第25話

「今日は私がコーヒーを淹れてきますね。アールグレーン様は、好きに見ていて良いですよ。でも、スイッチは押さないようにしてくださいね。中には危ないものもありますから」


 セドリックが頷くと、メアリは応接室へ戻って行った。

 水を補充する音や茶器をセットする音が聞こえてきて、やがて全自動珈琲抽出機コーヒーメーカーがにぎやかな音を奏で始める。


 作業部屋に一人残されたセドリックは、初めて女性の部屋に招かれた思春期の少年のように頬を紅潮させながら、部屋の中を慎重に、かつ細部まで記憶するかのようにじっくりと眺めた。

 もしもメアリがその場にいたら「あなたの目は、まるで写真機カメラみたいね」と目を丸くしていそうだ。


「そんな顔でも、かわいいのだろうな」


 メアリに言われるまでもなく、スイッチどころか小さな歯車一つ触れることはできない。

 だって、無理だ。一度でも触れたらこっそり持ち帰ってしまいそうで。


 自分の中にそんな変質者のような……いや、犯罪者的思考があったと知らなかったセドリックは、少しショックを受けた。


「……いろいろと、まずいだろう」


 世間に顔向け出来なくなるようなことだけは、したくない。

 夢見心地でふわふわしている気持ちに、セドリックは「しっかりしろ、俺」と叱咤しったした。


 ひとしきり部屋の中を見たあとは、彼女が最も大事にしているであろう元・ミシン台の作業台へ近づく。

 土台にしているミシン台はもちろん、天板も年季が入っているように見えた。


 メアリがそうしていたように、そっと触れてみる。

 使い込んで丸みを帯びた角は、柔らかな質感をセドリックへ伝えてきた。


 何度も撫でたからこその触り心地だ。

 それだけ、メアリにとっては大切なものなのだろう。


 台の上を見ると、工具箱とメモの束が置いてあった。

 工具箱の中は使いやすいようにきちんと整頓されていて、メアリの几帳面きちょうめんさがうかがえる。


 作業部屋はゴチャゴチャとした印象を受けるのにまとまった感じもするのは、こういうところに起因しているのかもしれない。

 無機質なのに、あたたかみがある。チグハグだけれど、不思議と居心地が良い空間だ。


 メモに書かれた癖のある丸い字は、メアリの筆跡だろうか。

 幼い女の子が書くような字は貴婦人らしからぬ筆跡で、思わず顔が緩む。

 しかし、書かれた内容を理解した瞬間、セドリックの顔に焦りがにじんだ。


「……しまった」


 メモには、ミストスクリーンやミストスクリーンプロジェクターについて書かれている。

 考え事をまとめようとしていたのか、字はあちこちに書き散らされていた。

 書き途中のものが多々あり、まとまりきっていないことがうかがい知れる。


「……相談されていたのに、すっかり忘れていたな」


 せっかくメアリが頼りにしてくれたのに。

 一体、なにをぼうっとしていたのだろう。


「いや、ただぼうっとしていたわけでも、ないのだが……」


 誰に聞かせるでもない言い訳が、口を突いて出る。

 でも確かに、ただ時間が過ぎていったわけではない。

 嫉妬して、メアリへの気持ちを自覚して、そうかと思えば性懲りもなく嫉妬して──、


「嫉妬してばかりだな」


 我ながら、なんて狭量な。

 セドリックは自嘲するように卑屈な笑みを浮かべた。


「情けない」


 己の感情なのに、ちっとも制御できない。

 世の男性は、この醜い感情をどう隠して生きているのだろう。

 一度、ご教授願いたいものである。


 なにせセドリックときたら、こうしている今だって、コーヒーを準備してくれているメアリが新妻だったらという妄想が捗って仕方がないのだ。


 ミストプロジェクターの利用方法について相談されてから、かなり経っている。

 メモを見る限り意見はまだ受け付け中のように思えるが、間に合うだろうか。


 脳内に住んでいるイマジナリーメアリに問い掛ければ、「それはそれですわ!」と答えてくれる。


 確かに、彼女ならそう言いそうだ。

 たとえ問題が解決していたって、セドリックの意見もちゃんと聞いてくれる気がする。


「……幽霊演芸ファンタスマゴリーを提案してみるか」


「ファンタスマゴリー?」


 すぐ後ろから声がして、セドリックはびくりと肩を揺らした。

 そんな彼にキョトンとしながら、メアリはコーヒーカップを差し出す。


「ありがとう」


「いいえ、どういたしまして。ところで、ファンタスマゴリーって初めて聞いたのですけれど、どういう意味なのですか?」


「幽霊の演芸という意味なのだが……。その……」


 様子をうかがうような視線に、メアリはまばたきを一つした。

 それから、ふわりとやわらかな笑みを浮かべてセドリックを見つめる。


「あら、遠慮することはありませんわ。ぜひとも聞きたいです、あなたの話」


 私、聞きたいと言ったでしょう?

 メアリに促され、セドリックはまごつく。


 彼女を前にすると、どうにもらしくなくなるのだ。

 装っている皮が剥がれるというか、素の自分になるというか。


 兎にも角にも彼女の隣にふさわしい紳士でないことは確かで、セドリックは今にもしゃがみ込んで盛大にため息を吐きたい気分になった。


 それでも、期待に満ちた視線で見つめ続けられれば、恋する男が黙っていられるはずもなく。

 観念して、口を開くセドリックだった。


「メアリは以前、ミストスクリーンの活用法について聞いてきたことがあっただろう? あれからいろいろ考えていたのだが……。ミストスクリーンにゴーストの映像を映したら、本格的なゴーストショーができるのではないかと思ったんだ。王都では最近、交霊会が流行はやっているから、もしかしたらこういう催しが好きな人は案外多いのかもしれない」


「ゴーストショー……ファンタスマゴリー……」


「どう、だろうか?」


 セドリックは、固唾かたずを飲んでメアリを見守った。

 彼の前では、メアリがブツブツと独り言をつぶやきながら考え事にふけっている。


 かわいらしい小さな唇が震えるように何事かをささやく度に、セドリックは奥歯をギュッと噛み締め、湧き上がる衝動と戦った。


 どれくらいそうしていただろうか。

 気を紛らわせるためにコーヒーを飲もうとしたその時、メアリと目が合った。


「すばらしいわ!」


 ズズイとメアリが近づいてくる。

 興奮すると距離を詰めてくるのは彼女のくせなのだろうか。


 やめてほしい、切実に。いろいろと我慢しているのだから。

 だが、まったくされないのも悲しいから、たまにはしてほしい。


 複雑な男心を涼やかな表情で覆い隠しながら、セドリックはメアリが持っていたコーヒーカップの中身が今にもこぼれそうなくらい波打っているのを見て、素早く支えた。


「まずはなにから始めましょうか?」


 セドリックがコーヒーカップを回収して作業台へ置いていると、メアリは言った。

 両手が空いて自由になった彼女は軽やかな足取りで棚へ向かい、物色しだす。


「それなら……まずは墓地でリサーチしてみないか?」


「リサーチ?」


 箱に顔を突っ込んでいたメアリが、振り返ってセドリックを見る。

 そんな彼女へ、セドリックは努めて真面目な顔でうなずいた。


「夜の墓地はいかにもな雰囲気だから、勉強になると思う」


「でも、夜間は立ち入り禁止でしょう?」


 ルフナ教会はいつでも開いているが、隣の墓地は夜間の立ち入りを禁じている。

 時間になると門扉は閉ざされ、朝になるまで開くことはないのだ。


 だが、墓地の管理を任されているセドリックは例外である。

 なんなら夜は、彼が本領を発揮する時間なのだから。


「私が一緒なら問題ない。案内しよう」


「良いのですか⁉」


「メアリこそ、良いのか? 夜に、私と会うことになっても」


「大丈夫です。私、もうすぐオールドミスなので!」


 オールドミスは理由になるのだろうか。

 むしろオールドミスにならないためにも、ここは回避すべき所なのでは。


 そんな疑問が脳裏を過ぎったが、セドリックは無視した。

 だって、メアリとデート。メアリとデートなのである。これを逃す手はない。


 手を繋ぐ理由はあるし、あわよくばつまずいたメアリを助けるために腰を抱き寄せることだって、あるかもしれない。


 ああ、妄想が止まらない。

 にやけそうになる顔を必死に取り繕いながら、セドリックはデートの約束を手際よく取り付けてホクホクなのだった。

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