6章 公爵様のプロポーズ

第43話

 ファンタスマゴリーの最終点検を兼ねたリハーサル──もとい、忠告を無視するデンバーを死ぬほど怖がらせて交霊会を諦めさせよう作戦で、メアリは学んだことがある。


 それは、『死ぬほど怖がらせた人間は、何をしでかすかわからない』ということだ。


窮鼠きゅうそ猫を噛むとは、よく言ったものですわ)


 作業部屋の窓へ寄りかかり、相変わらずの曇天を見上げながらメアリは思った。


 追い詰められたねずみ、もといデンバーによってできた背中のあざはまだうっすらと残っている。

 腹は立つが、ある意味では自業自得なので文句は言えない。


 それに、デンバーの方はメアリよりもつらい目に遭っているそうなので、これ以上責めるのはかわいそうかなぁとも思うのだ。


 彼は現在、ブラウン伯爵の屋敷で軟禁ほごされている。

 そして、この国で一番厳しく実績も確かな家庭教師にみっちりとしごかれているらしい。


 屋敷からは時折、青年の情けない泣き言と叱咤激励しったげきれいする令嬢の声が聞こえてくるのだとか。


 あの夜、メアリとセドリックが去ったあとに目を覚ましたデンバーは、懇意にしていたブラウン伯爵家の令嬢に助けを求めた。


 頭のネジが飛んでいるような突拍子もないことを喚くデンバーに、蓄音機グラモフォンの一件ですっかり彼に心を奪われていた令嬢は、「私がお助けしなくては!」と思ったようだ。


『デンバー様をお支えしたいのです』


 令嬢の願いを、父であるブラウン伯爵は当然のことながら良しとしなかった。


 だが、夫人の容体が思わしくないためにどんどん気落ちしていった娘が、ここ最近なかったくらい生き生きとした顔をしているのを見て、しばらくは様子を見ることにしたようである。


 デンバーがブラウン家に迎え入れてもらえるかは、彼の頑張り次第だろう。


 男爵家の三男が、伯爵家の令嬢と婚約──はたから見れば羨ましい逆玉の輿だが、うわさに聞くやり手家庭教師の手腕を考えると、御愁傷様と言わざるを得ない。


「交霊会を諦めなかった代償にしては、やり過ぎのような気もしますが……」


 すぐ近くで椅子に腰掛けながらビスコッティを頬張っていたセドリックは、ケロリとしている。

 指先についたかけらを舐めるのは決して行儀が良いことではないのに、彼がすると荘厳な絵画のように見えるから不思議だ。


 あの夜の出来事はデンバーの生活を一変させたが、セドリックにも変化をもたらしていた。


 取り繕っていた仮面が外れたというか。

 家族に見せるような無防備な姿を見せるようになった。


(気のせいでしょうか……?)


 今はまだ戸惑いが大きいけれど、同じくらいうれしくもある。

 だって、彼の半生を思えば、こんな風に気を楽にすることは難しかっただろうから。


「ブラウン伯爵令嬢との仲を取り持ったと思えば良い」


 清々しい顔で言い切られると、それもそうかという気になってくる。

 納得するようにうなずきを返すと、セドリックは「それに、彼の自業自得でもある」と言った。


「どうやら彼は、複数の女性に助けを求めていたらしい。誰にも取り合ってもらえず、唯一手を差し伸べたのがブラウン伯爵令嬢だった」


「デンバーへの仕打ちは、令嬢の嫉妬も多少含まれていると?」


「おそらくは」


 好きな人に助けを求められて舞い上がっていたところへ、実は助けを求めたのは自分だけではなかったと知る。令嬢が嫉妬するのは当然だ。


 彼女の怒りの矛先が、女性たちではなくデンバーへ向かったのは幸いだった。

 保護するという名目で彼を軟禁し、入り婿教育と称して家庭教師をつけて逃げだせないようにして──。

 せっかく捕まえたのだから絶対に逃さないという、なかなかに重い愛を感じる。


(そんな心配は無用なのに)


 だってデンバーは、彼が言うほどモテてはいなかった。


 うわさというものは、尾ひれがつくものだ。

 デンバー本人が言っていたからメアリは疑いもしなかったが──まるで興味がなかったので聞き流していたとも言う──実際は愛玩されていたらしい。


 顔だけは良いが、中身はすっからかん。

 アクセサリーとしてそばに置くのは良いけれど、恋人としても夫としても不適格。


 デンバーに対し国一番の家庭教師をつけたのは、悪評をそそぐためでもあるのだろう。

 侯爵夫人の影がチラつくのは、きっと気のせいではないはずだ。


(女たらしかと思っていたら、ペット扱いされていたなんて……)


 デンバーが知ったら、顔を真っ赤にして今にも破裂しそうなくらい怒るに違いない。

 もっとも今は、それどころではないだろうが。


 家庭教師をつけることで彼がどのように変わるのか、見ものである。


「そうだ、忘れていた。メアリ宛ての手紙を、預かってきている」


 メアリは、差し出された二通の手紙を受け取った。


『メアリ・ベケットさまへ』


 一通目は、子どもが書いた手紙のようだった。


 消印のないそれは、直接教会へ届けられたものなのだろう。

 開けてみると、子どもらしい伸びやかな字で、先日行われたファンタスマゴリーについて書かれていた。


「──あんなすごいものを女の人がつくったなんて信じられない、か……」


 デンバーの怖がりようを見て、本番では映像を差し替えた。

 記念行事の場が阿鼻叫喚あびきょうかんになっては、意味がないからだ。


 新たに作成したのは、ゴーストたちの舞踏会。墓石の間をクルクルと踊るゴーストたちはどこかコミカルで、大人から子どもまで楽しませてくれた。

 演者を招集してくれた、神父に感謝である。


「彼女はね、目をキラキラさせて聞いてきたよ。私もメアリ様のようになれますかって」


 まるで自分が褒められたかのように嬉しそうな顔をして報告するセドリックに、しかしメアリは浮かない顔である。

 彼女はファンタスマゴリーが大盛況をおさめてなお、自信がなかった。


「この国では、女性が機械をいじることに寛容ではないですから……」


「そうかな?」


 セドリックはメアリに渡した二通目の手紙を引き出すと、丁寧に開いて彼女へ見せた。


【登録通知書】


 そう書かれた書類に、メアリは目をまん丸にする。


「え……⁉︎」


 問いかけるようにセドリックを見ると、彼はまぶしいくらい爽やかな顔でにっこりと微笑んでいる。


「あなたのものだよ」


 セドリックは、メアリに確かめさせるように書類を手に持たせた。


 一枚目をめくって二枚目を見ると、『特許登録証』の文字が目に入ってくる。

 メアリは弾かれるように顔を上げ、困惑と焦燥が混じる表情でセドリックを見た。


「私、申請なんてしていません」


「私が勝手にした。どうしても、あなたに自信を持ってもらいたくて」


 すまないと謝るセドリックに、メアリは何を言えばいいのかわからなかった。

 持っている書類をぎゅっと胸に押し抱いて、唇を引き結ぶ。


「ファンタスマゴリーへ特許庁の審査官を招待して、審査してもらった。一般的な審査ではないから、辛口評価にすると言われていたが……。それでも登録されるに値するものだったのだろう」


「どうしてそこまで……」


 異例をつくるには、大変な下準備が必要だったはずだ。

 相手が特許庁の審査官ともなれば、なおさらである。


(アールグレーン様はどうしてここまでしてくださるの?)


 みんなから遠巻きにされる風変わり令嬢を哀れんでいるだけにしては、やりすぎなくらいだ。


 胸が苦しい。

 この感情は、何だろう。


「こんなにもすばらしい技術を、自慢しないではいられなかった。いや、違うな。私は、メアリのことを見せびらかしたかったのだ」


「見せびらかしたかった……?」


「あなたは私の誇りだ、メアリ。あなたという人を友に持つ私は、幸せ者だと思う」


「そんな」


「謙遜しないで。本当のことなのだから、胸を張っていればいい」


 淡い青の目が、同意を求めるようにメアリを見守っている。


 まだ言葉にする勇気はでない。

 けれど、そこまで思ってくれている彼に少しでもお返ししたくて、メアリは小さくうなずきを返した。


「それから……」


 まだ何かあるのだろうか。

 セドリックの様子を見るに、悪い話ではなさそうだが。


 できればそのお願いも聞いてあげたいと思いながら、メアリは次の言葉を待った。

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