第32話・孤独の天皇

 そうして葛城皇子は、難波に軽皇子を残して飛鳥へ引っ越して行った。

 葛城皇子だけではない。皇祖母尊宝皇女の名で根回ししたのだろうか、宝皇女はじめ皇后間人皇女や大臣公卿、官人、役人なども皆、揃って皇太子に従った。天皇と有間皇子、天皇の宮に仕える人間だけが難波に残った。


「まさか、皇后まで飛鳥に行ってしまわれるとは」

 僕と同じく難波に残った旻法師は、軽皇子の妻である皇后も飛鳥に行ってしまったことを驚いていた。旻法師は難波の安曇寺の僧房にいるので、そのまま変わらない。

「ええ、驚きました」

 まさか葛城皇子と間人皇女の関係がまだ続いているとは思っていなかった。

「内臣は皇太子について行かなくて大丈夫なのですか。皇太子に恨まれることは」

「私が天皇の元を離れたら、お二人を取り持つ人間がいなくなりましょうから」

 葛城皇子から内偵者としての密儀を受けている僕は、心が痛かった。

「正直、板挟みの立場でつらいのですがね」

 これは本音だ。

「天皇と皇太子は、このまま仲違いしたままなのでしょうか」

「今までの皇太子を見ていると、一度、仲違いした人間と仲直りするとは思えません。しかしながら、天皇と皇太子なのですから、このままではよくないと」

「私たちに何ができるでしょうか」

「ええ、考えてみます」

「そうですね。何とかうまくいくよう」

 葛城皇子はどうしたいのだろう。軽皇子を殺すつもりはないと言っていたから、軽皇子を傀儡にして実権を握りたいらしい。でもそうやって天皇の権威を貶めたら、将来自分が天皇になった時に困るのに。

 何か作戦を立てるにはもっと情報が欲しい。情報が値千金なのは、この時代でも同じだ。今度、飛鳥に行ったら、敵でも味方でもない中立の立場の高向玄理に状況を聞こう。石川麻呂の事件の後、皆が葛城皇子を恐れて口をつぐんでしまうようになり、状況を探るのが難しくなっているのだ。


 それからは、政治は飛鳥で行い、難波の天皇には事後報告という、軽皇子にとって屈辱的な状態になった。勅命は皇太子の名で出し、葛城皇子は軽皇子を名ばかりの天皇にして実権を握った。

 月に一度、会議のために僕は飛鳥に呼ばれた。その時に葛城皇子への報告をする。

「まだ我を殺せと言われないか」

 葛城皇子は笑いながら言った。

「また、そのようなことを」

「有間皇子はどうしてる」

 やはり有間皇子のことは気になるか。同世代の息子の強力なライバルとなるのだからな。有間皇子は、将来のために毎日、旻法師から学問や儒教を学び、弓矢や剣の稽古も頑張っている。

「勉学に励んでおられ、健やかにお過ごしです」

 時々僕が教えているとは言わないほうがいいだろう。

「そなたはどう思う」

「何がです」

「新羅と仲良くやっていけると思うか? 新羅が攻めて来ぬと思うか? 」

「わかりませんが、わざわざ海を渡ってまで攻めて来ないと思います」

「豊璋王子は、新羅を信じるなと言っていた」

 百済王子の豊璋か。やはり葛城皇子を洗脳しようとしてるのか。請安先生も警戒していた。

「それは百済から見たら新羅は侵略国、豊璋王子がそう言われるのは当然のことです。ですが」

「ですが、この国にはこの国の立ち位置がございます。百済と新羅、どちらか一方に寄りすぎてはならないとお考えください」

「うむ。そなたがそう言うのなら考えておこう」

 素直すぎて逆に気味が悪い。こういう時は絶対何か企んでいる。

 ところで、年末が近くなり、悩みの種は年末年始の行事だ。

「新年祝賀の行事はどうします」

「普通で良いのではないか」

「普通とおっしゃいますと」

「元旦に、叔父上は難波で挨拶を受ければよい。その他の儀式、祝宴は飛鳥で行なう」

「そんな……あんまりではありませんか」

 元旦に、誰も挨拶に来ない天皇の宮で待ちぼうけを食う軽皇子の姿など、僕は見たくない。

「ならば、叔父上が飛鳥に来られるか? 」

 皇太子が天皇に来させる。それほどに天皇の権威を貶めたいのか。

「飛鳥に来たところで、またどちらかへ京を移すおつもりでしょう? 」

「ふふ、ところでそなた、上宮太子の時代を知っているか」

「幼少の頃でしたのであまり覚えておりません」

 というか、全く知らないが。

「我が生まれた時には既に上宮太子は身罷られていた。周りの大人たちが、上宮太子の時代はよかった、争いもなく世は穏やかだった、上宮太子は素晴らしい君主だった、と言うのを聞いて育った。我は、ずっと上宮太子に憧れていた」

「ええ」

「天皇は、上宮太子を信頼し政を任せていた。だから我も上宮太子のようになりたい。天皇にはゆっくりしていただきたい、代わりに我が政を摂る、それでいいと思っているのだ」

 それは詭弁というものだ。

「そのようなことをせずに、天皇に譲位をお願いすればいいものを」

「我は皇太子でいたいのだ」

 結局「天皇は病気なので、新年祝賀行事は代わりに皇太子が飛鳥の宮で行なう」と発表することになった。


 その日の月例会議に高向玄理がいなかったので、僕は屋敷を訪ねてみた。

「宮殿に出かけておられます」

 小間使いの男が答えた。

「え? 宮殿でお会いしなかったが」

「宮殿の書庫のほうだと思います。なんでも、たくさんの書物を訳して清書しなければならないとかで、ずっと宮殿にお泊まりになられています」

 どういうことなのだろう。

「もう一度、宮殿に行くか」


 僕は、宮殿のその辺を歩いている官吏を呼び止めた。

「すまぬ、国博士の高向臣はどちらにおられる? 」

 官吏が変な顔をした。

「さあ? 最近お見かけしておりませんが」

 なんだ? どうなってる? 

「どうなさった、内臣」

 背後から巨勢臣の声がした。

「ああ、左大臣。いえ、ちょっと国博士の高向臣に会いたいと思ったのですが」

「ああ、それなら今、伊勢のほうへ出かけられていますよ。何やら調べ物とかで。お帰りはいつになるか、明日帰るかひと月先かはわかりませんが、お急ぎでなければ言伝を預かりましょうか」

「いえ、それほど大した用ではないのです。また次の機会にします」

 なんだろう、この違和感。まさか、前の会議で新羅討伐を高向玄理が反対したから、閑職に追いやられたとかではないだろうな? いや、ありえないことではない。

 群卿の中で誰を味方にできるか、人々の動向を玄理に聞きたかったのだが、次の会議の時にでもまた試みるが。



 年が明け元旦、僕は例年通り軽皇子と有間皇子に賀正の挨拶をした。難波の宮に挨拶に来る人間は少ない。難波に住む皇族と小豪族程度だ。「白雉の儀」から思うと、考えられない。表向きは「天皇は病気のため」なので「元日節会」は行わず、粽や干し肉、菓子などをお土産にもらって帰る。

 午後には僕は飛鳥に行き、二日の朝、皇太子と皇祖母尊に形式的に賀正の挨拶をした。

 飛鳥での正月行事も縮小して行われた。本来天皇に捧げるための「節会の舞」も「賭弓」も行わない。舒明天皇の時代も、天皇が湯治に行っていて簡略に行なった年もあったので、それに倣った感じだ。


 難波では天皇の宮を訪れる人は少なく、軽皇子は舎人相手に碁を打って過ごしていた。

「申し訳ございません。私が皇太子を説得できず、このようなことになってしまい」

 頭を下げる僕に、軽皇子はひょうひょうと言った。

「よいよい。皇太子は一度こうと言ったら聞かぬ。そちのせいではない」

「正月に陛下にこのような寂しい思いをさせるなど」

「そちと出会う前はもっと寂しい正月じゃったぞ。元に戻っただけのこと。そちがここにいてくれるだけで十分じゃ」

「陛下」


 そうは言っても、こんなふうに毎日クサクサしてては楽しくない。そうだ、何か楽しいイベント、企画しよう。

「陛下、提案があるのですが」

「皆の気持ちも塞ぎ気味になっております。そこで、気持ちが明るくなるような催しをしたいのですが」

「ほぉ、なんだ」

「大陸の西の遠い国では、二月十四日に贈り物をして気持ちを伝える習慣があるそうです」

 この際だから二十一世紀のイベント、やっちゃおう。この時代に欧米でバレンタインデーが既にあるのかわからないけど、どうせ誰も知るものか。

「想いを伝えられない意中の人や、あるいは日頃なかなか伝えられない感謝の気持ちを花や菓子、文を贈って気持ちを伝えるのです」

「いつもやっておるぞ」

「いいえ、この催しの面白いところは、意中の人とそれ以外の人と、はっきり分かれるところです。例えば、ある采女がいるとして、采女はある舎人を好いているのですが、声をかけられません。それで二月十四日に贈り物をすると、それが好意を伝えるという意味になるのです」

「ふむ」

「もうひとつ、その采女がいつも世話になっている役人や例えば僕にも贈り物をします。それが感謝の気持ち、というものです。意中の人に送るのが『本命物』と言い、世話になっている人に贈るのが『義理物』と言って、もらった男はそれが『本命物』なのか『義理物』なのか、迷うのです」

「ふうむ、なるほど」

「区別がつくように『本命物』はそれとわかる品物にして『義理物』は木の実ひとつを多勢に渡す、というような感じなのですが、それでも勘違いする男がいるわけです。勘違いした男は恥をかくことになるので、皆、どっちだろうと悩むことになるのです」

「で、もらったらどうするのじゃ? もし、自分があげていない相手からもらった時は」

「ひと月後の三月十四日に返礼の品を贈ります。もちろん『本命物』をもらった場合は、その夜に誘っても構いません」

「なるほど。『義理物』をもらった男が勘違いしてうっかり誘ったりすると、肘鉄を食らうわけじゃな、ふぉふぉふぉ」

 いいかげんにアレンジしちゃったけど、どうせみんな知らないんだから、まあいいよね。

「難波の民にも広めたいですが、今年はとりあえず宮中で試してみましょうか」

「その『本命物』は男から贈ってもいいのかな」

「ええ、もちろん。男性から女性でも、女性同士、男性同士でも親子夫婦、何でもありです。たくさんもらえると思っている人間は、その日は大きな袋や風呂敷を持って登庁するのですよ」

「ふうむ、なんだか面白そうじゃのぉ」


 バレンタインデーの朝が来た。

 僕は朝一番に軽皇子に一応『義理物』を持って行った。

「今日は皆の仕事を早く切り上げるようにした」

 軽皇子がニコニコして言う。

 おいおい、そんなに気合い入れることか。

「鎌子には後で渡すものがあるから、帰りに寄るがよい」

 僕は軽皇子と有間皇子だけに『義理物』を用意した。『義理物』と言っても天皇に渡すものだから、それなりに珍しい唐菓子の詰め合わせっぽいものだ。他の人間には何も渡さない。ホワイトデーの楽しみをみんなに味わってもらうためだ。

 軽皇子の宮を退出すると早速来た。

「内臣、いつもご苦労様です」

 軽皇子の采女たちに取り囲まれた。

「おや、皆さん、これはこれは」

 思いっきり『義理物』ばかりだ。確かに、例として木の実ひとつって言ったけどさあ、本当にみんな申し合わせたように干し栗一、二粒包んだ紙捻りばかりなんだけどお? 

 と思っていると、紙捻りの上に、ポンと大きめな包みが乗せられた。

 昨年入ったばかりの若い采女だ。

「おお、ありがとうございます」

 いや、ちょっと困惑。やばくない? これ。しかも何か熱い視線送ってるし。

 二十一世紀の学生時代、自慢じゃないが僕はそこそこモテた。子供の頃からチョコは複数個もらっていた。でも僕は「初恋の人が忘れられない」設定で、その中の誰かと交際するようなことはしなかった。つまり、こういった場合の女性の扱いに慣れていない。


 仕事を終え、木の実の入った風呂敷包みを抱えて軽皇子の宮に行くと、部屋にはたくさんの『義理物』が積まれていた。但し、僕がもらった『義理物』よりワンランク上だ。柑橘類の実とか、梅の枝に文が結んであるのとか、ちょっとおしゃれ。

「どうじゃ、鎌子もたくさんもらったか」

「ええまあ『義理物』ばかりですが」

 ふと、僕がさっきもらった大きめの包みと同じものがある。

「あちらは『本命物』ですか? 」

「ああ、新しく入ったばかりの采女じゃ。どうせ、何か企みがあるのじゃろ。こういうのを本気にしてはいけない、ということじゃな、鎌子。わかったぞ」

 え? 本気じゃないんだ……? 

「若い采女は大胆じゃのぉ。後でいじめられないといいが」

「は、はあ、そうですね、ははは」

 みんなに「本命です」って言って渡す女子かよ。チッ。

「これは鎌子、そなたにじゃ」

 お肉、どーん。

「我の気持ちを品物で表すには、どんなものでも足りないくらいじゃが、そちの好きな猪肉じゃ。『本命物』じゃぞ」

 色気が全然ない『本命物』だけど。

「陛下のお心、ありがたくいただきます。もしかして夜のお誘いですか」

「ふぁふぁふぁ、我がもう少し若かったらアレだけどな。まあ一緒に食べようぞ」

 アレって何だよ。ま、結構みんな楽しんでくれたみたいだから、次はハロウィンの仮装パーティーとかクリスマスとかもやっちゃおうかなっ♪



 バレンタインデーが終わった数日後、軽皇子が僕を呼んで言った。

「皇太子が唐に遣いを送りたいと言ってきた」

「唐に遣いをですか。昨年にも送ったばかりではありませんか」

「もう遣唐使も出立の日も全て決まっておるそうじゃ。書に我の名を書くだけじゃ」

「なんと乱暴な」

「もう構わぬ」

 僕は、軽皇子が差し出した手紙を読んだ。

「押使(すべつかい)は高向玄理様ですって? 」

「うむ、そう書いてある」

 結局あれから僕は高向玄理に会えず、情報も聞けなかった。

 遣唐使のメンバーは出航前に難波の天皇の宮に挨拶に来るという。遣唐使の船は難波の港から出航するから「ついでに寄る」っぽくて嫌な感じだ。

 玄理の正確な年齢は知らないが、六十歳を超えているのではないだろうか。長旅はつらいだろう。特殊な事情があるに違いない。僕は高向玄理に会いたいと願った。僕の屋敷にも顔を出すよう、連絡した。


 唐への出航前に僕の屋敷を訪れた高向玄理は、やけにサバサバした顔をしていた。

「なぜ、国博士の貴方様が行かねばならないのでしょう」

 今回の遣唐使のことも、玄理を任命することも、僕は葛城皇子から何も相談を受けていなかった。

「私が、新羅と仲良くすることを進言したのが、皇太子の気に入らなかったのでしょう。政権から私を遠ざけたいのです。表向きは、唐と新羅や半島の三国の様子を探りつつ、和平への道筋を作れとのことですが」

「難しい任務ですね」

「状況を見て、唐に、新羅が百済を攻めるのを止めさせるようにと言われています」

「唐は新羅を止めるでしょうか」

「行ってみないとわかりませんが、不可能に近いでしょう。おそらく皇太子は百済に対して『我が国は唐をも動かす』というところを見せたいのでしょうが」

「唐と新羅が近しいというのは本当ですか」

「ええ、唐は服従の意を示さない高句麗を一番に警戒しています。高句麗を落とすためには新羅の力を借りたいところです。しかし高句麗は、百済と協力して新羅を攻め、思うようにさせない。つまり百済は、唐の高句麗侵略を遠からずじゃましていることになる。唐に百済救援を頼むなど以ての外なのです」

「もし新羅がこのまま百済を滅ぼすようなことがあったら、我が国にも攻め込んでくるでしょうか」

「私は無いと思っています。新羅に海を渡って攻めてくるほどの力はないはずです。後ろに高句麗もいますし」

「そうですか……」

「新羅と争ってはなりません。百済の、いえ、大陸の争い事に口を出すのは我が国にとって良いことではありません。日和見的な天皇の態度は正しいと思います。半島の争いに我が国が首を突っ込む必要はないのです。内臣、あの方をお止めくださるよう」

 玄理は僕が葛城皇子と通じていると思っているのか。

「そのような力は、私にはありませぬ」

 僕は諦め顔で首を横に振った。

「どうぞ、ご無事で」

「内臣もお元気で」

 玄理が立ちあがろうとしたその時、僕は思い切って言った。

「あの」

「高向様にこのようなことをお願いするのはおかしいかもしれませんが……」

 僕は床に手をついた。

「私の長男、定恵が唐に渡っております。もし会うようなことがあれば、何卒、お力添えを」

「定恵様。わずか十歳で学問僧として唐へ渡ったという……」

 玄理はハッとした顔をした。おそらく何かを察したのだろう。

「わかりました」

「父はいつもそなたを案じていると、どうかお伝えください」

「……私はこれまで、内臣のことを順風満帆に出世している方だと思っていました。貴方様にも人知れずご苦労が」

 僕は深々と頭を下げた。


「そうか、玄理も、行ってしまったか」

 軽皇子は寂しそうに呟いた。

 高向玄理は、いつも中立の立場で国のことを考えていた。僕はそんな彼を仕事の上で信頼していたし、軽皇子も頼りにしていたと思う。

 葛城皇子はそうやって、軽皇子の周りから力強い味方をどんどん無くしていく。そうだ、葛城皇子は楽しんでいるのだ。軽皇子の片腕、また片腕を切り落として苦しめるのを。軽皇子の頼りになる岳父を、信頼している側近を、次々と軽皇子から奪い取る。皇后も奪い取り、いずれ旻法師か、僕か。葛城皇子は僕を殺すことができるのか。

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