第10話・大参謀誕生
天皇が帰京したのは僕の服忌が明けてしばらくの後、四月に入ってからだった。
「今回は長かったですな」
早速僕は爺に連れられて、いや、爺を連れて宮殿へ行った。
「この度、私は、中臣連鎌足と改名し、中臣連の家督を継ぎますことをお許しくださいましたこと、ありがたき幸せにございます。この中臣連鎌足、千代に八千代に心より天皇にお仕えいたします」
椅子に座る天皇に対し、胸の前に挙げた両手を上げ、深く拝礼した。
「中臣連鎌足よ。これからも尽くすが良い」
さあ、これから僕は正式に中臣鎌足の人生を歩むのだ。
天皇への挨拶を終えると、僕は軽皇子の宮へ行った。
僕が中臣家を継いだことや改名したことを、天皇に挨拶する前に軽皇子に報告してはいけないかなと思って、ずっと天皇の帰京を待っていたのだが、天皇の帰りが遅かったから、今まで報告できなかった。やっと挨拶できる。
「おお。よく来た、久しぶりじゃの。ずいぶんと長い間会わなかった。我は寂しかったぞ」
顔から喜びが溢れ出ている。全部顔に出る人だ。
僕がまず、天皇にした時と同じように挨拶をした。
「中臣連鎌足。良い名じゃ。うむ。その名に恥じぬよう」
「は」
と、かしこまった挨拶はそこまでで、その後、食事をご馳走になりながら、それまでの出来事などを聞いた。
「そちがいない新春祝賀などつまらないものぞ。鎌子。だから今年の賭弓はやめた。見るのもやめた」
「殿下」
年甲斐もなく駄々っ子のような軽皇子に、僕は思わず笑った。
軽皇子も一緒になって笑い、嬉しそうだった。向こうのほうがうんと年上だけど、精神年齢は僕のが大人なんじゃないの。なんだかんだでいい友達だ、僕ら。こういうの、嫌じゃない。
ちなみにさっきから「鎌子」と呼ばれているが、この時代の「子」とは尊敬と親愛を込めた呼び方だ。軽皇子的には親しみの表現だ。
食事が終わると、軽皇子が言った。
「さて、ずっとそちに見せたかったものがある」
その言葉が合図のように、采女が生まれたばかりの赤ん坊を抱いて部屋に入ってきた。
「? 」
「我の子じゃ。そちと会わない間、小足媛が産んだのじゃ」
「おお、それは、おめでとうございます! 女の子ですか、それとも」
小足媛が妊娠していたことを僕は全く知らなかった。この時代、無事に生まれるまで公にしないのは多々あることだけれど。
「皇子じゃ。有間皇子という。この三月にな、めでたく生まれたのじゃ。もう、大変な騒ぎだった」
三月。ちょっと待て。
「どうだ、かわいいものじゃろ」
ちょっと待てって。月日を数えると、微妙な日数だ。あの時の僕の子かもしれないし、そうじゃないかもしれないし。
「抱いてみよ」
「そんな、恐れ多い」
僕は答えながら、背中に変な汗をかいた。
「我はのぉ、この皇子が生まれて、考えが変わったのじゃ」
皇子は赤ん坊の頬を指の先で撫でながら言った。
「これまで我は自身が天皇になるなど考えもしなかった。そちに言われた時も、ピンとこなかった。しかし、こうしてこの子を抱いてみると、この子を天皇にしてやりたいと思うのじゃ」
「! 」
驚いて軽皇子の顔を見ると、ニンマリ笑った。
「よい考えじゃろう。鎌子、そちも協力しておくれ」
どういうことだ。軽皇子だって小足媛だって薄々気付いてるはずだろう、この子がもしかしたら僕の子かもしれないことを。
「……」
「我はそちと会うまで、人生など大したものではないと思っていた。楽しいことなどない。だが、今、そちとこうして時を過ごすのが楽しいし、何より、この幼子が可愛い。皇子が我の生きがいとなったのじゃ」
もしかして、僕の子だと確信してて天皇にしようとしているのか?
「よいだろう、鎌子」
「はっ」
善いも悪いもないだろう。協力する以外ないじゃないか。
これまで僕は、軽皇子が天皇になってくれたらいいとなんとなく思っていた。
だが、今、決心した。
軽皇子を天皇にして、さらに軽皇子の、もしかしたら僕の息子かもしれない有間皇子を天皇にしようと思う。もしかしたら歴史に逆らうことかも知れないけど、僕は軽皇子の参謀として働く。これがこの時代での僕の生き方、そう決めた。
大参謀、中臣鎌足、今ここに誕生。
さてさて、これからの人生だが、僕が中臣鎌足だったということで、知っているこの先の飛鳥時代の知識を整理しよう。
この先
・たぶん舒明天皇が死ぬ
・乙巳の変。中大兄皇子と僕が中心となって蘇我入鹿を殺す
・虫を殺して大化の改新
・中大兄皇子は天智天皇になる
・僕は死の前日に天智天皇から藤原の姓をもらう
・息子は藤原不比等
・白村江の戦いで日本軍が負け、百済滅亡。僕が生きてる時なのか不明
・天智天皇が死んだ後に、息子の大友皇子と大海人皇子が戦って、大海人皇子が勝利、天武天皇となる。その頃には僕はいない、たぶん
以上。
舒明天皇の後、誰が天皇になったか、覚えていない。この時代の天皇で覚えているのは、天智天皇、次に大友皇子が即位して弘文天皇、次が天武天皇。それだけだ。軽皇子と有間皇子が天皇になるかどうかは知らない。逆に考えれば、変な先入観に左右されなくてすむ。勉強不足でよかった。
この通りにストーリーが進むのか、それとも僕の動きによって歴史が変わるのか、その時になってみないとわからない。まあ、深く考えずに僕らしく生きよう。
中臣家を継いだ僕は冠位をもらった。それから、爺から言われた通り、神祇祭祀の仕事の時には僕は国子叔父に積極的にくっついて、国子叔父の息子の国足と一緒に行動した。それ以外は国子叔父の手伝いで神祇職の仕事をすることもある。といっても、仕事はそんなに多くない。基本的に僕は所領からの年貢で食べていけるから、仕事は形だけのものだ。
神祇伯は国子叔父だが、僕は一応、中臣家の本流の主人だ。群卿が集まる会議には僕も参加する。苦手な蘇我入鹿もいるが、相手はほぼ一番上座、僕はずっと離れて下座だから、意識して目を合わせようとしなければ大丈夫。何が大丈夫なのかわからないけど。
「軽皇子がご結婚なさって御子が生まれたのは大変おめでたいことでございます」
ある日、夕食を食べながら、爺が言いだした。
「ですが」
「皇子のことを言っている立場じゃございません。殿は、ご自身の嫁取りをもっと真剣にお考えになったほうがよろしいと思います。中臣の家のためにも、早くにご後嗣を作らねばなりません」
ああ、僕の苦手系の話、キタ。
「やはり殿様がご存命の時に決めておくべきでした。国足様など、殿よりお若いのに来月ご結婚なさるそうですよ。こちらのほうが本家とはいえ、父親がいないことがどんなに不利なことか。ああ、本当に国子様は抜け目のない」
爺は相変わらず国子叔父を警戒している。でもまあ、こっちはいくら美形でも、両親がいなくて定職につかず親の遺産で遊んで暮らしてる男だもん。仕方ないよね。
「蘇我倉山田臣や大伴連にも、ふさわしい娘がいないかお声をかけさせていただいておりますが、なかなかどうして。殿も、軽皇子とそれほど親しいのなら、軽皇子から良いご縁を紹介していただくとか、お考えくださいまし」
はいはいはい。あっ! そうだ。
僕が「殿様」になってからは僕の世話係は年配の小間使いが担当し、トヨが僕の部屋に来ることは少なくなっていた。でもやはり、僕はトヨの方が話しやすいし馴染みがあって気が楽だ。
「それなんだが」
僕は背筋を伸ばした。
「爺の孫娘、トヨを嫁にもらいたい」
爺が血相を変えた。
「なりませぬ! それはなりませぬ」
え、だって、主人の妻になるのは玉の輿ってやつで、爺は喜ぶべきじゃないの?
「代々続く中臣の正妻は、きちんとした身分の娘でなければなりませぬ。まだ正妻を娶っていないのに、使用人の娘を娶うなどいけませぬ。まず、正妻を娶って、それからならトヨを妾とするのはかまいませぬが、正妻より先にトヨはなりませぬ」
「は、はい……」
すごい……。この人は、根っからの執事なんだ。自分の孫娘の幸せより、主家のことをまず考えるという。すごい。すごすぎる。
仕方ない。他の女性を考えよう。というか、僕は爺が薦める女性なら誰でも構わないのに。逆に、勝手に決めちゃってほしいくらいだ。
ところで、問題は軽皇子を天皇にする件だ。僕は本気で作戦を考えてはいるのだが、そもそも軽皇子は天皇になれるのだろうか。日本史の中で、軽皇子の名を聞いたことがない。まあ、昔はみんな名前を二つ三つ持っていて、立派になったら改名するみたいなのも多いし、現に僕がそうだ。もしかしたら知ってる人なのかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます