第27話

 家のドアノッカーが音を立てる。

 メアリは弾かれるように身を起こした。


 今夜はセドリックと約束をしているが、迎えは断っている。

 家の場所を教えたこともないので、彼が来ることはないはずだった。


「こんな時間に、一体誰かしら?」


 まさか、セドリックが心配して迎えに来てくれたのだろうか。

 礼儀正しい彼のことだ。女性に夜歩きなんてさせられないと、どうにか家を特定して来てくれたのかもしれない。


 一歩間違えば、一方的に相手につきまとうしつこい男のような行動である。

 だがメアリには、まるで親切な行いのように思えた。


(きっと、彼が紳士だからね)


 清く、正しく、美しく。

 その心根はどこまでもまっすぐで、歪みない。

 犯罪者まがいの行動を、彼がするはずがないのである。


 玄関へ向かったメアリは、扉に取り付けた自作の拡大機能付き覗き窓ドアスコープをのぞいた。

 廊下の景色が、広がって見える。中央に見える人物に、メアリは「げ」と声を漏らした。


「おい、メアリ。そこにいるのだろう?」


 偉そうな声に、メアリは顔をしかめる。

 間違えようもない。声の主は幼馴染みのデンバーで、赤らんだ顔から察するに彼は少々酔っているようだった。


 メアリが住んでいるアパートは、侯爵夫人が手配したということもあって、良い物件だ。

 住んでいる人たちも、メアリのことを遠巻きにしてはいるが、あいさつ程度はしてくれる。


(ここを追い出されたく、ないのです!)


 これ以上の物件など、なかなかお目にかかれるものではない。

 なので、ここで騒がれるのは非常に困る。


 居留守を決め込もうとしたメアリだったが、デンバーには筒抜けのようだ。

 ダンダンと激しく扉をたたかれて、メアリの眉間に深い皺が刻まれる。


 この時間、アパートの住人たちは家族団欒だんらんの時を過ごしているに違いない。

 それをデンバーの、酒の匂いを微かに感じるような上擦った声で、水を差してはならないのである。


 メアリは心底面倒臭くてたまらなかった。

 うんざりした気持ちを隠すこともなく、心から嫌そうな顔をして扉を開ける。


「デンバー。静かにしてちょうだい。迷惑よ」


「うるさい。おまえのせいで、ここへ来る羽目になったのだぞ」


 扉を開けると、デンバーはメアリを押し退けて部屋へ入ってきた。

 幼馴染みとはいえ、許される行動ではない。

 我が物顔でソファへ腰掛け、だらしなく背を預けるデンバーに、メアリの表情が凍る。


「どうして私のせいになるのよ?」


「用があったのだ。だから思い出あずかり屋へわざわざ行ってやったのに、店が閉まっていて……。どうしていないんだ。いつもなら、作業部屋にいる時間だろう」


 わざわざ行ってやった、ですって?

 メアリは言葉を飲み込んだ。言えばややこしくなるのがわかっていたからだ。


 しかし、腑に落ちない。

 デンバーは、思い出あずかり屋で働く一員なのだ。毎日出勤するのが当然であるのに、わざわざ行ってやったとは。


(自覚が足りないのかしら?)


 そろそろ解雇すべきなのかもしれない。

 次に侯爵夫人が店に来た時にでも相談しようと考えながら、メアリはデンバーの前へ立った。


「見てわからない? 今から出かけるところなの。だからもう、帰ってちょうだい」


 これみよがしに目の前でくるりと回ってみせたら、デンバーは驚いた顔をしていた。

 それからジロジロと不躾にメアリの格好を確認する。


「ふん。おまえにしては、なかなか良いじゃないか」


「あらそう。ありがとう」


 貴族令嬢としての振る舞いは、母親からきっちりと仕込まれている。

 メアリは淑女らしく華麗にお辞儀してみせた。


 彼女の、令嬢とは思えない格好や言動に慣れているデンバーは、久しぶりに見た令嬢らしいメアリに居心地が悪そうだ。

 目を逸らして咳払いをする彼の首が赤いのは、きっと酔っているせいだろう。


(デンバーを照れさせるような魅力が、私にあるとは思えませんもの)


 わかっていますともとメアリが納得していると、不意にデンバーが立ち上がった。

 メアリの出で立ちを改めて確認するように、ゆったりとした足取りで彼女の周りを回る。


「で? どこへ行くんだ?」


「あなたには、関係ないでしょう」


「外、雨が降り始めたぞ。馬車が待っている様子もなかったし、どこへ行くつもりなんだ」


「どこだっていいじゃない」


 さすが、酔っ払い。話が通じない。

 まるでメアリを自分の所有物とでも思っているような物言いだ。

 二人はただの幼馴染みでしかないというのに、お門違いも甚だしい。


(姉を取られると心配している、嫉妬深い弟ってこんな感じなのかしら?)


「……どうせ、幽霊公爵のところなんだろう」


 デンバーのつぶやきはあまりに小さくて、メアリは聞き取ることができなかった。

 彼の不貞腐れるような顔に「あら?」と思ったものの、


「そうだなぁ……帰ってやってもいいが、条件がある」


 と、面倒ごとの予感しかしない台詞せりふを吐かれてゲンナリする。


「条件って、なに?」


「思い出あずかり屋の鍵を渡せ。どうしても、今日中に店へ入りたいのだ」


「何をするつもりなの」


 まさか交霊会をしようとしているのでは、とメアリは警戒心もあらわにデンバーをにらんだ。

 彼は居心地悪そうに首の後ろを掻きながら、視線を泳がせる。


「その……あれだよ……」


「あれじゃあ、わからないわ」


「……匿ってくれ」


「デンバー……」


 とうとうやらかしたのね?とメアリはため息を吐きながら仰いだ。

 おおかた、手を出してはいけない女性に手を出し、夫か婚約者か恋人に見つかって追われているのだろう。

 うまくやっていると豪語していたはずだが、やはり完璧とはいかなかったらしい。


「……頼むよ、メアリ」


 酒のせいなのか、それとも本当に困りきっているのか。

 潤んだ目で見上げてくるのはずるい。

 幼い頃の彼の姿と重なって、ついかばいたくなってしまう。


 メアリはため息を吐いた。

 その途端、デンバーの表情がパッと明るくなる。


 彼は覚えているのだ。いざという時、どうすればメアリが言うことを聞いてくれるのか。

 そして今、バレてしまった。幼い頃に身につけたこの技は今も通用する、と。


「渡せるのは作業部屋の鍵だけよ。それ以外は渡せない」


「ああ、十分だ。ありがとう、メアリ」


 ニコニコと女性を口説くときの胡散臭い顔で微笑むデンバーに、メアリは肩を震わせた。

 気持ち悪くて、ゾクゾクする。そう、悪寒である。


 自身の顔の良さを過信しているデンバーは、メアリがときめいたと思っているらしい。

 フフンと上機嫌に歩き出したかと思えば、「気分が良いから、送ってやろう」とのたまった。


 どうやら彼は、アパートの前に馬車を待たせているらしい。

 デンバーと向かい合わせに座る面倒臭さと、雨の中をドレス姿で移動する面倒臭さ。どちらがより厄介だろうか。


 二つを天秤てんびんにかけた結果、メアリは後者を選んだのだった。

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