第5話・初めてのお正月

 新嘗祭が無事終わってしばらくすると、軽皇子から昼食の誘いが来た。

 そういえば新嘗祭のあれこれで結構忙しくて、すっかり軽皇子にはご無沙汰していた。

「ご無沙汰、失礼いたしました」

「よいよい、新嘗祭で忙しいのはわかっておった。ご苦労であったな」

「お心遣いありがとうございます」

 夕食の膳はなかなか豪華だった。

 なにしろ品数が多い。祖父の法事の時に食べた懐石料理みたいだ。でもよーく見るとひとつひとつは結構地味で焼き魚とか青菜のおひたし系ばかりで、銘柄牛のフィレ焼きとかカニの天ぷらとか松茸の土瓶蒸しはないから、結局は精進料理みたいなんだけど、たぶんこの時代的にはかなり豪勢な食事なんだと思う。

 これは……?

 僕が見慣れない物体を匙で掬って見ていると、軽皇子が言ってきた。

「そちは鮑は嫌いか? 」

 鮑? ああ、鮑の刻んだヤツか。鮑なんてたぶん食べたことない。

「いえ、好き嫌いを言えるほど鮑を食べたことがございませんので」

「そちの好物はなんじゃ? 何か食べたいものはあるか」

 僕は考え込んだ。

 食べたいものを正直に言えば、焼き肉か鳥の唐揚げかカレーだ。

「魚よりは肉のほうが幾分。あ、殿下から頂きました水菓子はとてもおいしゅうございました」

 この時代の水菓子とは果物のことだ。メロンみたいな果物をもらったのだ。

「ああ、どこかから届いた果実か。我宮には時折珍しい食べ物が届けられる。今度なにか面白いものが届いたらそちに声をかけるとしよう」

「そのような……」

「遠慮するな。我とそちの仲ではないか」

「はは、ありがたきお言葉」

 ありがたき食べ物。


「これ」

 軽皇子の合図で食事の膳が下げられると、入れ替わりに碁盤が運ばれてきた。

 そう、今日の本題は囲碁の手合わせなのだ。基本的なルールはわかるし、ある程度は打てる。ただ何しろ小学生の時以来だし、元々そんなに強くない。でも、皇子相手だったらそんなに強くないほうがいいだろう。むしろ、僕が勝ちそうになったらわざと負ける手を打つくらいがいいのだ。


 パチ。黒十七の五。

 はい。次あたりでそろそろ負ける手を打つか。

 パチ。

 あれ、軽皇子、そこ打ちます? そこ打つと僕、むちゃくちゃ有利なんですけど。

「あ……」

 流石に気づいたようだ。

 でもここでスルーするのもわざとらしいから、僕はニヤリと軽皇子の顔を見て、僕の手を打った。


「ああ、我の負けじゃ。そちは強いのぉ」

「いいえ、あそこで殿下が打ち間違いをなさらなければ、あのまま私の負けでございました」

「うむ、やはり舎人と打つより楽しいのぉ。あやつらは全く下手だから。いやあ、またこれからも手合わせ願おう。次は負けぬぞ」

 おそらく舎人たちは思いっきり手加減しているのだろう。だって、軽皇子、そんなに強くないぞ。

「私も負けませんよ」

「言うのぉ。ふぁふぁふぁ」

 皇子が上機嫌になったから、まあよしとしよう。


 年末になった。

 この季節が一番寒い時期のようだ。エアコンがなく、暖房は火鉢オンリーなのでめちゃくちゃ寒い。夜になると家の中にいても手が悴むレベル。だから毛皮にくるまってさっさと寝る。朝も寒いが、使用人が部屋に火鉢を持ってきてくれるので、布団から出る頃には少しは部屋が温まっている。

 去年の今頃は、クリスマスのイルミネーションで飾られた街ではしゃいでいた。あのイルミネーションを見ることはもう一生ないのだろうか。

 とはいえ、クリスマスはないけれど、どの時代でも年末年始はいろんな行事があるものだ。神祇の祭祀を司る中臣氏にとって、十二月は特に忙しい季節らしい。月次祭、大祓は、それぞれ年に二度、六月と十二月に行なう行事で、先日の新嘗祭ほどではないが、やはり大臣の屋敷に打ち合わせに行き、準備した。

 そうして慌ただしく大晦日の大祓を終え、正月を迎える。ちなみに除夜の鐘はない。


 僕はこの時代で迎える初めての正月をちょっとだけ楽しみにしている。旅行に行くとか何をするわけでもないが、なんとなくウキウキする。二十一世紀の正月は三が日で終わってしまうけれど、トヨが教えてくれた話だと、この時代は半月くらい新春イベントが続くらしい。 

 元日の朝賀、畿内の豪族たちが勢揃いして年賀に新年の挨拶をすることに始まり、天皇が振る舞う宴「元日節会」、地方の豪族たちの新年の挨拶や名産品の献上、官職の任命式のような堅いものから、舞踏の観覧や歌会など華やかな行事が日替わりで目白押しだ。


 元旦、殿様と僕は早くに起きて身を清め、礼服に身を包み天皇の宮へ行き、豪族の殿様たちも皆で揃って年賀の挨拶をする。その後は、天皇がご馳走してくれる宴。宴が終わると、お土産に粽をもらって帰ってくる。

 午後には、普段別宅に住んでいる殿様の妾と僕の腹違いの弟たちが屋敷に来て、夕食には家族が勢揃いして天皇からもらった粽やご馳走を食べる。おせち料理やお雑煮はこの時代にはない。弟たちはそのまま三日まで屋敷にいる。僕は彼らの相手をしなければならないのが面倒だったけれど、殿様は上手だった。

 まず、元日の夕食時に殿様は「新年にあたっての気持ちを歌にせよ」と僕ら子供に課題を出す。僕ら子供は四苦八苦して歌を考え、二日の午後に発表会だ。弟たちは歌作りに一生懸命で、おかげで僕は弟たちの相手をしなくて済む。色んな意味で殿様はよく考えている。


 ところで、僕には文学の才能がない。

 後世の歌をパクるか。柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺。違ーう。これは俳句だ。和歌は五・七・五・七・七だ。これじゃ、歌作りに苦労してるのは弟たちじゃなくて僕じゃないか。

 そうして二日の夕食の前、歌の発表を行なう。 

「初春や 皆とごちそう 食べながら うれし楽しい 今年も良い年」

「兄上は下手ですね」

「これ、久太」

「そなたらに合わせてやっているのだ」

 くっそガキ。こ生意気な。

 そうして三日の午前、弟たちはやっと帰ってくれて、ぼくはのんびりできる。


 その後もまだまだ正月は続く。

 正月行事の中で僕が興味を持ったのは「節会の舞」と「賭弓(のりゆみ)」だ。

 節会の舞は七日の人日の節句に豪族の娘たちが天皇の前で踊りを見せる行事で、天皇や皇子の目に留まった少女はそのままお持ち帰りされることもあるらしいし、観覧していた豪族から縁談が舞い込むこともあるらしい。僕はまだ節会の舞を観覧できないが、殿様の話だと、少女たちの舞より、それを見る男たちの顔を見るのが面白いのだそうだ。

「普段は真面目そうな男が、目尻を下げて見ているのだよ。人間の本性が現れるというか、こっちは吹き出すのをこらえるのに必死だ」


 賭弓は天皇の御前で、皇族の宮同士が腕自慢の舎人たちに弓で競わせるもので、上位者は天皇から褒美がもらえ、優勝した舎人は「日本一の弓の達人」として有名になる。僕らはどこの宮が勝つか、賭けたりする。

 中庭には弓場が作られ、天皇や皇族や身分の高い人たちが中庭を取り囲む部屋や縁側の席から見学している。僕らは庭で立ったまま自由に見ている。こういった場では身分順に座っているので、人の顔と身分を覚えるのにはうってつけでもある。

 皇子の席には、天皇の長男の古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)、次男の葛城皇子(かづらぎのみこ)通称中大兄(なかのおおえ)、その下に幼い皇子、他にも年寄りや子供の皇子たちが揃い、皇女たちの席もあり華やかだ。

 群臣で最も上座に座るのは大臣蘇我毛人。次は知らない人。入鹿はもう少し下。おや、みんな冠の色が違う。あ! これがかの有名な「冠位十二階」ってヤツ? 蘇我毛人は紫色。その次の知らない人も紫、石川麻呂は薄紫、殿様も薄紫。僕はトヨが準備した錦の冠をそのまま被っていたから気づかなかったけど、すごい、リアル冠位十二階。写真撮りたい。


「山背大兄(やましろのおおえ)の舎人も毎年強いからな。ほら、皇子も楽しみに見ている」

 一緒に見物していた佐伯子麻呂が、皇族の席に目線を向けた。

「山背大兄? 」

 僕はそこで初めて山背大兄皇子を見た。

 そう、窪田先生が以前「田村皇子じゃなくて山背皇子が天皇になってたら、歴史は全然変わってただろう」と言っていた、舒明天皇との皇位争いに負けた山背皇子だ。

 聖徳太子のイメージから、さぞカリスマっぽい人なんだろうと思っていたけれど、全然普通のおじさんだ。やせ型で白髪混じりの初老の男性。今の天皇も特にカリスマ性があるわけでも威厳があるわけでもないから、まあ、こんな人でも天皇の格好をしたらそれっぽくはなるのだろうが。山背皇子がいる時代となると、今の天皇はやはり舒明天皇だろうか。

「あの、山背大兄の舎人、絶対忘れない。俺が人生で唯一負けたヤツ」

「あ? そうだっけ? 」

 知らない話だけどな。

「軽く流すな! 俺にとっては大問題なんだよっ。そのせいで、葛城皇子の宮ではしばらく肩身が狭かったんだから」

「あはは。一生忘れないってか」

 よくわからないけど、もしかして子麻呂は葛城皇子の舎人だったのか? 

「あれ? 軽皇子」

 軽皇子の宮でも舎人が参加していた。見たことがある舎人だ。

「珍しいな、軽皇子の宮が賭弓に参加されるとは」

 子麻呂が言う。

「うむ」

 軽皇子は皇族席の上位のほうに座っていた。さっきからずっと彼の視線を感じている。自分の宮の舎人そっちのけで、僕を見ているんだろう。僕はスッと彼に視線を向け、他の人に気付かれないよう、男心を弄ぶように唇の端だけで笑みを送った。ふっ。僕って罪な男。

 一連の正月行事が終わったら、きっとまた軽皇子から食事のお誘いがくるのだろう。こんなに好かれてるんだから、軽皇子が天皇になってくれたら、僕は大出世しそうなもんなのに。ま、無理か、この皇子、そんな気はなさそうだ。

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