第23話・飛鳥最大のクーデター後編

 僕らは、宮から馬に乗り、あるいは歩いて飛鳥寺に向かった。寺に向かう道々「天皇に叛いた罪で、蘇我臣入鹿を葛城皇子が誅殺した」と叫びながら行進し、飛鳥中の豪族に向けてアナウンスした。人は雰囲気に流される。入鹿が何をしたかわからなくても「天皇に叛いた」という言葉を信じるのだ。

 飛鳥寺には、予め味方の巨勢臣や石川麻呂らの家臣の兵が召集されていた。それらの兵には前もって蘇我氏と戦うことを知らせていない。知ったら兵たちが恐れて逃げ出すと考えられたからだ。

 蘇我氏の氏寺に陣を敷くのはいささか抵抗があったが、他に適当な場所がないから仕方がない。高い塔から辺りを見渡せるのも、戦いには有利なのだ。

 訳がわからず召集された兵たちの前で、白い衣に赤く血の飛び散った様の葛城皇子は剣を振り上げ、叫んだ。

「我らは、逆賊蘇我臣入鹿を討ち取った。国を傾けようとする輩を断じて許してはならぬ。皆の者、正義のために戦うのだ! 」

「うおおお」

 兵たちは、状況を理解してはいないが、入鹿が討ち取られたということであれば、こちらについていれば間違いないと思っているのだろう。

「我と共に! 」

「うおおお」

 葛城皇子は興奮している。僕が冷静にならなければ。

「これからのことですが」

「当初の計画通り、毛人大臣に降伏を呼びかけましょう」

「降伏? なぜ戦わない? 」

 皇子は血を見て熱り立っているようだ。

「鞍作臣の骸を大臣の屋敷へ届けてきました」

 甘橿岡に行っていた兵たちが戻った。

「これを宣戦布告と取るか、観念して降伏するか」

 大臣には青天の霹靂であろう。どう出るか。僕としては、戦さにしたくはない。甘橿岡にある毛人大臣の屋敷は、この飛鳥寺からは目と鼻の先だ。


 これからどれだけ続くかわからない戦いの前に腹拵えをしようと、炊き出しを行なった。寺の竈門の大鍋で粥を作り、兵たちに配った。

「大臣の屋敷に兵が集まっているようです」

 僕らが粥を啜りながら作戦会議をしていると、飛鳥寺の塔から京中を見張っている物見が声を上げた。

「軍事に長けた大臣の軍と、まともに戦ったら不利です。工作をしましょう」

 経験豊富な巨勢臣が中心になって会議を進める。

「蘇我氏側の豪族たちに離反を促しましょう。天皇が鞍作臣の成敗を許したのだ、もし古人大兄を擁立して戦ったところで逆賊であることに変わりはない、と言いましょう。嫡男を失った大臣には、どのみちこの先の未来はないのだと説得します」

「しかし、一番厄介なのは蘇我家の家臣、東漢氏です。蘇我氏がここまでのしあがったのも、東漢氏の軍事力があったからとも言われています。彼らと戦うのは避けたいところ。ですが、彼らが説得に応じるとは思えません」

「戦えばよいではないか。我は戦いたい」

 葛城皇子が勇ましく言った。

「こちらは戦さに慣れていない者ばかり。日頃訓練された兵と戦うのは得策ではありません」

 僕は反対した。

「東漢氏に近く、話が通じる人間から説得工作を試みましょう」

 巨勢臣が冷静に言った。頼りになる将軍だ。

「アテがあるのですか」

「ええ、何人か。そういった人間から東漢氏に朝廷に歯向かわないよう説得してもらいます」

「うむ、任せよう」

 巨勢臣は、幾らかの兵を率いて飛鳥寺を出て行った。


 巨勢臣が説得に当たっている間、僕らは、もしうまくいかず蘇我氏の軍隊が攻めてきたらどうするか、話し合った。

「こちら側の被害はできるだけ少なくしたい。大臣に降伏を呼びかける使者を送りましょうか」

「ならば我が行こうか」

 皇子は何かしたくてウズウズしている。

「なりませぬ。皇子が行くくらいなら、私が行きます」

「では私が」

 石川麻呂が言いかけたが、僕は遮った。

「いえ、石川麻呂様にそのようなつらい役目はさせられません。大臣も、お身内の方から言われたら逆に意固地になるかもしれません」

「うむ……」

「そうだ、古人大兄はどうなさっている。もし、敵が古人大兄を擁立しようとするならば、その前になんとかせねば」

「誰か! 古人大兄の宮を偵察に行く者はいないか」

 葛城皇子が剣を持って立ち上がる。

「我が行く。殺してもいいか」

「ダメです! 皇子は座っててください! 」

 そうしている間に、次々と使者が現れる。

「私ども氏族は天皇に従います」

「天皇に恭順を誓います」

 口コミ効果と巨勢臣の説得でこちら側につく豪族がどんどん出てきた。ありがたい。

「この調子で、東漢氏も説得に応じてくれるといいのだが」


 日も暮れかかった頃、巨勢臣が飛鳥寺に戻ってきた。

「どうでしたか」

「高向臣からの説得が成功しました。東漢氏は膝をついて、兵を解散させました」

「おお、さすが巨勢臣」

「あとは大臣の兵だけですが、どれほどいるでしょうか」

「さほど多くないと思います」

「でも、これから暗くなります。夜襲に注意しないと。闇に紛れて葛城皇子ひとりを狙いにくるかもしれません」

「甘橿岡から駆け降りて来られたら、あっという間です。兵たちに交代で寝ずの番をさせましょう」


 僕らは庭に火を焚いて、葛城皇子の休む寺の周りに兵を配置した。

 緊張が解けない。僕は、寺の裏口の段に座った。

「中臣連も少しお休みになったほうがよいのでは」

 巨勢臣が隣に座った。

「ええ、気が立って眠れないのです。巨勢臣こそお休みになってください」

「私は慣れてますから」

「すごいですね。巨勢臣は勇気がおありになる。僕は意気地がなくて、全然ダメです」

 でも僕は、山背大兄の件以来、巨勢臣を今イチ信用できないでいる。本心が読めない。

「慣れですよ。それに今夜をやり過ごせば大丈夫でしょう」

「大丈夫とは」

 その時、物見が大声で伝えた。

「甘橿岡から火が上がっています」

「何」

「おそらく大臣の屋敷から火が出ているかと」

 僕らは互いに顔を合わせた。

「勝負あったようですな」


 巨勢臣の説得がものを言い、蘇我氏の有力な家臣団は次々と葛城皇子側へ寝返った。そうして孤立無縁となった大臣蘇我毛人は、観念し自邸に火を放ち自害したのだった。

 クーデターは成功し、蘇我宗家は滅びた。蘇我宗家の財産は全て没収され、家臣たちは天皇の臣として忠誠を改めて誓うことで罪を問われなかった。


 双方の軍隊が解散し混乱が収まると、蘇我大臣に替わって臣下をまとめる立場となった阿倍臣倉梯麻呂は、宝皇女の宮へ行き上奏した。

「この混乱を収めるには譲位なされますよう。臣下の総意は、軽皇子にあります」

 軽皇子や僕ら皆で打ち合わせ済みの話だ。

 天皇宝皇女は、即答しなかったと言う。

「少し考えさせてください」


 その直後、僕は葛城皇子に呼ばれた。

「母上が、我に位を譲りたいと言ってきた」

「葛城皇子はお若すぎます。兄上や叔父上がいらっしゃるのに年長者を差し置いて葛城皇子が立つのは、人の道に背くことになりましょう。本来ならば皇太子であった古人大兄。でも古人大兄はご辞退なされました。阿倍臣ら群卿が年長者の軽皇子を立てたいと言うのであれば、それでよろしかろうと」

「しかし、母上は我に位を譲りたいとおっしゃっているのだ」

「ではお訊きします。皇子はもう間人皇女とは関係は終わらせたのですね」

 僕の問いに、葛城皇子は目を逸らせた。

「いや、だが我が天皇になってしまえばそのようなことはどうにでもなろう」

「それは無理です。他の皇族や豪族たちの同意が得られません。無理に立とうとすれば、貴方様は」

「殺されるのか」

 葛城皇子は吐き捨てるように言った。

 そうして宝皇女は天皇の位を弟の軽皇子に譲り、自身は皇祖母尊(すめみおやのみこと)の名称を贈られた。

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