第39話
「──つまりわれわれに、ミストスクリーンとプロジェクターの審査をしてほしいということかね?」
「ええ、そうです」
セドリックがうなずくと、ネロ氏は鼻の下の綺麗に整えられたひげを撫でた。
その隣では、ルルド女史が真剣な顔をして書類を読みふけっている。セドリックなりにまとめた、メアリが持つ技術についての意見書だ。
「しかし、規則は規則だ。まずは書類を提出して──」
「それはできません」
セドリックはネロ氏の言葉を遮るように答えた。
ネロ氏の眉が、不可解だと言わんばかりにしかめられる。
「……なぜですか?」
「メアリは、特許出願に対して悲観的なのです」
セドリックの言葉に、ルルド女史は暗い表情を浮かべて「それは悲しいことね」と言った。
おそらく、どうしてメアリが悲観的になっているのか、察したのだろう。
「特許出願は、みな等しくチャンスがあるというのに」
ポツリとつぶやかれたルルド女史の声には、悔しさがにじんでいた。
「メアリ・ベケットの技術はすばらしいものです。それは、間違いありません。しかし、彼女は長い間誰からも見向きをされず、卑下され続けてきた。女のくせに機械いじりなんて、と言われ続けてきたのです」
「彼女は伯爵令嬢だからな。手が汚れる機械いじりなんて、歓迎されないのだろう。貴族は、綺麗なお人形さんのような令嬢を好みますから。しかし……それでも負けずに続けてきたことは、称賛に値しますな」
ネロ氏の好意的な意見に、ルルド女史とセドリックが同意するように大きくうなずく。
これは、なかなか良い流れなのではないだろうか。
安心しかけたセドリックだったが、次の言葉にまだまだだと知らしめられる。
「だがなぁ……」
ネロ氏は、とても真面目な人のようだ。
特許庁の審査官は公平さを求められる仕事だから、仕方がない部分もある。
だが、時には人の言うことに耳を傾け、行動することも大事なのではないだろうか。
なんとか了承させなくてはと、セドリックは頭を巡らせる。
金か、権力か、あるいは名誉か──?
メアリのためなら、なんでもしてみせよう。
どれならば納得させられるのだろうと思案した、その時だった。
「あなた、この書類をご覧になってなんとも思わないのですか?」
不機嫌な声が、ネロ氏の隣から発せられる。
見れば、彼の妻であるルルド女史が書類を抱えてわなわなと震えていた。
同じタイミングで妻を見たネロ氏が、ヒッと小さな悲鳴を漏らす。
それからセドリックの存在を思い出してハッとなり、体裁を取り繕うように咳払いをした。
「思うから、話を聞いている」
鷹揚な態度で答えるネロ氏に、ルルド女史は「そうでしょうとも」と胸を張って言った。
「私の旦那様ともあろう方が、金のニワトリを取り逃すはずがありません」
妻の言葉に、ネロ氏はうなずきを返す。
その顔はどこか嬉しそうで、彼が妻の尻に敷かれることを良しとしているように、セドリックの目には見えた。
「現在、この国では女性発明家が圧倒的に少ない。他国ではもっと自由に活躍しているのに、です」
「まぁ……そうだな」
「上から、もっと女性の特許取得率を上げろと言われたばかりではありませんか。彼女のように、特許庁が限られた人しか受け入れないと思っている方は多いはずです。もしも彼女の成功が世に広まれば……きっと多くの女性が勇気づけられるに違いありません」
「そうはいってもだなぁ……」
ここまで言っても後ろ向きなことしか言わないネロ氏に、ルルド女史は方針を変えることにしたらしい。
わざとらしいまでににっこりと微笑みを浮かべた彼女は、夫の手を取って両手で包み込みながら、甘えるようにしなだれかかった。
「……ねぇ、あなた。私、飛行船で旅行してみたいわ」
「突然、何を言っているのだ」
「突然じゃないわ。ずっと思っていたことよ。聞けば、最近ロディム街と王都をつなぐ空路ができたとか。たまには夫婦揃っておでかけしたいですわ」
「む……」
イチャつき始めた夫妻を見つめ、セドリックは思った。
(何をしているのだ、この人たちは)
呆れるセドリックに、ルルド女史がこっそりと目配せしてくる。
「公爵様のご招待ですもの。飛行船のチケットだって手配してくださるはずですわ」
なるほど、そういうことか。
セドリックは夫妻へにっこりと微笑みかけると、「お任せください」と答えた。
「ファンタスマゴリー……気になりませんか? 私、怖いのは苦手だから、できればあなたが同行してくださると、嬉しいのだけれど」
「ぐぬぅ」
「あなたが反対しても、私は行きますよ? 優雅な空の一人旅……もしかしたら、すてきな男性から声をかけられてしまうかも。私だけ楽しんでしまって、ごめんなさいね?」
「〜〜! きみを一人で行かせるわけがないだろう。たった一晩でも、離れがたいというのに」
どうやら、ルルド女史の作戦は成功したようだ。
デレデレと妻の手を撫でながら口説き始めたネロ氏に、ルルド女史が申し訳なさそうにセドリックを見る。
「必ず、お伺いしますわ。でも、特別扱いをするのですから、審査基準はいつもより厳しめになると思っていてください。良いですね?」
「ありがとうございます。特等席をご用意して、お待ちしております」
深々とお辞儀をすると、ちょうどよく時計塔の鐘の音が響いてきた。
約束の時間の終わりを告げる、鐘の音。
それはまるで祝福の鐘の音のようで、セドリックはふっと相好を崩した。
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