第14話

 メアリとシェンファがカフェ・ロヴェーナに着いた時、店内は混んでいた。

 テラスには色鮮やかなドレスを着たご令嬢たちが、窓際には美女が、なんとか外が見える範囲にはごく一般の女性たちが席を占めている。

 窓から遠く離れた壁際は、まるでペンキ塗りたてのベンチみたいに誰も座っていなかった。


「相変わらずだネ」


「そうね」


 出入り口からチラリと窓際の席とテラス席を見た二人は、苦笑いを浮かべて顔を見合わせた。


 これぞヒエラルキーとでも言おうか。

 通常ならば奥まった席から埋まっていきそうなものだが、この店においてはテラス席が特等席なのである。

 劇場で例えるならば、テラスはロイヤルボックス席、窓際はボックス席、店内は平土間席といったところだ。


「先週来た時は、とても空いていたヨ」


「ああ、それは……」


 理由を話そうとしたところで、店員に声をかけられる。

 見たことがない店員だ。しばらく来ないうちに新しい店員が増えたらしい。

 チラチラと不安そうにテラス席を見る新人店員を、メアリは哀れに思った。


 きっと彼はこう思っているのだろう。

 テラス席も窓際も限界ギリギリまで席を足している。もうこれ以上足せないのに、貴族令嬢が来店してしまった。機嫌を損ねないためには、どう対処するのが一番なのだろう──と。


「メアリ、奥の席でいいカ?」


 自分の代わりに提案してくれたシェンファに、新人店員は目を輝かせている。

 メアリは苦笑いを浮かべた。


「ええ、もちろん」


「ということダ。一番奥の席に案内してもらっても?」


 シェンファの言葉に、店員は救世主を見るかのような心酔した目で何度もうなずいた。



 ***



 店の一番奥にあるテーブルは、半個室のように仕切られている。

 注文したウィンナー・コーヒーが運ばれてくると、シェンファは上のクリームをひと匙掬って舐めた。


「クリームって、どうしてこんなにおいしいんダロ。ボウルいっぱいに作ったって舐め尽くす自信があるヨ」


「そんなに舐めたら太るわよ?」


「うーん……この国の人みたいになりたいのだけれどネ」


 シェンファは、背は高いが厚みがない。

 ロンディアナ王国の人は東の国に比べて背が高く、凹凸もあるタイプの人が多いのだ。

 すらりとした長身にロングドレスのような長袍チャンパオを着るとますますスレンダーに見えることを、シェンファは知るべきだと思う。


 メアリがカフェ・モカを飲みながら眺めていると、シェンファはあっという間にクリームを完食してしまった。

 わずかに残ったクリームをスプーンで混ぜてコーヒーに溶かす。

 そしてすっかり溶け切ったところで、シェンファは言った。


「ところで、メアリ」


「なにかしら?」


「さっき、なにか言いかけていたナ?」


 なんのことだったかしら、とメアリは首をかしげる。

 そんな彼女に、シェンファはやれやれと肩をすくめた。


 メアリは優秀な女性だが、その記憶力にはいささか問題がある。

 興味のあることはいつまででも覚えているが、興味のないことはあっという間に忘れてしまうのだ。


 幸いなのか、シェンファのことはメアリが尊敬するルカ・ブレゲの親族だったため早々に覚えてくれたが、普通の人なら数週間……いや、何カ月も定期的に会わなければ忘れてしまう。


 限りある資源を有効に使うため、無意識に記憶を取捨選択しているのだろうが、社交界で生きていくならそうも言っていられない。

 今は問題なくてもいつか問題になる日がくるのではないかと、シェンファは心配していた。


 とはいえ、今はそれよりも気になることがある。

 シェンファはソーサーに添えられていたクッキーをつまみながら言った。


「先週。この店が、空いていた理由だヨ」


 シェンファがヒントを出すと、メアリは「ああ」とつぶやく。


「先週、なにかあっタ?」


「あったというか、来たというか……」


 メアリの手が、スプーンに伸びる。

 もうすでに混じり合ったカフェ・モカを、今更混ぜる理由とは。

 伏せたその目に、わずかばかりの戸惑いと好意が見え隠れしていることを、シェンファは見逃さなかった。


「ふぅん。男カ」


 ニヤニヤとシェンファが笑う。


「……男、だけど。あなたが思っているような関係ではないわ」


 ツンとすまして言うあたり、ますます怪しい。

 恋人とはいかないまでも、かなり好感触を得ている人物らしいとシェンファは推測する。


 珍しい。

 彼女の周囲に男の影などなかったはずだ。

 あえて挙げるとすれば幼馴染おさななじみのデンバーだろうが、彼はメアリに男として認識されていない。

 良くて男の子おとうと、悪くて女癖の悪いクソ野郎である。


 となれば、シェンファがあずかり知らぬところで出会った男、ということになる。

 フー商会の次期後継者候補として、さまざまな情報を仕入れているシェンファだが、彼女の新しいうわさはまだ仕入れていない。


 メアリは基本的に引きこもりである。

 家と職場と墓地。それくらいしか用事がない。


 カフェ・ロヴェーナが盛況しているのは、墓地でセドリック・アールグレーンが薔薇の世話をしている姿を拝めるから。

 空いているということは、墓地にセドリックがいないということだ。

 それはつまり──、


「“幽霊ワンフン”?」


 チャプン。

 メアリのコーヒーが、波打つ。


 今ここでその名を口にすると厄介になることは容易に想像がついたので、あえて東の国の言葉で言ってみたのだが、どうやら伝わったようだとシェンファは安心する。


「“幽霊”が、思い出あずかり屋に? 意外だナ」


「いえ、思い出あずかり屋に用があるのではなく……」


 ぽぽぽ、とメアリの頬が赤く色づく。

 恥ずかしそうにうつむいた彼女は、耳まで赤く染めていた。


「なんだ、メアリに興味があるのカ」


「ちがう、ちがうわ……! 機械を……私がつくった機械を、見にきてくれているのよ」


 シェンファは「なるほど」とうなずいた。メアリが照れるわけである。


 メアリは貴族令嬢として、それなりに身なりが整っている。

 普段はそうでもないが、やろうと思えば、今この店に存在しているヒエラルキーの、上位に位置するのは間違いない。


 だから彼女は、見た目を褒められても喜ばない。

 整っていて当然の環境だし、そうであらねばならないと思い込まされているからだ。

 普段の彼女が風変わりな格好をしているのは、その反動でもある。


是哪邊どちらだ?」


 彼女ではなく、彼女がつくった機械が目当てだというセドリック。

 将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、なのか。

 それとも、純粋な好奇心からくるものなのか。


「なにか言った?」


「いや……」


 不思議そうな顔で見てくるメアリに、シェンファはゆるく頭を振る。

 どちらにせよ、これはメアリにとって──彼女の意識を変えるには、ちょうど良い機会だろう。


 メアリは自己肯定力が低すぎる。

 女性だからと潔く諦めすぎるきらいがあるのだ。


 この国で、貴族令嬢として生まれたから仕方がない部分はある。

 だが、彼女の才能を見過ごすことは、かなりの損失だとシェンファは思うのだ。


 胡商会を引き継いだ暁には、ぜひともメアリにその力を振るってもらいたいと考えている。

 メアリに必要なのは、自信と勇気。

 まずは勇気を出して特許を出願してもらい、一つや二つ軽く取得して自信をつけてもらいたいところである。


「認めてもらえて、よかったじゃないカ。ワタシもうれしいヨ」


「……うん」


 メアリは視線を泳がせながら、膝の上に載せた手でぎゅっとスカートを握っている。

 上気した頰がかわいらしい。

 友人の初めて見る顔に、シェンファはそっと表情をほころばせた。

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