第31話・対立
その秋、僕は軽皇子に呼ばれて部屋へ行くと、軽皇子と葛城皇子が向き合って座っていた。僕は、葛城皇子の下に座った。
「では、言いましょう。飛鳥に遷都しましょう」
葛城皇子が不躾に言った。
「な、何を言い出すのじゃ。ようやく宮が完成し、京らしくなったというのに」
僕も寝耳に水だ。
「以前から、皆の声は、やはり京は飛鳥だと言われていました。家族を飛鳥に残している者も多うございます。私は飛鳥に京を戻すべきだと思います」
軽皇子も僕も、呆気に取られた。
「元々この地は京にはふさわしくない。危険なのです。宮に、外敵が攻めてきたら、たとえば新羅の船がやってきたら、天皇は隠れる間も無く、宮は攻撃されてしまいます。遣唐使を送り出した時にそう感じました」
「外敵が攻めてくるような事態になると思えないが。のう、鎌子」
軽皇子が僕に振る。
「絶対にないとは言い切れませんが、今は新羅も唐とも友好関係を築いています」
「今は、だな、鎌足」
半分振り返った葛城皇子は横顔のまま言う。
「うっ……」
「最初から我は反対だったのです。群卿もそうです。しばらくここで暮らしてみてはっきりわかりました。昨年の大雨の際も大変でしたし、難波は京にはふさわしくない。もうよろしいじゃありませんか。私は飛鳥に京を戻すべきだと思います」
「いや、そのようなことはない。再び京を移したりしたら混乱するであろう」
「そうですか。では、私は飛鳥に引っ越しいたします」
「待て、そのようなことはならぬ」
「皇太子、よくお考えください。民が混乱いたします」
「前にも言ったな、鎌足。天皇が政を疎かにしているから我が考えているのだ」
「しかし」
「とにかく我は飛鳥で政を行います。では、これにて」
葛城皇子は立ち上がり、僕の横を、威圧的な目で見下ろしながら部屋を出ていった。
「どういったことになっているのですか、陛下」
二人の仲がこれほど悪化しているとは聞いていない。
「我にもわからぬ。突然言ってきたのじゃ。我は何か、皇太子の気に障ることをしただろうか」
軽皇子はおろおろしている。
「陛下が何もしなくても、皇太子の気まぐれは今に始まったことではありません」
最初から軽皇子の即位に賛成していなかったとは感じていた。宝皇女の言いつけとはいえ間人皇女を皇后に立てたことも、ずっと根に持っていたに違いない。
とはいえ葛城皇子が、幼い時から可愛がってくれた(かどうかわからない)実の叔父に、そう乱暴なことはしないだろうと思っていた。
「我には、最近の皇太子の心がわからぬのだ」
「私も同じです。しかし、陛下は天皇なのですから、どっしり構えてください」
「そうか、そうじゃな」
甘かった。
翌日、葛城皇子は大臣公卿を集め「これより政治は飛鳥にて行なう。皆も早々に飛鳥に戻るが良い」と皆に宣言した。
軍卿は皆、押し黙ったままである。
いやいや、葛城皇子だけが飛鳥に戻るのではないのか?
流石に僕は抗議をした。
「どういう意味なのですか」
「先に天皇と話したではないか。難波で政を行なうのは不都合極まりない。だから、以前のように飛鳥に戻す。天皇が拒むのなら難波にいればよろしいだろう。政は我が飛鳥で行なう。全て任せよと」
年配者なら、上宮太子の時代を思い出すだろう。天皇の宮がある飛鳥と上宮太子が住む斑鳩宮、まるで京が二つあるような時代。天皇は神祇祭祀を行い、政は主に上宮太子が行なった。皇太子の名で命令を出すなど、当たり前のように受け入れる世代がまだまだいる。誰だ、葛城皇子にこんな入れ知恵したヤツは。
「内臣。皇太子のおっしゃること、我らに異論はございません」
左大臣の巨勢臣が僕に言う。
そう言われてしまったら、僕も従うしかない。合議制の結論だ。
「わかりました。では、新嘗祭や各種行事はどういたしましょうか」
腹の中のむしゃくしゃを抑えながら、事務的に言った。
葛城皇子は言った。
「新嘗祭や神祇祭祀は皇祖母尊が飛鳥で行なう。それでよいか」
神祇祭祀を皇祖母尊宝皇女が行なうのなら、それで構わない。ただ、政治も皇太子が摂る、それが違う。
「他は、いずれ考える」
僕が何もできないまま、会議は終わった。僕はこのことをどう軽皇子に伝えよう。
「鎌足」
葛城皇子が声をかけてきた。
「帰る前に我の宮へ寄るがよい」
「これはいったい、どういうことなのです、皇子。何を考えておられるのです」
僕は二人きりになるが否か、言った。
「先日の会議で分かったのだ。叔父上は政に向いていない。だから我が代わりに政を摂ることにした」
「天皇は改革を成功させ、十分うまくやられておられます」
「改革の成功はそなたの力だろう。叔父上は何もしていない」
「そのようなことはございません、天皇は」
「癪に障るのだ。叔父上を見ていると」
「は? 」
「そなたは我について来なくてよいぞ」
「私はもう必要ないのですか」
「そうではない。そなたを信じているから、難波に残すのだ。そなたはここにいろ。命令だ。叔父上の動向を逐一報告せよ。何かよからぬ動きをしたら、すぐにだ」
要はスパイだ。
「もし断ったら私をどうなさるのですか? 」
葛城皇子は驚いた顔をした。
「そなたは我と叔父上とどちらの味方だ? 」
これって「仕事と私、どっちが大事」「恋人と友達、どっちが大事」系の、言っちゃいけない質問じゃないのか?
「皇子の問いは矛盾しております。天皇と皇太子はこの国をよくしたいと、同じ方向を向いているはず。敵同士ではありません。私はお二人両方の味方です」
「うまいように逃げたな。まあよい。どうせ、そなたは我の命令を断らない」
その自信はどこから来る? まあ、断れないのは本当だが。
「そうして、天皇が不穏な動きを見せたら、また殺めるのですか」
皇子は高らかに笑った。
「まさか。叔父上を殺したところで何も楽しくないわ。母上からも言われておる」
「ならよろしいのですが……。私には皇子のお考えが理解できません」
「わからぬか」
ふっと、皇子が寂しそうな顔をした。
「わからぬともよい。我にもわからないのだからな」
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