アフターストーリー・6・令和
「……たり……かまたり……」
僕を呼ぶ声が頭の中に響き、気がつくと僕はベッドの上にいた。
目に入ってきたのは、見慣れた近江の邸の茅葺き天井ではなかった。
「マサト! 」
身体に幾つかの管をつけられ、病院のような場所にいた。
「マサトが、マサトが」
なんだかとってもデジャヴ。ずーっと前に同じようなことが……。
ベッドの横で、僕の母が涙を流しながら僕の手をさすっている。夢にまで見た母の声だ。
まさか、僕は令和に戻ったのか?
それよりも、あの御方は、葛城皇子はどうしただろうか。
僕は令和に戻った喜びよりも、飛鳥の人たちにもう二度と会えないのかと思った。
僕は、なぜか涙がこぼれた。
二十一歳の夏、夜の街で通り魔に刺され瀕死の重傷を負った僕、マサトは、生死の淵を彷徨い奇跡的に目を覚ました。
意識が戻るまでの間、僕はとても長い夢を見た。飛鳥時代に転生して、中臣鎌足としての人生を生きた夢だ。約三十年という長い年月の生活が、とてもリアルだった。
それが夢だったのか、現実なのか、わからない。でも今の僕には、この瞬間のほうが夢のように感じた。
やがて見舞いが許可されるようになると、友人知人がパラパラとやってくるようになった。
「留年決定、おめでとう! 」
大学の友人たちは楽しそうに言う。結構深い傷だったらしく、退院してもしばらくは自宅療養が必要らしい。
「あー、マジか」
名前を思い出せないけどごめんな。何しろ、この世界は僕にとって三十年前のことなんだ。三十年前のことなんか、覚えてなくて当然だよね、はは。「事件の影響で軽い記憶障害が残っている」ということにしたけど。
バイト先のマスターも来てくれた。世間体に気を遣ってくれて、カジュアルシャツに麻のジャケットという普通の格好で現れたから、誰だか全然わからなかった。店のみんなと常連のお客さんたちからのお見舞いも持ってきてくれた。
「界隈じゃ、ちょっとしたヒーローだよ。見ず知らずの子を身を挺して救ったんだから」
そうだったっけ。もう遠い昔の話だ。
入院中の暇な時間を使って、僕は飛鳥時代の歴史を勉強した。
病室では、パソコンの使用は禁止されているが、スマホは音を出さなければオッケーだ。
がっ。
「使い方、マジわかんない。文字入力ってどうやるんだっけ」
何しろ約三十年ぶりに触るスマホだ。生まれて初めてスマホ触る人みたいに、震える指で苦戦しながら何とか古文書サイトに辿り着いた。
「……」
「……」
「……」
あれ? いつもみたいにページ開いた途端、本の内容が全部、サーっと頭の中に入ってくる、アレがない。
もう一度チャレンジ。
「……」
「……」
「……」
あああああ? アレって、転生のチートだったんだっけ? え? ちょっと待って。じゃ、今回のチートは? 何かないの?
「ぶわっ」
軽くショックを受けて、僕はしばらく固まった。
「仕方ない、現代語訳、探そ」
「……」
「……」
「……」
ええ、マジかよ(諦め悪いヤツ)。
で、慣れないスマホで長い時間をかけ調べてわかったことは、葛城皇子(歴史サイト上では天智天皇なんだが)は、鎌足が死んで約二年後に死んだということだ。
「そんなに早く死んじゃったのか……」
もうちょっと頑張って長生きして、最期を看取ってあげられればよかった。
鎌足が死んだ時、天智天皇はものすごく悲しんだらしい。日本書紀には、鎌足が死んだ三日後に鎌足の家を訪問した、とある。
「は? 訪問した? 」
天皇や皇族、身分の高い人間は「
「マジかよ。家に来ちゃったのか。あの人は」
まあ、葛城皇子らしいと言えば、らしい。
「遺体の前で大泣きしたんだろうな、きっと」
僕は寂しさと懐かしさが入り混じった妙な気持ちがした。
妻の鏡王女は、鎌足の死後、別荘である山科の陶原館に鎌足のために寺院を作り、鎌足が死んで十三年後に病気になって天武天皇が見舞って、その後亡くなったそうだ。天皇が見舞いに来るような身分で暮らせたんだ。よかった。
子供たちはというと、フヒトは言わずもがな。その後の藤原氏の繁栄の基礎を作った。
鏡王女との娘、ヒカミとイオエは二人とも天武天皇の妻になったようだ。鏡王女がそうしたのなら、異存はない。年の差婚だけど、あの時代はそんなの普通だったからな。
イオエは天武天皇が死んだ後、フヒトと再婚した。天武天皇が生きてるうちから不倫関係にあった疑惑もあるらしい。はあ、そうですか。あの無邪気で愛らしかったイオエが。
中臣意美麻呂を婿にしたトメは、子供はいたらしいがよくわからない。
意美麻呂は、フヒトがある程度の年齢になるまでは藤原氏の長だったが、やがてフヒトが出世すると、フヒトの子孫だけが「藤原」姓を名乗ることになり、意美麻呂や他の親類は中臣朝臣に戻って神祇祭祀の担当に分けられたとか。意美麻呂は神祇伯になったり出世して、紀氏の娘や多治比氏の娘などのいいとこのお嬢さんを妻にもらって子孫はいっぱい作ったらしい。国足の子孫が残せたんだ。
それから大友皇子と結婚したミミモだが、どうなったのか全くわからない。知る通り、大友皇子は大海人皇子と戦って死んだのだが、その時にミミモがどうなったのか、子供がいたのかも記録に残っていない。
「やっぱり壬申の乱は避けられなかったんだ」
どうして彼らは戦ったのだろう。
それにしても、こっちの食事は味が薄い。
徐々に食事ができるようになると、重湯から始まって病人食ということもあるけれど、味が薄い。塩味なんかついていないも同然。飛鳥人みたいに早死にしないためには塩分控えめのほうがいいんですね、はいはい、わかってます。
回復したら思う存分いろんな食べ物、食ってやる。
「ハンバーグ
カレー、トンカツ
オムライス
ピザに唐揚げ
炬燵でアイス」
自然に滲み出てしまう、飛鳥時代に培った和歌の能力。
しばらくすると、僕は大学にもバイトにも復帰した。
だいぶ令和の生活を思い出してきたが、時々変な言葉使いをしたりおかしな行動をしてしまう。飛鳥時代に転生した時は、トヨが僕をサポートしてくれたが、今はそのような人がいなくて不便だ。「事件の後遺症」みたいなことにしてあるけど。
「何か顔立ちが大人っぽくなったね」
久しぶりの窪田先生が言った。
窪田先生には、飛鳥時代に転生した当初ずいぶんお世話になった。気がする。
「そりゃあ変わりますよ。なにしろ一度死の縁を見てきたんですから」
あれ? デジャブ。ああ、そうだ、これは佐伯子麻呂と初めて会った時に言った。もう何十年前だろう。子麻呂を思い出して目がウルウルしてくる。
「また先生にお会いできて嬉しいですよ」
僕は大袈裟に泣くふりをして誤魔化した。
「そういえば」
僕は窪田先生に聞いた。
「この間、藤原鎌足のお墓のニュース、話題になっていましたけど」
「先生お得意の飛鳥時代の話ですね」
マスターも言う。
「ああ、
「例の冠」
知ってる。深紫の織物に金糸の刺繍と金の房が綺麗な冠だ。死ぬ直前に病床の僕に届けられ、結局一度も被ることがなかった。
「鎌足の死の前日に、藤原姓と内大臣の位と一緒に送られたという大織冠、その時代の日本では鎌足しかもらっていないから。まあ、山科で殯をしてから埋葬した、という文献とも矛盾してないし、場所も大阪の藤原氏の領地だから、ほぼ確定でしょ」
「え? 阿武山古墳って大阪なんですか。飛鳥じゃなくて? 」
「うん。元々あの辺、摂津とか大阪のあの辺は鎌足の領地だからね」
ああ、そういえばそうだったかもしれない。
「そうなんですか。あ、じゃあ、天智天皇のお墓ってどこにあるんですか? 」
忘れてた。天智天皇のお墓ってどこだ?
「京都に山科御陵というのがあってね、そこ」
「山科……、鎌足の別荘陶原館があった場所ですね」
僕はキュンとした。葛城皇子との思い出の場所だ。そんな場所に皇子のお墓が造られたなんて。ヤバい。涙が出そう。
「うん、よく知ってるね。鎌足が死んだ後に鏡王女が陶原館の場所に山科寺を作って、山科寺は今はもうないんだけど、山科御陵は山科寺跡地のすぐ北側。でもね、僕はそこには遺体はないと思ってる」
「え? 」
「天智天皇はどうやって死んだか知ってる? 」
「病死じゃないんですか」
日本書紀には病気で死んだと書いてあった。
「一説によると、山科の山中で行方不明になって、とうとう遺体が見つからなかったから、天智天皇の靴が落ちていたその場所をお墓にした、とあるんだよね。俺はね、暗殺されたんじゃないかと思ってる」
「ええ、そんな」
ありえないことではない。敵が多かったもの。
「宮中で病死してたら、山科にお墓作る必然性ないでしょ」
「確かに。でも、誰に、ですか? 」
「それが謎だよね。意外な人物かもしれない。壬申の乱の結果だけを見ると、天武天皇サイドかと思われるけど、案外、違ったりして」
「結構、敵、多そうでしたものね、天智天皇って」
もし僕がもう少し長く生きてたら、暗殺を防げたかもしれないと思うと、口惜しい。
「そう、詳しいね。まるで見てきたみたいに言うねえ」
「え、いえ……、病院で寝てる間に夢を見たんです。僕が飛鳥時代に暮らしてる夢。それで興味を持って調べてみたんです、いろいろ」
そう、あれは夢だったんだ。
夢の中の人と二度と会えないように、飛鳥時代に一緒に過ごした家族や仲間たちとは二度と会えないんだ。
「窪田先生は長生きしてくださいね」
「どうしたの、急に」
「え、いえ」
「よく、大病を患った人は人生観が変わるって聞くけど、そうなの? 」
「そんなんじゃないですけど」
「そうだ、前に言ってた、歴史探訪ツアー、身体が良くなったら計画立ててみる? 」
「ええ、行ってみたいです」
「僕も行きたいでーす」
他のボーイが言う。
「私も行きたいですね」
マスターも言う。
「じゃあ、この際、店の慰安旅行で行っちゃいます? 」
なんか、盛り上がった。でも飛鳥とか行ったら、懐かしくて泣いちゃいそうだ。
こうして飛鳥時代の話をしていると、三十年余りを過ごした飛鳥時代、その人々がとても懐かしく思える。
令和から飛鳥時代に転生した時、僕は家族や友人たちと二度と会えない悲しみを味わった。これが夢であるよう願って泣いた。
でもあの時は、悲嘆に暮れてる余裕がなかった。未知の世界でどう生きていくか、暮らしていくことに必死だった。それにまだ僕も若かった。飛鳥で暮らしていくうちに、たくさん大切な人がたくさんできて、令和のことを徐々に忘れた。
でも今は違う。五十歳過ぎて長年暮らした世界と愛する人たち全員を失ったのだ。
あれほど戻りたかった令和の世界を、まるで老後の余生のような気持ちで暮らしてる。
これからは僕は葛城皇子がいないこの世界で生きていくんだ。
僕はこの先、誰かを愛することができるのだろうか。この時代に戻ってきて、僕は幸せなんだろうか?
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