第3話
「拡声器に顔を近づけて、大きな声で話してください。音声が拡声器の中を伝わると、直接振動板を震わせ、振動板についている針が
「ええと……ではわたくしは、この小さなラッパのようなものに、できるだけ大きな声でお話しすれば良いのですね?」
メアリと
ここは、ブラウン伯爵の屋敷。
デンバーが協力する約束をしていたのは、この家の一人娘だった。
サラサラの金髪に、クリクリとした空色の目。いかにもデンバーが好きそうな令嬢だ。
彼女を口説くための道具にされたな、とメアリはすぐに悟ったが、持ってきた蓄音機に目を潤ませて感動している令嬢に、今更辞めますとは言えなかった。
病の身で身内と医師以外の男性と会うことはお断りしているそうで、メアリだけが伯爵夫人と会うことになった。
蓄音機の扱い方はメアリしか知らないので、デンバーがいなくても問題はない。
応接室にデンバーを残し、令嬢の案内で夫人の寝室へ向かった。
屋敷の中でもとびきり日当たりの良い部屋に、夫人の寝室はあった。
淡いローズピンクとベージュが基調の、落ち着いた雰囲気。
さすが侯爵家の出身、といったところだろうか。調度品一つ見ても品がある。
頰は痩せこけ、顔色は決して良くはない。それでも培われた気品は失われていない夫人に、メアリは蓄音機の説明をした。
誰かに自分の作品について説明するのは、初めてのことだ。
つい熱くなって必要のないことまで話してしまったのは、失敗だったかもしれない。
反省するメアリの前で、起き上がることもままならなくなった母の背を支えながら、令嬢が困ったように眉を下げる。
きっとこういう顔に、男性は庇護欲を掻き立てられるのだろう。
メアリには到底、まねできそうにない。
「大きな声でなければならないのですか? 見ての通り、母は病に冒されています。こんな状態で大声なんて出したら……」
心配なのだろう。
目に涙を浮かべて母を見つめる令嬢に、幼い日の自分の姿が重なる。
今はもう泣くことはなくなったけれど、母が亡くなったときは悲しくてたまらなかった。
母を失った悲しみから父は仕事に打ち込み、ろくな判断ができない状態で働いたものだから大損害をだし……そんな状況でメアリが父に甘えることなんて到底できるはずもなく、日々募っていく寂しさを紛らわせるために、毎日毎日家にあるものを片っ端から分解していった。
分解するものがなくなったら、今度は分解したもので何か作れないかと考えるようになって──気付けば、メアリは機械いじりが趣味の、風変わりな令嬢へ成長していたのである。
「大丈夫よ。それに、あなたに何か残してあげられるのなら、少しの無理くらいなんでもないわ」
服に着られているような細腕を持ち上げ、夫人は元気である証拠のように拳を握る。
彼女の精一杯の強がりに、令嬢はさまざまな感情が入り混じった複雑な顔をして、しかし最後はすべてを我慢するように、今にも泣きそうな顔で微笑んだ。
この
今にも泣き出しそうな微笑みが、特に。
「でも、そうね……今聞かれるとちょっと恥ずかしいから、あなたは廊下で待っていてくれる?」
「でも……」
「今日はいつもより体調が良いの。それに、メアリ様だっているわ。何かあったら、すぐに呼ぶから」
「……わかったわ。でも何かあったらすぐに呼んでね? 廊下で、待っているから」
どうあってもやめる気はないとわかった令嬢は、母の背にクッションを当ててベッドから離れる。
優しい娘を慈愛に満ちた目で見つめながら、夫人は「ありがとう」と言った。
「メアリ様。母のこと、よろしくお願いしますね」
「はい、お任せください」
心配でならないのか、何度も振り返りながら令嬢は扉の向こうへ消えていった。
小さな音を立てて扉が閉じると、夫人はつらそうにハァと息を吐く。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫、とは言えないわね。でも……あの子には、つらそうな姿を見せたくないから。最期まで、笑っていたいの。笑った顔を、思い出してほしいから」
疲れが色濃く出ている顔で、それでも夫人は微笑む。
ハラハラと降り出した初雪のような
令嬢の代わりに夫人の背を支えながら、メアリは録音の準備をする。
(最期まで笑っていたい、か……)
支える側としては、全部晒して少しでも楽になってもらいたいと思わなくもないけれど。
メアリは、夫人の考え方に共感を覚えた。
「その考え方、すてきだと思います」
「そう?」
「ええ、とても」
(私の笑った顔を思い出す人なんて、いるのかしら?)
ふと、コンラートの顔が脳裏を過ぎる。
だが、メアリはすぐにその考えを打ち消した。
(だってもう、彼との縁は切れてしまったもの)
たった紙切れ一枚で。
悲嘆に暮れるほどの感情を彼に抱いていたわけではないけれど、それでもやはり少しは傷ついていたようだ。
(困ったわ)
自分で思っていたよりも割り切れていなかったことを思い知らされて、メアリはひっそりと嘆息した。
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