第42話

「神よ、悪魔よ、我は求め訴えたり……」


 デンバーの求めに応えるかのように、風が足元を吹き抜けていく。

 あまりのタイミングの良さに、デンバーは「ぎゃあ」と悲鳴を上げて立ち上がった。メアリはそれを、手を引いて押し留める。


「デンバー、落ち着いて。ただの風よ」


 とっさに反応できたのは、その風が合図だと知っていたからだ。

 そうでなければ、今頃はゴーストが起こす怪奇現象について、頭を悩ませていたに違いない。


(ミストスクリーンは問題なく準備完了。次のフェイズへ移るのですね。了解ですわ……!)


 風に巻き上げられた霧が、メアリとデンバーの顔を曖昧にしていく。

 おびえたデンバーが「帰ろう、メアリ」と提案してきたが、彼女はケロリと答えた。


「帰りません。だって、これで条件がそろったのですから」


「条件?」


「ええ、そうよ。交霊会では、部屋を暗くするものでしょう? 手をつないでいる人の顔が、見えなくなるくらい。相手が見知った人かどうか、判別できなくなるくらい」


 私、勉強してきたのよ。

 メアリが鼻高々に宣言すると、すでに勉強済みだったデンバーは、歯切れ悪く「そうだとも」と答えた。


 メアリは知っていて、デンバーは知らないことがある。

 それは彼にとって、鼻持ちならないことらしい。


(まぁ、こちらとしては都合が良くて助かりますが)


「なにか言ったか?」


「いいえ。では、続けましょう」


 改めてテーブルの上へ手を落ち着けると、先ほどよりも強く握られる。

 メアリの手を命綱とでも思っているのだろうか。

 抱きついてくるのではないかとヒヤヒヤしながら、メアリはいざというときは転んででも逃げ延びようと心に決めた。


(そろそろ、頃合いかしら)


 耳をすませば、虫の羽音のような微かな機械音が聞こえてくる。

 それは、すべての準備が完了していることを意味していた。


 メアリは事前に仕込んでいた仕掛けを作動させるため、こっそりと足を伸ばした。

 テーブルの脚に取り付けていたボタンを押した途端、テーブルがガタガタと揺れ始める。


「あらあら、どなたかがいらっしゃったみたい」


「うそだろう……」


 のんきに喜ぶメアリを、デンバーは青ざめた顔で見つめている。

 いや、メアリというよりメアリの後ろと言うのが正しいだろう。

 霧のせいで様子が分かりづらいが、どうやら彼はメアリの背後に、見てはいけないものを見てしまったらしい。


「どうしたの?」


「あ……ああ……」


 デンバーは目を見開き、瞬きもできないようだった。顎と唇は震えて、叫び声すら出せないらしい。

 彼の目には、ゆらゆらと風に揺れるドレスを着た、生きた人間とは思えない女性の姿が見えていることだろう。


「様子がおかしいわ。まさか、悪霊に乗っ取られてしまったのかしら」


 何度もシミュレーションしていたおかげか、白々しい台詞せりふが流れるように出てくる。

 言えなかったらどうしようと、セドリックを相手に何度も練習した甲斐があった。


 金縛りにあったかのように身動きしなかったデンバーだが、メアリの声に呪縛が解けたらしい。

 血走った目で彼女を見たかと思えば、平時では考えられない俊敏さでテーブルを乗りこえ、メアリに抱き着いてきた。


 椅子ごと後ろに倒され、床に押し倒される。

 二人分の体重を背中に受けて、メアリは咳き込んだ。


「ゴホッ……ゲホッ……デ、ンバー、離して……」


「嫌だ、離さない! おまえだけ逃げるなんて、許さないからな!」


 なにがなんでも生き延びる。たとえ、メアリを犠牲にしてでも。

 聞こえてきたつぶやきは、紳士的とは到底言えないものだった。


 縋られていると思ったが、そうではない。

 彼はただ、自分の代わりにメアリを差し出そうとしていただけだったのだ。


「怒っているのか? 頼む、呪いたいならこいつにしてくれ! 僕は頼まれて、仕方なくやっただけだ!」


 投げ出されたままだった腕を上げて、デンバーの背中をつかむ。

 無抵抗よりマシだと背中を引っ張るが、彼を刺激するだけだった。


 ギュウギュウと締め上げられて、苦しい。

 気合いを入れてドレスを着る時だって、ここまできつく締め上げたりしない。


(コルセットを締めてくれたメイドの皆さん、苦しいって怒ってごめんなさい。あれでも加減してくれていたのよね? きっと)


 苦しさに、涙がにじむ。

 頭の冷静な部分ではこれくらいでは死ぬことはないと訴えていたが、本能は警鐘を鳴らしていた。


 視界が不明瞭なのは、霧のせいか、涙のせいか。

 そんな中メアリが見たのは、本でしか見たことがない、ルカ・ブレゲの顔だった。


「し、しょう……?」


 まさか、お迎えが来てしまったのだろうか。

 そう思った瞬間、セドリックと過ごした楽しい時間が走馬灯のように頭の中を駆け巡っていった。


「メアリ!」


 名前を呼ばれ、急に圧迫がなくなる。

 足りない酸素を補おうとしたのかヒュッと大きく息を吸うと、それが肺の許容量を超えていたせいで激しく咽せた。


「ゲホゲホッ、……」


 なかなか息が整わなくて、メアリはゼェゼェと息を吐く。

 苦しそうな彼女を、セドリックはやわらかく抱きしめた。


「ゆっくり……息を吐いて。私が十数えますので、それに合わせて。……いいですね?」


 一、二、三、四。

 言われた通りにしたいのに、うまくいかない。

 焦るメアリの背中を撫でながら、セドリックは何度も一から数えてくれた。


「……そうです。上手ですよ」


 だんだんと、呼吸が落ち着いてくる。


「えらい、えらい」


 頭を撫でられて、もう自分は大丈夫なのだと思ったら、涙腺が壊れてしまったかのように涙がポロポロこぼれた。


「突然抱きついてすまない。怖かったな」


 慌てて離れていくセドリックへ、メアリはすがるように腕を伸ばした。


「ちがう、ちがいます……!」


 うまい言葉が見つからない子どもみたいに、そうではないとメアリは頭を横に振る。


「……こわ、かった」


「ああ」


「殺されちゃうかもって思ったら……怖かったよぉぉ……」


 メアリはセドリックの胸へ顔を押し付けるように、強く抱きついた。

 そのまま子どもみたいにわんわん泣きながら、「あなたともっとやりたいことがあるのに」「死んじゃったらできないじゃないの」とセドリックに怒る。


 完全なる八つ当たりなのに、セドリックは怒りもしない。うんうんと優しくうなずきながら、メアリを寝かしつけるかのように優しく抱擁し続けた。


 やがて、泣き疲れたメアリは気絶するようにセドリックの腕の中で眠りに落ちた。

 真っ赤になった目元が痛々しい。

 セドリックは彼女を難なく抱き上げると、濡れたまつ毛を拭うようにキスを落とした。


 彼女を家へ送るべく歩き出したところで、昏倒しているデンバーの姿が視界に入る。

 その瞬間、今まで感じたことのないような熱い怒りが込み上げ、セドリックは腹立ち紛れにデンバーを蹴っていた。

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