第13話

 思い出あずかり屋は、不定休である。

 侯爵夫人の紹介で来店する人は必ず予約を入れてくるので、休みの日はそれ以外──メアリは、だいたい週に二日を目安に取るようにしていた。


 メアリはこれでも貴族令嬢なので、店のことよりも貴族としての行事を優先させるように侯爵夫人から言い渡されている。

 週に二日だけ休むのは、メアリが自身で決めたことだ。

 仕事をしていれば舞踏会へ行かない……行けない理由になるし、貴族以外の客は予約なしで来るのが普通だから。


 侯爵夫人は、完全予約制でも構わないと言っている。

 むしろ完全予約制にしたいくらいだと言っていたが、メアリは「まだ店を始めたばかりですから」とはぐらかした。


 黒猫横丁に、風変わりとはいえ貴族令嬢を置いておくのは心配なのだろう。

 デンバーがいるからと放任しているようだが、実際にはほぼいないと知ったらどうなることか。


 せっかく手に入れた舞踏会を欠席できる理由をメアリが手放すはずもなく、デンバーは今も従業員のままだ。


 先週は、セドリックの訪問が嬉しくてつい休みなく働いてしまったが、とあるお誘いを受けたので本日はお休みである。

 前日になっても予約はなく、セドリックにも「明日はお休みなので、あさってお会いしましょう」と言ってあるので、メアリは安心して店を閉めることができた。


 待ち合わせに指定されたのは、飛行船の発着場からほど近い公園だ。

 メアリは愛用の仕込み日傘を持ち、まともな令嬢であるかのような、優雅な出で立ちで立っている。


 東の国で深緑宝石シェンリューパオシーと呼ばれる緑色をした小花柄のボディス、スカート、トレーンのセット。小花柄のデザインは、東の花であるマムをイメージしているらしい。


「まだかしら?」


 遠くに見える飛行船の銀色がチラチラと目につくたびに、メアリはソワソワと公園の入り口から大通りを見つめた。


 いつも通りの曇天に、いつも通りの人通り。

 面白みなんて何一つないが、メアリは落ち着かない。


 もう何度繰り返したか知らないが、ポケットから取り出した懐中時計を、じっと見つめる。

 いっそ壊れているのではないかと思うくらい、時計の針は進んでいなかった。


「まだ二十分もあります……」


 遅々として進まない時計の針を見つめ、メアリはションボリと肩を落とす。

 楽しみ過ぎて早く来てしまうだなんて、付き合いたての恋人同士のようだ。

 もっとも、待ち合わせの相手とはそんな関係になりようもないのだけれど。


(だって、仕方ありませんわ。なんといっても、飛行船の操縦席を見せてもらう機会なんて、めったにないのですから!)


 そうなのである。

 メアリが受けたとあるお誘いとは、まさにそれだった。

 最新鋭の飛行船の操縦席を、離陸前のわずかな時間ではあるが、見せてもらえることになったのだ。


 もともとはこの公園の一部だった芝生広場がフー商会に買い取られ、飛行船の発着場に変わったのは、数年前のこと。


 飛行船の旅が初めて紹介された時は、みんな驚いたものだ。


「絶対に事故が起きる」


「旅行なんて、とんでもない」


 そう言って、誰もが空の旅を否定した。


 しかし、胡商会の熱心な宣伝が功を奏し、現在は上流貴族を中心に人気を博している。

 遠くはないが近くもない王都から、わざわざ霧の街まで足を伸ばすくらいには、流行しているようだ。


 チケットのキャンセル待ちは常に数百人いる状態で、最近は王都と霧の街をつなぐ空路プランも上がっている。

 なぜメアリがそんなことまで知っているのかというと、胡商会に知り合いがいるからだ。

 今から会う人物というのが、まさにその人である。


「やぁ、メアリ。待たせたカ?」


 背伸びをして大通りを見ていたメアリは、背後から声をかけられた。

 聞き覚えのある妙なイントネーションに、彼女は顔をほころばせる。


「シェンファ」


 メアリが振り返ると、その人も表情をやわらげる。

 白目と黒目がくっきりとわかれている切れ長の目は、ミステリアスで美しく感じられるのに、楽しげに細められると幼く見えるのが不思議だ。


 光加減で紫にも緑にも見えるエキゾチックな長い黒髪を三つ編みにして片方の肩に垂らし、遠い東の国の民族衣装である長袍チャンパオという服に身を包むその人の名前は、フー・シェンファ。ロンディアナ王国ではシェンファ・ブレゲと名乗っている。


 シェンファは、メアリが敬愛してやまない大発明家、ルカ・ブレゲの親族だ。

 ルカ・ブレゲの姉の孫。つまりシェンファからみれば、ルカは大叔父おじにあたる。


 胡商会はシェンファの両親が経営している。

 今回この奇跡のようなチャンスを得られたのは、シェンファのおかげだった。


「いいえ、今来たところ」


「うそを言うナ。鼻が赤くなっているゾ」


 近くに立つと、シェンファはメアリよりも頭一つ分背が高い。

 メアリのわずかに赤らんだ鼻をチョンと摘んだあと、シェンファは苦笑いを浮かべた。


「もう。だって仕方がないでしょう? あなたのお誘いが楽しみで仕方がなかったのだもの」


「わかる。ワタシも楽しみで仕方がなかった。メアリが休めなかったらどうしようって、ちょっと心配ダッタ」


 シェンファは笑うと、八重歯が見える。

 東の国ではそれをかわいいと言うらしいけれど、メアリはあまり好きではなかった。

 とはいえ、そんなささいな欠点でさえどうでもよくなるくらい、メアリはシェンファのことを気に入っている。

 シェンファの方も、メアリに対して思うところはあるものの、おおむね気に入ってくれているようだった。


「無事に休めたわ」


「ああ、安心したヨ。約束の時間までまだある。カフェであたたまってからでも遅くないと思うガ」


「それなら、いつものところにしましょう」


「ああ、構わナイ」


 シェンファが腕を差し出すと、メアリはするりと腕を絡ませた。

 二人は腕を組んで歩き出す。


 一見すると貴婦人に見えるメアリと、異国情緒溢れるシェンファはみんなに注目されたが、二人は気にすることなくいつもの──ルフナ教会のすぐそばにあるカフェへ向かったのだった。

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