第35話

 眠ってしまった神父を彼の部屋へ運び、セドリックはメアリとともに教会を出た。


 雨はいつの間にかやんでいたが、墓地へ向かう道はぬかるんでいる。

 どうやら、セドリックが着替えている間に雨脚が強くなったようだ。

 ブーツのつま先で地面を突きながら、メアリは「あらあら」と困ったように苦笑いを浮かべた。


「これはまた……すごいことになっていますわね」


「これではリサーチどころではないな。後日、改めて誘っても良いだろうか?」


 嫌だと言われたらどうしよう。

 内心不安でいっぱいになりながら提案すると、メアリは笑顔で「ええ」と答えてくれた。


 淡い微笑みが可愛らしい。

 初めて会った時に見せてくれたいたずらっぽい笑みも好きだけれど、自然なしぐさは気を許してもらえているようで嬉しかった。


「でも……できれば霧が深い夜だと良いですわ。その方が、参考になりますから」


「もちろんだ。ところで、霧でスクリーンを作るには何が必要なのだろうか?」


 セドリックの質問に、メアリの瞳がキランと光る。

 彼女はよくぞ聞いてくれましたとばかりに、ズズイとセドリックのそばへ寄っていった。


 近い。とても、近い。

 かすかに感じていた彼女の匂いがぐっと強くなって、頭がクラクラする。

 嬉しいけれど、つらい。セドリックは理性が擦り切れるのではないかとヒヤヒヤした。


「送風機が必要ですね。発生している霧を空気で挟み込むように集めて……。安定したスクリーンをつくります」


「なるほど」


 色気のかけらもない真面目な話に、セドリックの煩悩がスンッと真顔で残念がる。

 それでいいのだと自身を慰めながら、さりげなくメアリと距離を取った。


「一般のスクリーンでは正面から投影するタイプのプロジェクターを使用しますが、ミストスクリーンは透過するので、背面から投影するタイプのプロジェクターを使います。とはいえ、まだプロジェクターは試作中なのですが」


 上部から投影するか、下部から投影するか。

 鏡を使って投影する方法もあるらしく、考えることは山積みらしい。


 メアリは簡単そうに言っているが、送風機で霧を集めるだけでもすごいことなのではないだろうか。

 セドリックが「どうして透過すると背面投影になるのか」と質問すると、彼女は懇切丁寧に説明してくれたが、残念ながらその半分くらいしか理解することができなかった。


(あとでブレゲに教えてもらおう……)


 好きな人には格好つけたいセドリックだった。


 幸い、教会から大通りへ向かう道は無事だった。

 しかし、ぬかるんではいないものの、濡れた石の道は滑りやすい。

 エスコートしようと隣を見下ろしたセドリックは、難なく歩くメアリを見て伸ばしかけた手をキュッと握った。


 メアリは背面投影タイプのプロジェクターについて考えているのか、ブツブツとつぶやきながら歩いている。

 エスコートなんて最初から期待していないのだろう。彼女は腕を組んで歩いていた。

 仕方なく手を戻したセドリックは、万が一メアリが滑って転んでも助けられるように、彼女の隣を寄り添うように歩く。


 今宵の彼女は用事でもあったのか、初めて会った時のようなドレス姿だった。

 たまたまなのだろうが、ドレスの色はセドリックの目の色とよく似ている。

 まるで自分のために着飾ってくれているような錯覚を抱いて、セドリックはそわそわと落ち着かない気持ちになった。


 ドレスを褒めたいが、考え事に没頭する彼女の邪魔もしたくない。

 悩んでいるうちにどんどん門は近づいてきて、あっという間に大通りへ出てしまった。


 歩いて送っていこうか。そうすれば、もう少し一緒にいられる。

 そう思ったが、この道をメアリに歩かせることが心配になった。


 仕方なく、大通りにいた辻馬車を一台呼び寄せる。

 やって来たのは、神父が病院へ行くときによく利用する御者だった。


「おや、アールグレーン様。こんな時間に珍しいですね。神父様のお加減、悪いのですか?」


 見た目は怖いが、根は優しい男である。

 この人なら安心だと、セドリックは金を渡してメアリを自宅まで送るよう頼んだ。

 幸い、彼はロディム街のことをよく知っていたから、メアリに尋ねるまでもなく彼女の自宅を知っていた。


「メアリ、行きますよ」


「うん……」


 未だ考え込んでいるメアリの手を引いて、馬車へ乗せる。

 されるがままの彼女を見ていると、このまま連れ去っても気が付かないのでは、なんて不埒ふらちな考えが脳裏を過ぎった。


「アールグレーン様も乗るのですか?」


 御者の声にハッとなる。

 セドリックは慌てて馬車の扉をしめ、後退った。


「彼女のことを、頼む」


「お任せください」


 御者はそう言うと、静かに馬車を発車させた。

 やがて、馬車は角を曲がりはじめる。

 そこでようやく我に返ったのか、メアリが窓にへばりつくのが見えた。


 驚いた顔をしているのが、なんだかおかしい。

 クスッと笑ったところで遠目にメアリと目が合って、「大丈夫」と言うかわりに手を振った。


 言いたいことが伝わったのか、メアリがコクリとうなずく。

 安心したように、無防備な笑みを浮かべる唇が愛らしい。

 振り返してくれる手は小さく、守ってあげたいと思った。


 馬車が完全に見えなくなると、セドリックの顔から笑みが消える。

 彼は振っていた手をキュッと握り、チラリと背後を見遣った。


 先ほどからずっと、気になっていることがある。

 耳障りと言っても過言ではない、笑い声だ。


「手ごわいなぁ」


「手ごわいですねぇ」


 半透明のゴーストたちの手が伸びてくる。

 彼らはニタニタと笑みながら、セドリックの肩を抱いた。


 セドリックは彼らを尊敬しているが、唯一認められないことがある。それは──、


「お二人とも……また神父様の体を乗っ取っていましたね?」


 にらむセドリックに、ライルとブレゲがキャッキャとはしゃぐ。

 肩から手を離した二人は、セドリックの頭上でプカプカと浮かんだ。

 いつの間にやら、二人の手には酒瓶が握られている。


「やめてくださいって、何度も言っているではありませんか」


 この墓地のゴーストは、ある程度経験を積むと特定の人物に憑依することができるらしい。

 英霊ゆえの特別な力。彼らはそれを【引き継ぎテイクオーバー】と呼んでいるが、要は乗っ取りである。


「神父は棺桶かんおけに片足突っ込んでいるから、使いやすいんだよな」


 とは、ライルの言葉である。

 悪びれもなく神父の体を利用する彼らは、やはり死者なのだろう。生者とは、考える基準が違う。


「私にまで憑依することはないでしょう」


 さっさと着替えてすぐ戻るつもりだったのに、彼らのせいで長々と自室に引き止められる羽目になったのである。

 珍しく苛立ちをにじませるセドリックに、しかし二人は気にも留めない。


「メアリに何をしたのですか?」


「おっ! それ聞いちゃう?」


「そうですねぇ……彼女はなかなかに堅牢けんろうな城らしいと言っておきましょうか」


「落とすの、大変そうだよな」


「ええ、まったくです」


 うなずき合う二人は、今日も絶好調に仲良しだ。

 死後を楽しんでいるようで、何よりである。

 セドリックはもう何を言っても無駄だと悟って、とぼとぼと戻り始めた。


「しかし、デートは先延ばしかぁ。残念だったな!」


「そうとなれば、作戦会議ですね」


「よし! 必ずや、彼女をセドリック坊やの嫁に……。まずは友人以上にしてみせる!」


 死んでいるのに生き生きしている彼らに、セドリックはやれやれと肩をすくめた。

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