第4話・初めての仕事

 毎日が、時間の流れがゆったりしている。SNSやニュースサイトで常に情報をチェックしていたあの頃が、嘘のようだ。夜のクラブを徘徊したり、おしゃれな服屋やレストランを探したり、面白そうなイベントに出没し、毎日刺激があった生活とは全く違う。二十一世紀の便利な生活に慣れていた僕は、当然ながら不便なことも多い。欲しいものが手に入らない。友達や知人と会うのも、手紙や言伝を下男に頼んで伝えたり、親しければアポ無しでいきなり家に行くことが多い。


 あまりに退屈なので、部屋にある本を読んでみたりする。その中に「六韜(りくとう)」という本があった。ずいぶん読み込まれている。パラパラとめくると、例の如くサーッと頭の中に内容が入ってくる。これは兵法書だ。すごい。兵法戦術のみならず、人間学、組織論、政治などについても書かれている。軍師なら読んでおくべき一冊。起業にも役に立つ本だ。今まで読んだ本の中で一番充実したビジネス本かもしれない。

 でもせっかくこんな知識を僕が手に入れても、この時代では役に立たないだろう。それが残念だ。


 トヨや使用人たちは忙しそうだ。そりゃそうだ。この時代は家事を全部手作業でやっているのだから。洗濯も掃除も炊事も全部。衣類は手縫いだし、洗濯機もなく、庭の畑で野菜を育てて、自給自足の生活ってこういうものかと思う。

 殿様も僕も、普通に畑作業をする。それはどこの家でも同じようだ。大臣の家は知らないけど。

 基本的に中臣家は領地からの年貢で十分暮らせる。それに加えて冠位と神祇伯の給料があるのだが、神祇伯という役職は神祇祭祀の仕事がなければ、他の役人のように毎日宮殿で仕事をしなくてもいい。貴族といっても中級貴族だが、贅沢をしなければ生活の心配をせず暮らせる。

 夜、早寝する生活にはだんだん慣れてきた。というか、必然的に慣れた。

 夜の室内は油のランプの灯りだから暗いし、油がもったいないから必要最低限しか使わないように早く寝る。外は月が出ていなければ真っ暗だ。よほどの用事がなければ、夜は出歩かない。この時代の人は、日が出ているうちしか活動しないのかって感じ。日が暮れると自宅で夕食を取り、その後はランプの灯りで軽く本など読んで寝るしかない。

 電気がない暮らしがこんなに不便だと思わなかった。まじ、すごいぞ。令和の人たちに見せたいくらい。蝋燭すらまだないのだ。

 それから、なかなか慣れないのはトイレと食事と布団類。床はフローリングだと思えばまあいいけど、僕が枕が変わると寝られない体質でなくて本当に良かったと思うような寝具。トイレは庭の離れにあってよくわからない形のトイレだし、みんな、よくこんな暮らしで体壊さない、ていうか、だからこの時代の人は平均寿命短いのか。

 毎朝「元の世界に戻っていますように」と願いながら目を開けている。今は辺鄙な田舎の村に旅行をしている気分で、ここが自分の本来いる場所だという気がしない。そのうち慣れるのだろうか。


 十月になり、寒い季節になった。

 この時代は旧暦で、二十一世紀の暦とは一ヶ月くらいずれている。この時代の十月は、二十一世紀で言うと十一月くらいだ。

 殿様は最近何やら忙しそうだ。冷え込んできた夕方、僕を部屋へ呼んで言った。

「明日、新嘗祭(にいなめさい)の打ち合わせに行くが、仲郎、そなたもついてこい」

 ええ〜、やだな、めんどくさい。寒いし。

 なんて、断れるわけがない。

「はい、わかりました」

 そう、僕は病気から回復して一度も働いてない。殿様も、病み上がりだからといっていつまでも僕がこんな風にニートでいるのはよくないと思ったのだろうか。


「新嘗祭は大切な宮中行事ですから」

 部屋に帰ってそのことを言うと、トヨが教えてくれた。

「代々神祇の祭祀を司る中臣様の重要なお役目なのです。どんなに仏教が普及しようとも、神祇祭祀をおろそかにしてはならないのです」

 仏教……。ああ、仏教伝来、そういう時代か。  

「仲郎様も、殿様にしっかり学んで早く一人前になってくださいね」

 トヨはニコッと笑った。トヨは普段優しいけど時々厳しい。でも嫌な気はしない。しっかり者の妹といったところだ。


 殿様と一緒に、大臣の屋敷に行くと、先に部屋にいた男に挨拶された。ぽっちゃりした腹をした丸顔の男。殿様よりちょっと身体が大きい。

「兄上、おや、仲郎も一緒か」

 兄上、ということはこいつが僕の叔父、国子か。向こうも若者と一緒だ。たぶん息子だろう。僕より幾分若そうな。

「どうだ、調子は」

「ええ、もう普通に動けるようになりました。ご心配ありがとうございます」

「中臣の後継がこんなふうに身体弱くちゃ困るわ。まあ、がんばれや」

「はい」

 絶対僕に好意持ってないだろ、この叔父。

 後ろにいる気の弱そうな若者、おそらく僕の従兄弟と思われる若者がぺこんと頭を下げた。僕は年長らしい会釈を軽く返した。

 僕も従兄弟も見学者レベルだ。会合は殿様と叔父、大臣と思われる高齢の男とそれからこないだ飛鳥寺で見た蘇我入鹿らしき男。やはりこいつが入鹿で間違いない。

 僕らの前に食事の膳が並べられた。時間的には昼食なんだけど、ランチミーティングというより、政治家が料亭でやるアレみたいだ。知らんけど。

「先日の大風はひどかったですな」

「まことに。宮の屋根が雨漏りしたとか、皇后が大騒ぎしておられました」

「天皇のお身体の調子は」

「最近はよさそうですよ。今度、湯治に行かれたいとおっしゃって」

 話は主に殿様と叔父と大臣で進められている。僕と従兄弟は黙って食べているだけだ。

「稲の刈り取りの日は決まりましたか」

「ええ、新嘗祭までには大丈夫です」

 入鹿も黙って飲み食いしてるけど、会話の様子を窺ってる気配がするあたりが、ただ食べているだけの僕らとは違う。次期大臣って感じ。

 ジロジロ見過ぎたか、入鹿がふと僕に鋭い目線を向けた。目が合った僕は目で挨拶をした。

 うわ、今、バチバチって音しなかった? 普通の人間ならビビってたな。年齢はまだ三十歳くらいだろうに、威厳ありすぎ良太郎。


「いかがでした? お仕事」

 屋敷へ帰ると、足を洗う桶を持ってきたトヨが訊く。

「ううん、よくわからない」

 僕がほわんとした調子で言うと、トヨの顔がキッとひきしまった。

「仲郎様! 新嘗祭は年に一度の、この国にとっての大切な行事ですよ。もっと真面目になさらないと。あと、祈念祭(としごいのまつり)と、夏越祓(なごしのはらえ)と、年末に年越しの大祓(おおはらえ)、他にも月次祭(つきなみのまつり)や地鎮祭の儀式など、多くの神祇の祭祀があって、中臣氏は代々それらの祭祀の中心におられるのです。殿様はこの国にとって重要なお方なのですよ」

「詳しいな、トヨは」

「と、祖父が言っておりました」

 トヨはいたずらっ子のように笑った。

 前にも思ったけれど、トヨは中臣氏に対して誇りを持っているようだ。トヨの祖父はこの家の執事みたいな役職みたいだし、御庭番みたいな父親も、代々この家に仕える家系ってことだろうか。そういうの、戦国時代のドラマでも見る。主人のために身代わりになって死ぬとか、そこまでの忠誠心はなさそうだが。

「そうだ、トヨは蘇我鞍作臣と会ったことある? 」

 トヨは大きく首を横に振った。

「私のような者がお会いすることなど、一生ありませんから」

「そうか」

「若殿様とこんなふうにお話しさせていただくことだって、大変なことなのです」

 若殿様。バカ殿様じゃなくて? でもまあ、そうか。僕だって二十一世紀の僕は総理大臣に直接会う機会なんかないもんな。一般人はそういうもんかもしれない。

「本当に、若殿様にお仕えできて光栄だと思っております」

 トヨはこそっと言うと頬をほんのり赤く染めた。

 これって、これって、もしかして。

 僕は女性に興味はないけれど、中臣氏の跡取りとしていつか結婚しなきゃならないとしたら、トヨにしよう。トヨなら色んな意味で大丈夫だ。きっと。


 そうして新嘗祭の本番の日がやってきた。

 新嘗祭とは、その年の収穫を祝い神に感謝し、新穀と神酒などの神饌を神に捧げ、天皇はそれらを神と共に食べる「共饌」をするという、一年で一番重要な儀式だそうだ。前々から儀式用の稲を収穫し神殿を作るなどの準備をし、前日に鎮魂祭を行い、当日は真夜中に儀式を行なう。

 冬の真っ暗な中、松明の明かりだけの庭に、僕ら神官や采女らが居並ぶ中、殿様が天皇に祈祷を捧げる。その後、儀式用の神殿に天皇だけが入り、共饌をする。

 天皇は軽皇子の義理の兄。名前はまだわからない。

 神聖な空気がビシバシ漂っている。二十一世紀の僕は神も仏も宗教も特に信じてなかったけど、この場にいると神様って本当にいるんじゃないかと思う。ものすごい場面を今僕は見ている。ああ、動画撮りたい。みんなに見せたい。

 僕は殿様から「何もしなくていいから、とにかく見てろ。細かいことはいずれ教えるし、教本があるから大丈夫だが、大まかにどのようなことをするか、それだけしっかり見てろ」と言われてるので、ただ後ろのほうで見ているだけだ。国子の息子も同じようなことを言われてるのだろう。僕よりも緊張してて、しっかり見学しようという気持ちが伝わってくる。

 いずれ僕が、殿様に代わってあの役目をするんだ。いつのことかわからないけど、徐々に仕事を覚えていこう。僕はこの世界で生きていかねばならないのだから。

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