第41話

 メアリの読み通り、墓地へ着く頃には濃い霧が辺りを覆っていた。

 墓地周辺は特に霧が発生しやすいのか、大通りよりも視界が悪い。

 おあつらえ向きの環境が整っていることを確認したあと、メアリは教会に向かって感謝の意をささげた。


「な、なぁ。こんなに霧が濃くては無理だ。帰ろう、メアリ」


 墓地へ一歩足を踏み入れた途端、デンバーが弱音を吐いた。

 幼い頃そうしていたようにメアリの背中にへばりついて、オドオドと周囲を見回している。

 メアリはあきれたように目をぐるりと回し、それから特大のため息をこれみよがしに吐いた。


「デンバー。ロディム街の濃霧はよくあることよ。これくらいで泣き言を言うなんて、まだまだ子どもね」


「子どもじゃないっ」


 反射的に言い返すデンバーを、メアリは胡乱うろんな目付きで見遣った。


「だから、子どもじゃないって言っているだろう!」


 躍起になって答えているあたり、自覚はあるようだ。

 これ以上言ってヘソを曲げられても厄介なので、メアリは「はいはい」と適当に答えた。


「では、行きましょうか」


「あ……ああ!」


 偉ぶった態度で答えたデンバーだが、どう見ても空いばりだ。

 メアリが物言いたげな視線を向けると、


「レ、レディファーストだ! 僕は紳士だからな!」


 などとのたまった。


(なにがレディファーストですか。結局は盾にしているだけではありませんか)


 しかし、この様子なら一人で逃げ出すことはなさそうだ。

 そこだけは安心だと、メアリは軽やかな足取りで歩き出した。


 濃霧であろうと、メアリの歩みに迷いはない。

 もう何度となく通い詰めた道だから、視界が悪いくらいでは困らないのだ。

 ブレゲの墓なら、考え事をしながらでも歩いていける。


(そう言えば、随分前に進路を妨害されたことがあったような……?)


 考え事をしながら歩いている時、人々はメアリのことを避けて通る。

 だから、何かに邪魔されるなんてことは、あの時が初めてだった。


(よく吠えるマルチーズは思い出せるのですが……。それ以外はあやふやですわ)


 考え事をしていると、あっという間に時は過ぎていく。

 気付けば目の前に、目的地であるあずまやガゼボが、霧の中でぼんやりと浮かび上がっていた。


 ガゼボはまるで怪奇小説に出てくる崖の上の古城のような、あやしい雰囲気を漂わせている。

 今にも吸血鬼だとか首なし騎士だとかが霧の中から出てきそうだ。


 背後でデンバーがヒュッと息を飲む。

 チラリと盗み見てみると、ご自慢の顔は恐怖に歪み、鼻の穴が膨らんでまん丸になっていた。


「あらあら、なんて幻想的なのかしら。今夜は交霊会にぴったりの夜ね、デンバー?」


「いや、霧が濃すぎる。テーブルが揺れても、気付けないかもしれない。今日はやめよう、メアリ。なんだか嫌な予感がする」


「嫌な予感? まぁ、ゴーストが出てくる予兆かもしれませんわ!」


 メアリはデンバーを置いて、ガゼボへ足を踏み入れた。

 中央には木製の小さなテーブルが一台、向かい合わせになるように椅子が二脚置いてある。

 どれも年季の入った古めかしいもので、メアリが椅子へ腰掛けると、ギィギィと音を立てた。


「ほら、デンバー。早く腰掛けてちょうだい。その嫌な予感とやらが発動しているうちに、始めないと」


 メアリは言い出したら聞かない。

 それに、これはデンバーにとってもチャンスであるはずだ。


 ネズミを追い詰める猫のような気持ちでデンバーを見つめる。

 彼は悔しそうに唇を噛んだあと、「ああ、もう」と投げやりな声を漏らした。


「行けば良いんだろ、行けば!」


 デンバーはズンズンとガゼボの中へ入ってくると、メアリの向かいにあった椅子を引いた。

 彼が腰を下ろすと、ギギギィと今にも壊れそうな音がする。

 デンバーは慌てて、浅く座り直した。


「じゃあ、はじめるぞ。まずは、注意事項だ」


「ふふ、本格的なのね?」


 メアリがおどけたように笑うと、デンバーは「当然だ」と胸を張った。


「先に言っておくが、交霊会で集まるのは寂しい思いをしている浮遊霊やアクシデントを起こすのが大好きな低級霊であることが多い。メアリはルカ・ブレゲと交流したいようだが、特定の者を呼び出すのは降霊……つまり、専門家でないと難しい」


「あら、そうなの? 残念だわ」


 メアリは困ったように眉を下げ、手のひらを頰に当ててため息を吐いた。

 彼女の様子を見たデンバーは、ニヤッと意地の悪い笑みを浮かべる。


「やめるか?」


 これで帰ることができる。

 そんな期待がありありと浮かぶ笑みだったが、もちろんメアリにやめるつもりなんてない。


 メアリはにっこりと微笑んだ。

 有無を言わせぬ貫禄が、デンバーを黙らせる。


「いいえ、やめないわ。だってもしかしたら、現れてくれるかもしれないもの」


 ルカ・ブレゲの命日まであと数日である。

 一周忌などのタイミングは降りてきやすいのだと、メアリは以前、聞いたことがあった。


 そのことを伝えると、デンバーは口をへの字にしてメアリをにらみ、それから諦念の息を吐いて、渋々テーブルの上へ手を出した。


「手をテーブルの上へ置いてくれ」


「わかったわ」


 デンバーに倣って、メアリもテーブルの上へ手を出す。

 すると、そろりと伸びてきたデンバーの手が、メアリの手を握った。


(うわぁ……)


 極度の緊張状態なのか、デンバーの手は湿っている。

 どんなに顔が良くても、これはない。

 メアリは脳裏にデンバーが震えるほど怯えている姿を思い描くことで、振り解きたくなる気持ちをなんとか堪えた。


(どのタイミングでテーブルを揺らしてやりましょうか……?)


 できるだけ早く、この手を放したい。

 だが、あまり早く揺れても胡散臭いし、遅くてもデンバーが怖がって切り上げてしまいそうだ。


 神妙な面持ちでつないだ手をにらむメアリは、真剣に英霊を呼び出そうとしているように見える。

 やがて、意を決したデンバーが呪文を唱え始めた。

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