1章 奇婦人と奇妙なお店
第4話
ロンディアナ王国の旧王都、霧の町ロディム。
その北側には、おかしな店ばかり立ち並ぶ黒猫横丁──黒猫が横切ると不吉だというジンクスから、不吉な横丁という意味で名付けられたらしい──がある。
黒猫横丁に足を踏み入れてすぐ右に、こんな看板が出ている。
『あなたの思い出、お預かりいたします』
どういうことかと思うだろう。
訝しみながら看板から顔を上げて、真っ先に目に入るのは異国風の朱色のランタン。
店の外観は周囲に溶け込むような灰色レンガで、目立ちたいのかそうでないのか、なんともチグハグな印象を受ける。
こっそり窓から中をのぞけば、きっと見えるはずだ。出来損ないの蒸気機関車の模型か、呪われた蒸気自動車の模型のようなものが。
おそるおそる扉を開ければ、匂うはずだ。コーヒーと機械油とバニラの香りが。
ここは、思い出あずかり屋。
奇婦人メアリが店主をしているこの店は、読んで字のごとく思い出を預かる店である。
誰しも一つくらいは忘れたくない思い出があるだろう。
しかし、目まぐるしく過ぎていく日々に大切な思い出を見失い、忘れていってしまうことがある。
鍵をかけてしまっておきたいくらい大切な思い出を忘れないために。
そのために、思い出あずかり屋は存在している──というコンセプトのもと、侯爵夫人の発案でこの店は始まった。
侯爵夫人とは、彼女の義妹であるブラウン伯爵夫人の紹介で知り合った。
黒猫横丁にあるこの店は、侯爵が気まぐれに買って持て余していたそうで、半ば押し付けられたようなものだ。
家賃はほぼなし、オーナーである侯爵夫人もごくたまに顔を出す程度で気楽ではある。
ただ、客のほとんどは侯爵夫人の紹介でやってくる上流階級の洗練された人ばかりで、メアリはできるだけ深く関わらないようにしていた。
だって彼らが預ける思い出は、決して聞いてはならないものばかりなのだ。
実は娘の父親は夫ではない、とか。
表向きは第一王子派だが実は裏では第二王子を支持している、とか。
幼い頃に読んだ、ロバ耳の王様の話を思い出す。
最後は王様が改心する話だったはずだけれど、もしも彼らの
好奇心は猫を殺す。
侯爵夫人に言われた言葉を胸に、メアリは今日も店を開ける。
扉を開けると、外から陰気な空気が入り込んできた。
今日も今日とて、ロディムでは霧が発生している。
この霧を利用して何か面白いことができればいいのに。
そんなことを考えながら、メアリはいつものように店の掃除を始めた。
店の奥にある倉庫は、まるで銀行にある金庫室のような大仰な扉がついている。
どんな機密情報が小箱に詰められているのかわかったものではないので、ありがたくはあるのだが、メアリは分解したくてたまらない。
大きなハンドルを回して開けた先には、たくさんの小箱が並んでいる。
どれもこれも綺麗な意匠が施されており、それだけでも十分な価値はあるだろう。
中身の方は……言わずもがなだ。
思い出あずかり屋では、依頼人が語る思い出話を小箱に詰めて鍵をかける。
小箱は店で預かり、鍵は依頼人へ渡す。
預けた思い出を取り出すには、鍵を持って店へ再来店すればいい。
とはいえ、再来店する者はほとんどいない。
大抵は鍵を持っているだけで安心して、取り出そうとも思わないらしい。
実に怪しい店だ。
詐欺だと疑われても仕方がないような。
だって、そうだろう。
小箱に思い出が詰められる?
預かった思い出を取り出す?
普通に考えればありえないこと。魔法だったら、あり得るかもしれないけれど。
しかしこれには、カラクリがある。
詐欺でも魔法でもなんでもなくて、メアリが愛してやまない機械のおかげなのである。
綺麗な
機械いじりが趣味であるメアリの、代表作と言っても過言ではない一品である。
とはいえ、この店の主なお客様方はそんな味気ない仕組みよりも
こんな怪しいお店にはそういう顔が似合うと侯爵夫人が仰ったから。
ただそれだけの理由だ。
「今日はお客様が来るまで霧の活用方法でも考えようかしら」
霧に包まれた街並みを窓越しに眺めながら、メアリは自然と笑みを浮かべていた。
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