第12話

 二度目の来店からセドリックが帰る時、メアリは初めて「またのお越しをお待ちしております」と口にした。


 思い出あずかり屋を任されてからただの一度も言わなかった台詞せりふを言ったのは、彼が思い出あずかり屋の客ではなく、メアリ個人のだと思ったからだ。


 全自動珈琲抽出機コーヒーメーカーを眺めながら、それで淹れたコーヒーを飲む。彼の質問にポツリポツリと答えながら、ビスコッティをかじる。

 穏やかでいて刺激的なひとときに、メアリはずっと続けば良いのにと願わずにはいられなかった。


 セドリックは機械に対して造詣が深いわけではなかったけれど、メアリの言葉に丁寧に耳を傾けてくれた。

 興味深そうにうなずく彼の目は楽しそうで、ついメアリの口が軽くなる。

 愛好家特有の早口にも文句を言うことはなく、あたたかな視線で見守るように見つめられると、メアリの口はますます軽くなっていった。


 おそらくメアリは、飢えていたのだと思う。

 貴族令嬢たるもの、機械いじりなどけしからん。

 そんな環境で機械について語り合える場などあるはずもなく、悶々もんもんとし続けていた。


 セドリックと会話していると、まるで埋み火うずみびが息を吹き返すようにメアリの気持ちが燃え上がる。


 もっともっと、この人と語り合いたい。

 今までつくってきた機械を紹介したいし、これからつくりたいと思っている機械のことを相談してみたい。


 そんな思いがあっての、「またのお越しをお待ちしております」だったのだろう──とメアリは推測している。


 それから一週間。

 メアリの言葉が効いているのかはわからないが、セドリックは次の日も、また次の日もやって来た。

 なんなら一週間たった今も、目の前にいる。


 彼はいつも決まった時間── 午前中のお茶の時間帯に、思い出あずかり屋を訪れた。その手には毎度、お土産を持って。


 一日目はビスコッティ、二日目はフロランタン、三日目はマカロンで、四日目はチョコレート。

 五日目はさすがに申し訳なくてメアリがクッキーを焼いたが、彼はお土産に持って帰るほど気に入ってくれて、また作ることも約束した。

 六日目は異国の菓子店がオープンしていたのだと言ってダイフクというもの──中に入っているアンコという豆のクリームが、サッパリしていておいしかった── を買ってきていたし、七日目の今日はマドレーヌらしい。


 カップの準備を終えたメアリは、この一週間ですっかり操作がうまくなったセドリックに全自動珈琲抽出機を任せ、今日お披露目する機械を探しに作業部屋へと入っていった。


「うーん……どれにしようかしら」


 作業部屋の片隅に置かれた機械を眺め、メアリは頰に手を当てて首をかしげる。

 斜めになった視界にふと入ったのは、ダックスフント犬くらいの大きさの、小さな飛行船。

 ガスが入っていない状態の、浮き上がらない飛行船を拾い上げ、メアリはしばし考える。


「アールグレーン様は、飛行船を知っているかしら?」


 セドリックはこの街へ来るために乗った蒸気機関車を見るまでは、機械なんて見たこともなかったらしい。

 今どき、霧の街から遠く離れたベケット家の領地どいなかでさえ機械の一つや二つくらいは目にする。


(セドリック様がこちらにいた時分にはなかったのね)


 今では当たり前の光景だが、彼がここにいた頃は今のような風景ではなかったはずだ。

 すっかり様変わりしてしまった国を見て、彼は何を思うのだろう──?


「そういえば私、飛行船に乗ってみたいと思っていたことを忘れていましたね」


 彼女の思考が散文のようにあちらこちらへいくのはいつものことだ。

 セドリックのことを考えていたかと思えば、飛行船のことについて考えている。


 あれは、コンラートから婚約破棄の手紙が届く一週間前。

 メアリは、コンラートの婚約者として彼とともに飛行船のお披露目会に出席した。

 銀色にきらめく飛行船は、あんなに大きいのにゆっくりと空へ浮上して、ため息が出るほどすてきだった。


 いつか乗ってみたい。

 そう言ったメアリにコンラートは心ここに在らずの様子で……。


「すっかり忘れていましたわ」


 それ以上を考えることをやめるように、メアリはつとめて明るく言う。

 頭からコンラートを押し出して、銀色の飛行船のことだけを考える。


 すてきな、すてきな飛行船。

 思い出すと、どうにも乗りたくてたまらなくなってきた。


「旅行……は無理でしょうね」


 だって、思い出あずかり屋がある。

 公爵夫人は蓄音機グラモフォンを扱えないし、デンバーもしかり。


「やはり、誰にでも扱えるような蓄音機をつくらなければなりませんね」


 それも、できるだけ早く。

 やれやれとため息を吐いた時、ちょうどタイミング良くセドリックから声がかかった。


「コーヒーができた」


「ありがとうございます。今、行きますね」


 セドリックの視線がメアリの抱えるものへ向けられる。

 銀色をしたダックスフントのような物体を見て、彼の目が期待するように緩んだ。


「今日はこれをお見せしますね。何か、わかりますか?」


「いや……。でも、あなたがつくったものならば、きっと楽しいものなのだろう」


 エスコートするように、応接室と作業部屋を遮るドアを押さえるセドリック。

 メアリは小さな飛行船を抱えたまま彼の隣を通り抜け、応接室へ戻った。

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