い、と言っておるぞ」

 宝皇女は昔から息子に甘い。

「では、どうしたら、皇子は満足なのですか。私に何かできることがあれば」

「はっきり言おう。我は叔父上が気に食わぬ。改革への不満の声が大きくなって滅ぼされるかと思っていたが、改革は成功した。当然だ。そなたの計画なのだからな。叔父上は全てを手に入れたが、それはそなたの力によるものだ。叔父上ではない。だから叔父上から力を奪ったのだ。勘違いした報いを受けてもらわねば、我の気が済まないのだ」

「そのようなことをお考えになるとは、皇子」

「どうしようもないのだ。今さら安穏と隠居などさせてたまるか。それともそなた、我が叔父上を殺せと言ったら、やるか? 」

「まさか」

「安心しろ。我が叔父上を殺すわけがなかろう。そなたはそのまま見ていればよい」

「天皇と私が協力して皇太子を亡き者にしようとするとは、考えないのですか」

「そなたが我を殺す? 」

 しまった、口が滑った。

「なるほど、そなたに殺されるのも面白いな。但し痛いのは嫌だ。そうだな、毒がいい。そなたの手で毒を飲ませてくれ」

「何をお戯れを。私はもう人を殺したくありません」

「なんだ、つまらぬ」

「まあ、そなたは、天皇が譲位したいというのをできるだけ引き止めよ。よいな」 



 時をおかずして、安曇寺から遣いがきた。旻法師が病気になったという。

「法師がいなくなったら、我は生きてゆけぬ」

 軽皇子は、僕を連れて安曇寺へ向かった。

 まさか、葛城皇子が毒でも盛っただろうのか。今の僕は疑心暗鬼だ。

 旻法師は起き上がることも、話をすることもできなかった。

「そちがいなくなったら、我も明日、後を追っていこう。我のために、どうか生きておくれ」

 軽皇子は、病床の旻法師の痩せた手を取って、涙を流した。

 まもなく旻法師は他界した。



 残る軽皇子の味方は、僕ひとりとなった。葛城皇子は僕を殺すだろうか。それとも僕が葛城皇子を殺すか。

 葛城皇子を殺せば全て解決する。恐怖政治に屈している豪族もきっと皇子の死を望んでいる。僕が葛城皇子を殺そうと思えばおそらく簡単に殺せるだろう。彼は僕と会う時に何の警戒もしていない。しかし当然ながら直後に僕は警護の近衛兵に殺されるか、捕らえられ律令に則って処刑される。

 僕の命と引き換えに、軽皇子や皆を救う価値はあるか?


 僕はまだ死にたくはない。やるとしたら自分が生き残る策をとる。だが乙巳の変の時とは全く状況が違う。頼りになる味方が圧倒的に少ない。

 かつてのスナック鎌足の客たち、石川麻呂、馬飼叔父は死んだ。子麻呂は葛城皇子の下で任務についているし、勝麻呂、網田はそれぞれ地方勤務で京にいない。共に蘇我入鹿を滅ぼした巨勢臣は元々葛城皇子側の人間だ。こちら側の味方、阿倍臣、請安先生も故人となり、信用できる高向玄理も日本を離れた。そして最後の相談相手、旻法師が今、死んだ。

 仲間を増やしたいが、葛城皇子の恐怖政治に、皆、口を閉ざし、葛城皇子に逆らおうとする人間は誰もいない。状況はかなり悪い。このような状況で、どうしたら軽皇子を救えるというのだ。転生者のチートはないのか。女神様は助けてくれないのか。

 僕は大参謀だろう。考えろ、このピンチを切り抜ける作戦を。大参謀・中臣鎌足、考えろ。


 僕は途方に暮れる。



 旻法師がいなくなってからの軽皇子は、目に見えて衰えていった。

「もしかしたら葛城皇子の密偵が軽皇子の食事に毒を盛っているのかもしれない」

 あまりの急激な衰えに、そう疑わざるを得なかった。

「我はもう長くない」

 軽皇子は療養している部屋に僕を呼んで言った。

「そなたが皇太子の側につくも、我は構わぬ。ただ、ひとつだけ我の願いを聞いて欲しい。我の息子を、有間皇子をよろしく頼む」

 軽皇子は血の気のない手で最後の力を振り絞って僕の手を握った。その姿があまりにも哀れに見えた。

「ええ、ええ、有間皇子が位に就く日まで、大切にお守りいたします」

 僕は強く手を握り返した。有間皇子を天皇にしたいと思う気持ちに嘘はない。

 軽皇子は無言で涙を流して何度も頷いた。

「私は、後悔しているのです。陛下が私と出会わなければ、陛下が天皇になることを私がお薦めしなければよかった。陛下を不幸にさせてしまったのは、全て私のせいなのです。どんなにお詫びしてもしきれません、いっそ、陛下と一緒に」

「我は、そちと出会ってよかったと思っているぞ」

「そちと出会わなければ、何の楽しみもない人生だった。そちと一緒にさまざまなことを経験して楽しかった。それは本当じゃ。このような美しい宮殿に住むこともなかった」

「陛下」

「我は楽しかった。そちの別荘で悪巧みをしている時。碁を打っている時」

「またゆっくり碁を打ちましょう」

「美しい姫たちと交わり、子もできた」

「御子のために長く生きてください」

「そちの長男、定恵のことだがな」

「はい」

「実は我の子じゃ」

 軽皇子はペロッと舌を出した。

「わかっておりましたよ、そのようなこと」

 僕も思わず笑った。

「そうか、わかっておったか」

 軽皇子は安心したように微笑んで、目を閉じた。

「いつか定恵がこの国に帰ってくる時は、平和な世であってほしいものじゃ……」


 僕はその日、大参謀の名を返上した。

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