発明家令嬢は公爵様の不器用な愛を知る~恋愛指南は英霊たちにお任せあれ~

森湖春

序章 婚約破棄は呆気なく

第1話

「……もう我慢できない! どうしてわかってくれないのですか。私は、あなたを愛しているのです」


「まぁ!」


「だから、メアリ嬢との婚約は破棄させてもらいたい」


「そんな……いけませんわ」


「なに、悪い話ではないでしょう。あなたは私と再婚し、未亡人から夫人となるのです」


「でも、メアリは……?」


「あんな娘……。あなたの代わりにもなれない、不出来な女だ。気にすることはない」


「ですが……あっ……コンラート、さま……」


 なにかを押し倒したような物音を聞いて、メアリは耳を塞いだ。

 未婚の令嬢には刺激が強すぎる。


「これ以上を聞くのは野暮というものだわ……」


 スイッチを切りながら、メアリは紫煙を吐き出すかのように細く長い息を吐いた。


 盗み聞きはいけないことだ。

 それは、わかっている。


 けれどメアリはどうしても、我慢できなかったのだ。

 完成したばかりの小型蓄音機グラモフォンを使ってみたくて──湧き出る好奇心に抗えなかった。


「悪いと思っているわ。だからこそ、自分の家に仕掛けたのに」


 まさかこんな音声が記録されるなんて、メアリも想定外だ。

 小型蓄音機を仕掛けたのは、メアリの家の応接室。せいぜいがところ、父の声が録れるだけだろうと思っていたのに。


 これはどういうことだろう。

 聞こえてきたのは、メアリの婚約者──コンラート・ヴェルマーの声。そして、まんざらでもなさそうな叔母おばの声。


「なんということでしょう。コンラート様の本命は叔母でしたか」


 メアリの家の応接室で婚約者と叔母が密会。

 どんな経緯でそうなったのか、甚だ謎である。


「それはこの際、目をつむるとして……」


 おかしいと思ったのだ。

 なにせメアリとコンラートは親子ほど歳が離れている。


 おかげでメアリは社交界で不名誉なうわさを立てられた。

 もっとも、それ以上に不名誉なあだ名をメアリはつけられているわけだけれど。


「コンラート様に婚約破棄されたら、次にくるのは間違いなく後妻の打診だわ。私は別に、おじさん好きというわけではないのに」


 それは置いておいても、だ。

 コンラートは初婚だ。


 五十歳を過ぎて未だ独身。

 大なり小なり問題があるだろうと思っていたのだが……。


「コンラート様はずっと、叔母様をお慕いしていたのね」


 メアリと婚約した直後にもたらされたのは、叔父おじの死。

 叔父は貿易商を営んでいたが、船の事故で帰らぬ人となった。


 未亡人になった叔母に、コンラートはとうとう我慢できなくなったのだろう。

 彼は今、メアリと婚約破棄して叔母と一緒になろうとしている。


「私と叔母様は親子と勘違いされるくらい似ているもの。代替品としてちょうど良かったのだわ」


 それでもいい。しょせんは政略結婚だ。

 メアリは貴族の娘。それくらい覚悟はできている。


 とはいえ。とはいえ、だ。


「婚約破棄となると困りますわね」


 ムムッと眉を寄せながら、メアリはつぶやいた。


 結婚することで得られる予定だった援助はどうなってしまうのだろう。

 なかったことにされるのは、少々──いやかなり、困る。


 それに、コンラートだって困ることになるのではないだろうか。

 この婚約は、ヴェルマー商会の会長──コンラートの父が提案してきたものだ。


 メアリの家に資金援助をする代わりにコンラートを婿入りさせ、貴族位を得る。

 そういう、約束だった。


「叔母様と再婚しても、貴族位は手に入らないわ」


 ヴェルマー商会は、この国では知らぬ者などいないくらいの大商会だ。

 商会を牛耳るのはコンラートの父。

 彼はすべてを手に入れたように思われているが、一つだけ手に入れられないでいるものがある。


 それが、貴族位。

 メアリとの結婚でようやく手に入るところだったのに。


「でもまぁ、破棄したいというなら受け入れましょう。慰謝料くらいは、いただけるはずよね?」

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