第12話・蹴鞠大会の出会い
請安先生は本当に国家造りのエキスパートだと感じる。先生の講義を聞いていると、僕は、真剣に国家を造り直さねばならない気持ちになる。
「唐の都、長安では、どこまでも平らな広い土地に城壁に囲まれた京、その中は整然と区画された条坊、街区の中心を広い大路が宮殿まで真っ直ぐに伸びている。それに比べて飛鳥京の地はどうだ」
僕は飛鳥京周辺しか知らない。他の国のことはわからないから、この時代の京とはこんなものかと思っていた。他の弟子たちもそうだ。
「山々に囲まれた田畑の中に、天皇の宮、皇族の宮や豪族の屋敷が点々と存在している。天皇が変わるたびに宮の場所も移り、唐のような大きな宮殿を作らない。その結果、どこが京の中心なのかわからないし、文化的で圧倒されるような京の印象を与えられない。それは外交上不利だ。飛鳥の京に来る途中、川沿いの斑鳩を見た。斑鳩のほうがまだ京のような作りをしている」
「いずれ大きな京を作る必要があるが、飛鳥の地に造れるか。遷都するにしても、古くから飛鳥周辺に土地を持つ豪族らの反対は必至であろうな」
確かに飛鳥から離れるのは反対が多いだろう。
「先生はこの国が先に進むためには速やかに制度改革を行なうべきだとおっしゃっていましたが、そのためにはどうしたらいいのでしょうか」
「まず必要なものがある。腐敗している今の政治を立て直すために改革を行なうのだという旗印、それから、改革の象徴として掲げる天皇。その二つを揃えて革命を起こす」
「だが、今の天皇も皇太子も改革の象徴となり得ない。なにしろ蘇我大臣の傀儡だからな。そうなると山背皇子だが、人気はあるが華がない。上宮太子と違って何か新しいことを始めそうな期待を感じさせない。誰か、立っているだけで様になるような皇子が欲しいところだな」
それなら軽皇子でも厳しいかもしれない。
「それから、革命を正当化するには、今の政治が腐敗していると糾弾しなければならない。その時は蘇我大臣父子に人身御供となってもらわねばなるまい。蘇我大臣には特に罪はない。だが何かを贄にする必要がある」
「古い豪族にしがらみのない人間が上に立ち、進めていかねばいつまで経ってもできはしない。蘇我大臣にはできぬ。旧体制に気を使いすぎるのだ。しがらみもなく情に左右されない合理的な人間でなくてはならないのだ」
先生はそう言って僕を見た。まるで、僕に「やれ」と言っているように感じた。
その年の秋頃、天皇の第二皇子である葛城皇子が、飛鳥寺の庭で蹴鞠の催しを行なうことになった。
「知ってる? 優れた者には葛城皇子から褒美が与えられるんだって」
若い貴族豪族の子弟の間で話題になった。十六歳となる葛城皇子も自ら蹴鞠に参加するという。
葛城皇子の主催する催しは以下の通りだ。
参加者をくじ引きで六人ずつの組に分け、それぞれの組ごとに輪になり、鞠を回しながら蹴る。鞠を落とさず何度蹴り続けられるか、回数の多い組の勝ちとなる。勝った組には葛城皇子から褒美が与えられ、さらに、優秀な個人にも特別に褒美がある。
「どのような褒美がいただけるのだろう」
「いやいや、褒美などどうだっていい。葛城皇子の覚えめでたくなれば」
「皇子とお近付きになって取り立ててもらおう」
皆、下心ありありだ。もちろん僕も例外ではない。
僕は競技には参加しない。自慢じゃないが運動神経はよくないのだ。葛城皇子を含めた最初の組が輪を作ると、回数を数える見証として輪の外側に立った。
「やあ、鎌足は蹴らないのか」
輪の中から佐伯子麻呂が声をかけてくる。
「いやいや、僕は皆さんの足を引っ張るだけになるから」
その会話を聞いた葛城皇子が、僕の顔をジロジロ見る。
なんだろう。好意的な目には感じられないが。
やがて準備が整って、皇子の組が蹴鞠を始めた。
葛城皇子はまだ十五、六歳といえ、さすが天皇の子、他の男子とは違うオーラを発している。シュッとした品のある顔立ち、背も高くてルックスはいい。令和の高校生だったらモテる系。
「エイ」
皇子が鞠を蹴ると同時に革靴が脱げ、僕のすぐ近くに飛んできた。
「やあ、しまった」
僕はすかさず靴を拾い、上着の袖で土埃を払うと葛城皇子に駆け寄った。
「どうぞ、皇子」
そう言って葛城皇子の前に跪き、片膝を立てた袴の上に靴を置いた。
「うむ」
皇子は遠慮もなく靴に足を入れる。
「そなた、名はなんという」
「は、中臣連鎌足と申します」
「中臣連鎌足、服が汚れてしまったな。後で代わりの服を取りに宮へ来るがよい」
葛城皇子はつっけんどんにそう言うと、顔を上げて皆に言った。
「我は抜ける。皆はそのまま続けよ」
葛城皇子は踵を返して庭に作られた休憩所に向かった。
葛城皇子の背中に頭を下げる僕の背後から、声が聞こえる。
「鎌足連はうまいことやったな」
「軽皇子についで葛城皇子にも取り入ったか」
僕が皇子たちに近付くのをやっかむ人間もいる。皇族や有力貴族と知り合いになり、交友関係を広げるのは起業や政治家を志す者の基本だ。何も行動を起こさず、言うだけの人間には何の成果もない。悔しければ行動を起こしてみろってんだ。こんなにうまく近付けると思っていなかったが。
「葛城皇子……、僕の作戦に使えるかもしれない」
翌日、僕は葛城皇子の宮へ呼ばれ、汚れた服の代わりにと布を貰った。
「そなたは蹴鞠はやらないのか」
皇子が問う。
「少しはやりますが、身体を動かすことはあまり得意ではありません」
「そうか。では何が得意だ」
「胸を張って得意だと言えるような技は持っておりません」
「旻法師はそちのことを、勉学に聡くこの京で一、二を争うほどだと言っていた」
「そのようなことを。私より聡い人間はたくさんいらっしゃいます」
「たとえば鞍作臣とか」
「……ええ」
なるほどそうか。旻法師からそんな話を聞いて僕に興味を持って、わざと靴を飛ばしたのか。お互い、近付きたかった思惑。
「ふうむ……。では、そなた、碁はやるか」
「はい。碁でしたら打ちます」
「ならば一局」
ここはもちろん手加減なしだ。皇子が負けた時にどのような態度にでるのか、皇子の性格を見極める策に出る。
勝負は早くについた。
「そなたは強いな」
僕の完勝だった。
「我も、強いほうだと言われているが、そなたには敵わぬようだ」
軽皇子と同様に、皆が手加減していることを葛城皇子も知らないようだ。
「そなた、我が叔父上と親しいそうだな」
「親しいなど恐れ多うございます。宮への出入りを許されているだけにございます」
「どうだ、叔父上と我とどちらが強い」
「今は軽皇子のほうが上です」
「はっきり言うか」
「軽皇子が碁を始められて何十年、かたや葛城皇子はまだ数年、経験が違いまする。今は軽皇子のほうが実力が上なのは当然のこと。ただこの先、皇子がどれほど上達するかは皇子次第です」
「ふん。まあよい。ところで、そなたが叔父上を天皇に推していると女官たちの間でもっぱらの評判だぞ」
「は」
「叔父上は本当に天皇になれると思っているのか」
「もちろんでございます。軽皇子は次の天皇にふさわしい方」
「ふうん……。そなた、これからも我が宮に来るがよい。碁をしよう」
「それは」
僕は顔を曇らせた。
「嫌か」
「皇子は聡明な方、私も正直に申しましょう」
「なんだ」
「皇子は軽皇子とはお立場が違います。まずそのことを自覚なされたほうがよろしいかと」
「わかっている」
「いいえ、わかっておられません。皇子と軽皇子との違いとは、葛城皇子が古人大兄の即位の障害となることです。今まだ、古人大兄が適齢となるまでまだ時間がございます。もしかすると中継ぎが必要になるかもしれませぬ。軽皇子はその候補として考えられています。軽皇子なら適当な時期に古人大兄に譲位するのも考えられます。でも、葛城皇子は違います。古人大兄よりお若い。葛城皇子が古人大兄から天皇の座を奪うのではないかと誤解されましょう」
「そうか……、なるほどそうかもな」
「世の中には、私が皇族の方々に近付くのを快く思わない者がいます。一部の豪族は、軽皇子の宮に出入りしているのを苦々しく思っています。そこで今、私めが葛城皇子にも近付いたらどう思われます。おそらく皆、軽皇子と私が、葛城皇子を天皇にしようと企んでいるのではないかと疑いましょう。噂されるだけでも古人大兄や蘇我大臣が警戒します。皇子のお立場が悪くなるかもしれませぬ。どのような災難が降りかかるやも」
「ううむ……」
葛城皇子は押し黙った。
「皇子は南淵請安という学者をご存知ですか」
「昨年に唐国から帰国した学者でして、稲淵の庵で塾を開いています。私は時々講義を聴きに行っておりますが、とても興味深く勉強になります。皇子も一度、行かれるとよろしいかと思います」
「ふうん」
「私はそこにおります」
「……」
しかし、葛城皇子が僕に会いに請安塾へ来る前に、天皇が薨去した。
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