第10話

 ルフナ教会の隣には、この国に貢献してきた英霊たちが眠る墓地がある。

 墓地の管理を神父から任せられているセドリックは、墓地の一角にあるひときわ目立つ墓石の前に立っていた。


「よかったじゃないか!」


「……はい」


 セドリックは、じわじわと湧き上がってくる喜びを噛み締めるように返した。

 そんな彼の前で、鍛え抜かれた体に漆黒の甲冑かっちゅうをまとう騎士が、豪快に声を上げて笑っている。

 騎士は感極まった様子で、セドリックの背を叩いた――のだが。


 ヒュッ!


 騎士の手が、セドリックの背から腹に向かって通り抜けていく。

 セドリックの目には生身の人間と同じに見えているが、なにを隠そうこの騎士は、死者ゴーストであった。


 セドリックは、特別な力を持っている。

 ゴーストを見、ゴーストと話をすることができる力だ。


 この力は、臣下へ下ったその日に開花した。

 当初は呪いだと思って神殿を頼ったが……今となっては便利な力だと思っている。


 幽霊公爵の名は、セドリックの能力を知る者がうっかり漏らしたことがきっかけだろう。

 信じていたから話したのに、残念なことだ。


 とはいえ、真実を知られていないのは幸いだった。

 現在、この国では交霊会が流行っている。

 セドリックの力をあてにして擦り寄ってこられたら、いろいろ面倒だ。


 餓狼がろうの騎士ライルといえば、ロンディアナ王国の英雄である。

 普段は猟師をしている普通のおじさんだが、ひとたび戦場へ出れば飢えた狼のごとく敵をほふる。

 豪快な剣技もさることながら、彼に弓を扱わせたら右に出る者はいない──と伝えられていた。


 もっとも、死したあとは少々お節介なおじさんゴーストとして、この国の移り変わりを楽しんでいるのだが。


「まずは第一関門突破、といったところでしょうか。あなたにしては、よくやった方でしょう」


 丸メガネを押し上げながら神経質そうにしゃべるゴーストは、発明王ブレゲ。

 こちらはヒョロリとした体にヨレヨレのシャツとクタクタの白衣といった出で立ちで、餓狼の騎士とは対照的である。


 とはいえ、この二人──いや、二体か?──は、違いすぎるがゆえに相性が良いようで、夜毎酒を持ち寄ってはあれこれ語り合う仲である。

 ブレゲがこの墓地へ埋葬されてからの付き合いなので、かれこれ二十数年ほどになるだろうか。

 そんな彼らの近ごろの話題は、この墓地の管理を任されるようになったセドリックのことだ。


 セドリックが抱える事情を鑑みれば、そのまま腐ってもおかしくなかったのに、彼は毎日を丁寧に生きている。

 昼は、高齢の神父の介助をしながら、墓地の手入れに訪れる人たちの対応。さらに夜は、英霊たちに「何か困ったことはありませんか?」と聞いて回り、困ったことがあれば解決しようと尽力する。


 久しぶりに視える人が来たというだけでも愉快なのに、それが礼儀正しい男で、散々聞かされた自慢話もいつも初めて聞いたように丁寧に耳を傾けてくれるのだから、英霊たちがセドリックを気に入るのにそう時間はかからなかった。

 英霊たちの中でもライルとブレゲは、特にセドリックのことを気に入っている。


『なんていいヤツなんだ!』


『ええ、いいヤツすぎて心配になるレベルですよ』


 セドリックが教会へ来てからというもの、酔いどれおじさんゴーストたちは毎夜この調子である。


 せめてルフナ教会にいる間だけでも心穏やかに過ごしてもらいたい。

 だが二人の願いも虚しく、セドリックの生活は穏やかとは言い難い。


 墓地の手入れをする彼に突き刺さる、好意の視線。

 物言いたげな視線を休む間もなく浴び続けなければならないなんて、苦行でしかない。


 近ごろ墓地の向かいにあるカフェには、街じゅうの女性たちが殺到しているようだ。

 以前は観光客がちらほらと利用するだけだったそこは、今や繁盛店である。

 英霊たちが眠る墓地まで聞こえてくるやかましい声は、一部の神経質なゴーストの機嫌を損ねていた。


 英霊たちとの交流を楽しみにこの教会へやって来たセドリックにとって、これは大きな問題だった。

 力を遺憾無く発揮できると思っていたのに、女性たちのせいで一部のゴーストから「近づくな」と威嚇されている。


 彼の悩みが解決するのは、ある一人の令嬢がやって来た時だけ。

 ベケット伯爵家の令嬢、メアリ。

 社交界では『奇婦人』と呼ばれる変わり者の令嬢を、貴族だけでなく街の人々も奇異の目で見ている。


 メアリは、見るからにおかしな娘だ。

 貴族令嬢たちの間ではバッスル・スタイル──スカートの前面が平らで、腰の後ろに布を盛って膨らませる形──が流行する中、風変わりな格好をしている。

 ブラウスにハイウエストのスカートにコルセット。腰に巻いたベルトには歯車やネジやポーチがついていて、ポーチの中には工具が綺麗に整頓されて入っている。

 茶系の目立たない色の服を着ているのに、妙な存在感があっていつも浮いていた。


 ブツクサと独り言をつぶやきながら歩く姿は夢遊病者のようで、関わってはいけない空気を漂わせている。

 しかし、ブレゲからしてみたら親近感しかない。そしてブレゲを見慣れているセドリックもまた、彼女に対して親しみを覚えていた。


 メアリが墓地に来る日は、煩わしい視線もうるさい声もなくなって静かだ。

 彼女がいる時だけは、セドリックは穏やかな気持ちでゆったりと仕事をこなすことができた。

 なにより、彼女が墓地にいる間は絶対に告白されない。


 セドリックは、見ず知らずの女性に告白されることをひどく嫌がった。

 断ったあとは必ず、


『あなたには慈悲の心がないのですか??』


 と言われるからだ。


 皇太后兄の妻が亡くなり、ようやく自国に戻って来られたというのに、状況はちっとも変わらない。

 相変わらず顔だけを見て判断されることに、セドリックはほとほと嫌気がさしていた。


 英霊たちはセドリックに対し、さっさと嫌になって全てを投げ出してしまえばいいと思っている。

 盗んだ蒸気自動車で夜道を走り抜け、辿り着いた先の海で思いの丈を叫ぶのだ。顔だけで悪かったな、馬鹿野郎ー!──というのはライルの妄想だったか。


 さておき。

 英霊たちがセドリックを見守っていたところ、ついにその時は訪れた。

 彼らが思い描いていた形とは少々、違っていたが。


 忘れもしない。

 あれは、セドリックが一人のに呼び止められていた時──メアリが現れ、颯爽さっそうと撃退したのである。


『機械油とバニラの香りの貴婦人、メアリ……』


 ブレゲは言う。「去りゆく彼女を見送るセドリック坊やの顔は、恋に落ちた男の顔だった」と。

 しかし残念ながら、セドリックに自覚はない。

 そしてもっと残念なのは、その後ブレゲの墓石の前に来たメアリが、至って普通で脈なんてなさそうなことだった。


 それ以来、もともとメアリのことを魔除けの蹄鉄おまもりのように思っていたセドリックは、ますます彼女のことを気にかけるようになった。

 といっても、見ているだけで何かするわけではない。

 いつものように墓地の手入れをしながら遠目にメアリを見ては、あるかなしかの笑みをふんわりと浮かべているだけだ。

 その顔は恋する男というよりは、いつも一緒にいるぬいぐるみを抱っこしている時の子どものような、安心してリラックスしている顔だった。


 いつしかセドリックの口癖は、「ずっと居てくれたらいいのに」になった。


 メアリが墓地へ来る日は予測がつかない。毎日のように来ていたと思ったらパタリと来なくなったり、そうかと思えば数日おきにやって来たり。

 どうやら彼女は、アイデアがうまくまとまらない時にやって来ているらしいが……。


『毎日来てほしいと思うのは、かわいそうだろうか』


『いやいや、そんなことはない!』


『ええ、そうです。もう婚約者はいないのですし、良い機会ですから、お友だちになってみては?』


 セドリックとメアリの仲を進展し隊を結成していたライルとブレゲは、これ幸いと秘策を彼に授けた。

 それが今回の『作戦その一、知り合いになろう。目指せ、思い出あずかり屋の常連客!』だったのである。


「おーっし! 次の作戦といこうじゃねえか」


「ええ、そうです。のんびりしていたら彼女に忘れられてしまいますからね。発明家の性質ならよくわかっています。なにせ、発明家ですから」


 ライルの透けた腕が、セドリックの肩に回される。

 反対側ではブレゲが、口元に軽く握ったこぶしを当てながら、細い目をさらに細くしてクスクスと笑んでいた。


 今宵も墓地は人知れず賑やかしい。

 頼もしいゴーストたちに、セドリックは「よろしくお願いします」と頭を下げたのだった。

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