第39話・朝倉の雷神
そんなこんなで僕は忙しかったのだけれど、戦さに行っている兵たちには申し訳ないが、葛城皇子がいない飛鳥は平和だった。葛城皇子からの急な呼び出しもないし、京にいる人々も心なしか伸び伸びしているように見える。
ようやく落ち着いた夏の日、僕は飛鳥寺の講を聞きに行った。特に興味はなかったけど、貴族の嗜みという感じだ。
「よう」
佐伯子麻呂も来ていた。
「この歳になると、長期の旅はキツいんだよな。京に残れてよかったぜ」
子麻呂は笑っていた。
「大友皇子を守るように言われてるんだろ? 」
大友皇子は皇太子の息子ではあるが、正式に後継と認められていないからあくまでも数多いる皇孫のひとりだ。特別な警護はつかないし、家庭教師も葛城皇子が私的につけた人間だ。子麻呂は、表向きは京の留守居だが、僕と同じく葛城皇子から頼まれているに違いない。
「まあな」
「僕もだ」
僕らは並んで外へ出ると、庭の木陰で蹴鞠をしている若者たちがいる。
「大友皇子」
蹴鞠の輪にいた皇子が僕らに気付いた。
「こんにちは、内臣。佐伯連」
「こんにちは。良い陽気ですね。蹴鞠ですか」
「思い出しますな。私が皇子の父君と初めてお話ししたのが、ここ飛鳥寺の蹴鞠大会でした」
「そのようなことがあったのですか」
「今の皇子よりもう少し上くらいの年齢でしたかな、父君も蹴鞠が上手でした」
「一緒に蹴鞠をなされたのですか」
「いいえ、私はその時は見証を」
「内臣は蹴鞠が苦手なのですよ」
横で子麻呂が笑う。
「蹴鞠も武芸も佐伯連には敵いませんからな」
「今度、我にも武芸を教えてください」
「ええ、是非。いずれ武芸大会か蹴鞠大会などを開催しても面白いかもしれませんね」
「あの蹴鞠大会がなければ、私は今頃、父君と口も聞けなかったでしょう。皇子も、蹴鞠や行事を通じて良き友と知り合えたらよいですね」
「はい」
「素直な良い男子だ」
子麻呂が言った。
「うむ」
「こうして見てると、俺としては大友皇子でいいと思うのだがな」
「僕もそう思うよ。それでも反対する者は多い。この先どうなることやら」
「まあ、この戦さが終わったら、ぼちぼち皇子の結婚かな。有力な皇族の姫君と縁組したいところだろう」
「ああ。そうだな。……それにしても平和だ。戦場に行っている兵には申し訳ないが、こんなにのんびりしていいのかと思うよ」
「天皇も行幸気分で、筑紫に行く途中で伊予の温泉に寄ってくつろいでたみたいだから、いいんじゃないか」
「こんな生活が続けばいいのになあ」
そんな安気な気分を壊す早馬が筑紫から来た。
「大変です、天皇が……」
「どうした」
「天皇がお隠れになりました」
「なんだとぉ」
葛城皇子らが難波を出立し半年余り経った七月、天皇宝皇女が筑紫の朝倉宮で急な病により薨去した。
僕は右大臣と話し合った。
「さすがに、百済のことなど構ってる場合ではありませんね」
「ええ、ひとまず兵を引いて、服喪に努めるべきでしょう」
「百済より自国のほうが大切ですからね」
「皇太子の即位も急ぎ行わねば」
「殯宮の準備もしておきましょう」
それからは「皇太子が天皇の喪の儀式を行なった」「天皇の亡き骸を乗せた船が筑紫を出発した」「天皇の亡き骸は難波に着いた」等の報告が逐一送られてきた。
そんな最中、右大臣が僕にこっそり言った。
「聞かれましたか? 朝倉の雷神の話」
「なんです? 」
「筑紫の朝倉で行宮を作る時、朝倉神社の杜を切り開いて宮を作ったそうですよ。地元の者たちは反対したそうですが、天皇が、構わぬ、とおっしゃられて」
「はあ」
「そうしたら、宮に雷が落ち、近習の間に病が流行り、挙げ句の果ては天皇も……。皆は、朝倉神社の雷神の祟りだと申しておるそうですよ」
「それは本当のことですか」
「筑紫に行っている私の縁者からの話では、地元の者たちはそう噂して、朝倉宮に近付かないようになったとかで。まあ、そのような話が広がるとちょっとどうかと」
「そうですね。亡き天皇はわかりませんが、皇太子は元々祟りなど恐れぬと言っておられたくらいですからね。天皇となられるからには、古来の神を大事になさらないと悪評が立っては具合が良くないですね」
「真に、その通りなんですよ」
「では、皇太子は、即位したら神祇祭祀に力を入れてもらいましょう」
「ええ」
そして十一月、真っ白な麻の喪服に身を包んだ葛城皇子が、天皇の亡き骸と共に飛鳥に到着した。
葛城皇子は、殯宮にて天皇に発哀の礼を捧げた後、僕らに言った。
「我はまた筑紫に戻る」
「即位の儀はどうなさいます」
「今は戦時下だ、我は即位はせぬ。皇太子のまま、政を行う」
僕と右大臣は顔を見合わせた。
「しかし、そのようなことでは」
「新羅との戦いが急務だ。軍を解いて将軍たちを呼び戻し、即位の儀式を行なうなど、その間に百済がどうなるかわからぬだろう」
「確かにそうですが」
右大臣は渋々了承した。
僕がいろいろ言いたいことを飲み込んでいる気配を感じて、葛城皇子は言った。
「新羅との戦さが終わって落ち着いてからだ、それでよいな、鎌足」
言い出したら聞かない性格はわかっている。
「……ええ、わかりました。必ずですよ」
「我は、必ず、この戦さをやり遂げねばならないのだ」
ふと、もしかしたら葛城皇子は自ら大陸へ渡るつもりではないか、そしてもう帰って来ないつもりではないか、と僕は予感した。
いや、いっそ帰って来なければいい、そのほうがこの国にとっては良いのかもしれない。そうしたら僕は、二度と葛城皇子に振り回されることはなくなるのだ。
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