第14話・葛城皇子ゲット
軽皇子は時として残酷だ。親しい人間にはとことん親切だが、それ以外の人間を何とも思わない節が彼にはある。
「鎌子、山背大兄を滅ぼす策を考えよ」
僕の計画では、歴史通りに蘇我入鹿を殺す予定ではあったが、山背大兄を殺すつもりはなかった。山背大兄が天皇候補から外れるよう仕組む作戦を考えていたのだが、仕方がない。山背大兄を殺す方向で作戦を練り直そう。そうでなければ軽皇子は納得しまい。
さて、僕が考えている作戦には葛城皇子が必要だった。彼をこれから行なう革命の象徴として使いたい。歴史通りなら、葛城皇子と僕はこの作戦を成功させられるはずだ。
僕は、請安先生の塾で葛城皇子が来るのを待った。
僕はすっかり請安先生の信頼を得て、授業の助手の役目を担わされるほどになった。
請安先生は、今までに会ったことのない人種だった。例えば窪田先生や殿様は学問と教養を愛する紳士だった。請安先生は言うなれば理論武装した革命戦士だ。僕のようなヒヨッコは全く太刀打ちできない。
「まあ、貴公の良いところは、自分の知識を過信せず、知らなければ素直に学ぼうとする姿勢だ。それは最も良いことだ」
先生はよく、弟子の塾生たちが議論している最中でも、僕を奥の部屋に呼んで話をしてくれた。
「先日、玄理と一緒に鞍作臣と話したぞ。鞍作臣は大陸情勢について詳しく知りたがっていた」
「鞍作臣は思っていたより冷静に柔軟な頭を持っているようだ。まあ、相手が玄理や俺では、あやつがいくら知識があっても叶うはずはないのだから、おとなしく話を聞くしかなかろうよ」
「ただ、あやつは人心掌握術を軽んじているようだな。天皇にも手を焼いているようだ。天皇は国家というものを全く理解しておられない、地方の豪族と変わらぬ、この国の土地も人民も全て天皇の持ち物だと勘違いし、税制度というものを理解してもらえぬ、と愚痴っておった。全国にある屯倉を国家が管理し、皇族の私有を廃止しようと言ったら嫌な顔をされたとか。あの調子じゃ、なかなか改革まで刻がかかりそうだな」
「人を従わせるには二つのやり方がある。ひとつは力でねじ伏せる方法、二つ目は……貴公ならどうする」
僕は……。
「血を流さず、国を変えるのは不可能なのでしょうか」
「無血革命、か」
先生は静かに言った。
「誰も殺さず革命ができるならそれが理想だ。だが実際にはそのようなことは絵空事、人民は自分の命が危険にさらされなければ生活を変えようとしない」
「そう……ですか」
「革命に犠牲はつきものなのだ」
やはり山背大兄は殺すしかないのか。
僕は着実にクーデターに近付いてる。窪田先生は、僕が飛鳥時代のクーデターに関わってるとは夢にも思うまい。
葛城皇子の母親、宝皇女が即位して二ヶ月ほど経った春の日、その時はやってきた。
僕がいつものように、請安先生が講義を行なっている土間の奥の箱椅子に座っていたところ、葛城皇子が現れた。皇子は入り口すぐの床几に座った。
やがて講義が終わると皇子は外に出て、庭を眺めていた。僕は、他の塾生が話しかけるのを無視して外に出て、皇子に目配せして通り過ぎ、木々の間を縫う帰り道をゆっくり歩いた。皇子が僕を追って来るのを確信してのことだ。坂道を少し下ったところで、僕は脇道へ逸れ、しばらく行って足を止めた。
「この辺でよろしいでしょう」
僕は、道端の大きな石に懐から出した布を広げ、跪いた。
「皇子、こちらへ」
石はちょうど木陰になり、休憩するにはもってこいの場所だ。葛城皇子は僕の示すままに石の上に座った。
「このような場所で失礼なのは重々承知です。ですが、私たちはこれから、皇子の抱いている不満を解消する策を練るのです。誰にも聞かれてはいけませんためお許しください」
そう言って、僕は大石の傍らにある小さな石に座った。
「我が抱いている不満とは何のことだ」
「皇子が大臣に対して抱いている不満です」
皇子の顔に緊張の色が走る。
「我はただ、そなたは叔父上が天皇になると言ったのに、母上が即位したからどう言い訳をするのか聞きたかっただけだ」
葛城皇子は十七歳、素直になれないお年頃だ。
「まあまあ、物事には段取りというものがございます。それを考えずに進めてはいけません。今、軽皇子は天皇への道を一歩進んだのでございます」
「そなたは、懇意な間柄の叔父上を天皇にして出世しようと企んでいると、噂を聞いた」
皇子は僕を疑っているのを隠そうともせず、上から僕の顔を見据えた。
「ええ、その噂は本当です。ですが、正確ではありません」
「何が違う」
「私は今の世を憂いているのです。本来、国は天皇を中心に豪族が協力しあって作っていくものでございます。ですが今、蘇我大臣が天皇の名を借りて、まるで王のように権勢をふるい国を動かしています。この国の王は天皇なのに、天皇はまるで……」
「飾り物だ。はっきり言えばよい」
皇子はきっぱり言った。
「そうだ、我は大臣が大嫌いだ。臣下のくせに父上や母上に指図して、我が物顔で政を行なう。そんな大臣の言いなりになる両親にも腹が立つ。天皇なのに、天皇なのにだ」
「豪族の間でも言われております。大臣は無礼だと」
「父上は生前、古人大兄とその母に気を使っていた。皇后は我の母上なのだぞ。それほどに大臣が大切なのか。父上と大臣とどちらがこの国の王なのかわからぬではないか。それなのに母上は、傀儡だとわかっているのに天皇になった。母上の気持ちがわからない」
「宝皇女が天皇になられるようお勧めしたのは私です」
皇子は、裏切りを見るような目を僕に向けた。
「なぜそのようなこと。やはりそなたも大臣の手先か」
立ち上がろうと腰を浮かせた皇子を、僕は両手でそれを制した。
「最後までお聞きください。全て、貴方様を天皇にするためです」
「なんだと」
「私は皇子同様、大臣に憤りを感じています。この国を大臣の手から天皇の元へ戻すには、貴方様が天皇になることが必要なのです。貴方様は私の、いえ、この国の希望なのです」
「何を言う。我は天皇になどなりたくはない。ただ父上や母上が天皇の権威を大臣から取り返せればそれでいいのだ。そもそもそなたは叔父上を天皇にしようとしているではないか」
「ええ、そうです。宝皇女の次の天皇は軽皇子になっていただき、葛城皇子を皇太子としていただこうと考えております。しかし目の前には古人大兄が皇太子としておられます。このまま何もしなければいずれは古人大兄が位につき、大臣は今よりさらに好き勝手に振る舞うでしょう」
「そのようなこと、今すぐ古人大兄を亡き者にすれば我が皇太子になれる。そうではないか」
葛城皇子は僕の話術に惑わされないよう警戒が見える。しかし、世間知らずのおぼっちゃま皇子を口車に乗せるなんてた易いことだ。
「皇子は大臣と戦う覚悟がおありですか。古人大兄に手出しをすれば、大臣は軍隊を出してでも皇子を滅ぼしましょう」
「我の母は天皇だぞ。命令すればそれ以上の兵を集められるだろう」
「確かに全国から徴収すれば多くの兵が集まります。しかし、それらの兵が駆けつける前に、天皇や皇子の御命が持ちませぬ」
「……」
「その昔、蘇我大臣に逆らった天皇がおられました。大臣は天皇を殺め、次にはご自分の言うことを聞く天皇を即位させました」
「なぜ、そのようなことが罪にならない」
「表向きは大臣の家臣が勝手にやったこととして、大臣はその家臣を処罰して事件を収めました。皆が真相を知っていても異議を唱える者はいません。大臣の軍事力に敵う者はいなかったのです」
「むむ」
「ですからこの国を大臣から奪い返す気があるのなら、慎重に且つ大胆に、準備万端、絶対に勝てると確信した時でなければなりません」
「そのようなことができるのか」
「私なら、できます。私を信じ、私の作戦を信じ実行していただけるなら、必ずや成功いたしましょう」
「そんなことを言って、そなたが蘇我大臣にとって代わろうとしているのではないか。我を天皇にした後は我を傀儡にするつもりなのだろう」
「確かに私は蘇我氏に代わって大臣になりたいと考えています。しかし、私が欲しいのは財宝でも権力でもありません」
僕はわざと落ち着きはらった声で話した。
「今の時代、身分に関係なく能力に応じて官位を制定する法律があるにも関わらず、実際には出身で左右されています。官位の査定をするのが蘇我大臣だからです。上流貴族でない者は、どんなに能力があってもどんなに頑張っても出世できないのです。私はただ、能力を重視してくれる賢王が現れ、正当な評価をしてくれることを望んでいるだけなのです」
「なんとそのようなこと」
彼は法律も、実際の法律の運用され方も何も知らないようだ。
「この先どのような世にするか、皇子にかかっています。もし少しでもこの世を良くしようと思われるなら、私を思い出してください」
僕は「六日後にまた請安塾で待っています」とその日の話を終わりにした。
六日後、請安塾に行った僕は、請安先生の横で授業の手伝いをしていた。一番後ろの席には葛城皇子が座っていた。
僕は心の中でニヤリとした。
授業が始まって少しの後、請安先生が言った。
「俺は少し休む。鎌足連、代わりに講義を頼む」
そう言って奥へ引っ込んでしまった。
どうしたことかわからなかったけれど、僕は残りの時間、先生に代わって講義をした。先生の本は大方頭の中に入っているので何の問題もない。
そうして講義が終わり、皆が帰り支度をしている中、葛城皇子は最初に席を立ち部屋を出て行った。
片付けを済ませた僕が、六日前に葛城皇子と話した石の場所に行くと、皇子が座っていた。
「そなたはいつもあのように皆に教えているのか」
皇子は高飛車に言った。
ははあ、請安先生の意図がわかった。僕の知識を葛城皇子に見せつけ、僕を優位に立たせるための戦略だ。請安先生は僕が何かを企んでいるのを気付いているのだろう。さすがだ。
「いいえ、今日は請安先生が体調がよろしくなく、急遽代役を任されたのです」
「人に教えられるほどなのか。そなたほどの切れ者なら、叔父上などではなく自ら王になったほうが早いだろうに」
皇子の言葉は皮肉に聞こえた。
「もしかしたら私には人より多少優れた知力があるかもしれません」
皇子が口元を歪めた。僕は気にせず続けた。
「ですが、人徳がなく行動力がありません。どんなに優れたことを考えていても、それを行動に移さなければ何も考えていないに等しい、それが私の欠点だと思いながらも、なかなか克服できません。ですから、行動力と人徳のある御方に軍師としてお仕えすることにしたのです」
「行動力と人徳のある……それが叔父上だというのか」
「葛城皇子でもあります。正統な天皇家の皇子であらせられるお二人には、ここぞと言う時の決断力がおありになるとお見受けしました」
皇子の目に、まだ迷いが見える。
「……そうだ、そなた、山背大兄皇子を知っているか」
「ええ、上宮の大兄皇子ですね」
「母上の宮で、近頃山背大兄が不満を持っていると聞いた。そなたの耳には入っているか」
「いいえ」
僕は空とぼけて言った。
「叔父上に訊いたら、山背大兄は、大臣や鞍作臣の、まるで王か何かのような振る舞いに腹を立てているとか。だからご自身が天皇となって彼らの横暴をやめさせたいと言っているとか」
「ほお」
「大臣を押さえつけられるのだったら山背大兄が立っても良いと思わぬか。叔父上は嫌な顔をなさったけれど」
「そうですか。私は、山背大兄が立っても今と変わらないと思います。山背大兄がなぜ今まで天皇になれなかったか、お解りになりますか」
「うむ、いや」
「蘇我大臣が認めなかったからです。ご存知の通り、今は蘇我大臣が認めなければ天皇になれない時代です。つまり、山背大兄が天皇になるには蘇我大臣の後押しが必要なのです」
「ということは……」
葛城皇子は言葉を途切らせた。
今、彼の頭の中には、蘇我大臣の後押しで天皇となった自分の父親が、即位以来ずっと大臣に頭が上がらなかったことが思い起こされているはずだ。
「誰が天皇になっても大臣の影響力は強いまま。つまりは大臣をどうにかしない限りは世は何も変わらないのです」
「大臣をどうにかしないと、か」
「山背大兄には世を変えるのは無理でしょう。いいえ、他の誰もできますまい」
足下から僕は、真っ直ぐに皇子の顔を見上げ言った。
「皇子はいかがなさいます」
「我は……」
皇子は意を決したように僕の目を見返してきた。
「我は世を変えたい」
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