第33話
「メアリ、一人で立てますか?」
聞きなじんだ声が、気遣うようにささやいてくる。
耳の後ろがくすぐったい。
曖昧にコクリとうなずいてななめ後ろを見上げると、薄氷のような淡い青の目と視線が絡んだ。
頭の中が疑問でいっぱいになる。
どうして。なぜ。あまりにもできすぎていやしないか。
(どうして、アールグレーン様がここへ?)
彼は今頃、墓地でメアリが来るのを待っているはずだった。
迎えに来たとしても、普通ならば大通りを通ってくるはず。
(ああ、もしかして……こういう道を通っているから、誰にも見つからなかったのかしら)
そして、さらに信じられないことがメアリの目の前で起こった。
セドリックに吹っ飛ばされたことにようやく気がついた男が、彼に向かって殴りかかってきたのである。
「お貴族様が、でしゃばってくんじゃねぇ!」
セドリックはメアリを背に
二撃目と三撃目も、難なく
彼の動きは一つ一つに無駄がなく、しなやかなしぐさだった。
「……なんて、かっこいいの」
メアリでは指一本外すことができなかった男。
だがセドリックは、メアリをかばいながらであるのに余裕の表情だ。
圧倒的な強さを目の当たりにして、メアリの胸が熱くなる。
彼をゴーストと見間違えた自分を殴ってやりたいくらいだ。
吹けば飛ぶような人だなんて、なんて思い違いをしていたのだろう。
「か、かっこいい⁉︎」
メアリの無意識のつぶやきを聞きつけたセドリックが、ギョッとした顔で後ろを振り返る。
セドリックの注意がメアリにそれたのをチャンスと思ったのか、男は渾身の力で殴りかかってきた。
しかし、セドリックは軽々と攻撃を躱す。
当てるつもりだった攻撃が当たらず、男は前のめりによろけた。
そこへセドリックの回し蹴りが決まり、男が地面へ伏す。
目を回して伸びる男を怖々と眺めていたメアリだが、すぐに見られなくなった。
セドリックが、メアリの視界いっぱいに入り込んできたからである。
怖いくらい真剣な顔をしたセドリックが、メアリをまっすぐ見つめてくる。
整いすぎた顔はゾクっとするほどで、メアリは戸惑いを隠せなかった。
「アールグレーン様?」
妙に胸がドキドキしていた。
たくさん走ったあとだって、こんな風にはならない。
喧嘩を間近で見たのは初めてだったから、興奮しているのだろうか。
(おかしな趣味に目覚めなければ良いのだけれど……)
没落貴族のメアリが闘技場になんてハマったら、身包み剥がされて一家離散がオチである。
だめ、ぜったい。
誓いを立てるメアリの前に、セドリックの顔がさらに迫ってきていた。
「かっこいいって……私のことですか?」
「へ?」
鼻と鼻がくっつきそうなくらいの距離にセドリックの顔があって、メアリは混乱した。
墓地に咲く赤薔薇にでもなった気分だ。全身が赤く染まっている気がする。
セドリックははたと我に返ると、誤魔化すように咳払いをした。
それから少し距離を取って、メアリを見つめる。
「さっき、かっこいいって言っていたね? それは、私のことなのかい?」
セドリックの目には期待と不安が入り混じり、さらにその奥底には、隠しきれない自信のなさが見え隠れしているようだった。
メアリの出題した問題の答えが、正解だったかどうかを聞く時とよく似ている。
いつもは褒めてもらいたい子どもみたいな目で見てくるくせに、今はなぜだか男らしく見えて困る。
「そ、れは……こんな……恋人同士みたいな距離で、聞くようなこと、なのでしょうか?」
声が掠れる。
動揺していることがありありとわかる態度に、メアリは舌打ちしたくなった。
(こんなの……意識しているって勘違いされてしまうではありませんか!)
勘違いも何もその通りなのだが、メアリは認めたくなかった。認めるわけには、いかなかった。
そういうところ、そういうところだぞ、メアリ。
シェンファの呆れた声が聞こえてきそうだ。
だが、言わずにはいられなかったのだ。
だって一刻も早くセドリックに遠のいてもらわないと、意にそぐわない
(いろいろと不意打ち過ぎるのです……)
こういうのは、一日一個にしてもらいたい。
あるいは、「今からしますよ」と予告してほしい。
いっぱいいっぱいで小動物のようにプルプルと震えだすメアリに、セドリックが「あ」と声を漏らす。
すぐに素早く顔が遠のいていって、メアリはようやく息を吐くことができた。
「すまない」
「いえ……」
二人の間に、沈黙が落ちる。
それぞれ目を背けているはずなのに、チラチラと探るような視線を感じて、メアリはセドリックを盗み見た。
首の後ろをさすりながら、セドリックの顔はななめ下を向いている。
だが一瞬ではあったものの、彼の目は間違いなく、メアリを見ていた。
悪いことをして、怒られるのを待っている子どもみたいだ。
全神経を、メアリに集中させている。
彼は、メアリが怒るようなことを何ひとつしていないのに。
(それどころか、アールグレーン様は助けてくれたのよ)
感謝こそすれ、怒るはずがない。
なんだか申し訳ない気持ちになって、メアリは恥ずかしいのを我慢して言った。
「その……かっこよかったですよ」
メアリはらしくもなくもじもじしながら、「もちろん、アールグレーン様のことですからね?」と言い足した。
どちらが、なんて馬鹿な質問をされないように。そのために言っただけだ。
誤解されたら悲しいからだとか、そういうわけではない。
「そう、ですか」
セドリックの表情に、じわじわと喜色がにじむ。
これくらいで喜ぶなんて、とメアリは意外に思った。
(きっと、何度も言われている言葉でしょうに)
そんな、特別なことみたいに感慨深く言わないでもらいたい。
(勘違いしそうに、なりますもの)
噛み締めるように「そうか、そうか」とつぶやくセドリックに、メアリは居た堪れない。
恥ずかしさに視線を逸らすと、その先に傘を見つけた。
ふと気がついてセドリックを見てみると、彼は傘を持っていなかった。
周囲を見回しても、それらしいものは見当たらない。
メアリを助けるためにどこかへ置いてきてしまったのだろうか。
メアリは歩み寄り、傘を拾い上げた。
水を吸って色が濃くなった傘の柄は、あいかわらず不細工で愛着が湧く。
メアリには、こういうものがお似合いだ。
綺麗ですてきなものは、似合わない。
(見ているだけで、十分)
出てきちゃダメよと、メアリは胸に言い聞かせた。
「メアリ?」
近づいてきたセドリックが、心配そうにメアリの名前を呼ぶ。
しっとりと濡れた前髪は撫でつけられていて、綺麗な額がよく見えた。
ハラリと前髪が一房落ちて、毛先から雫がこぼれ落ちる。
水も滴るいい男とは、こういう時に使う言葉なのだろう。納得の色香である。
メアリは慌ててポケットからハンカチを取り出すと、背伸びをして彼の額を拭った。
「ありがとうございます」
「いえ。あの……良ければ一緒に入っていきませんか?」
雨は霧のような小雨で、傘を差さなくても大丈夫そうではある。
それでもメアリは、セドリックへ傘を差しかけた。
彼の背は高く、メアリは爪先立ちになる。
「だが……」
困惑の表情を浮かべて、セドリックはメアリを見てきた。
さりげなく背を屈めてメアリが背伸びをしなくても良いようにしてくれるのが、彼らしい。
「友人なら、これくらいするでしょう?」
それはどちらへ向けた言葉だったのか。
メアリはつとめて考えないようにしながら、なんでもないように微笑んだ。
「友人なら……。そうですね。友人なら、それくらいしても大丈夫でしょう。私の方が背が高いので、持ちますよ」
セドリックの大きな手が、やんわりとメアリの手から傘を奪っていく。
メアリ一人では十分すぎる広さがあった傘は、当然ながら二人だと狭い。
さりげなく腰に回された手は濡らさないためのエスコートだと頭では理解できたが、メアリの意に反して、心は勝手に甘くて苦い気持ちを吐き出して胸をいっぱいにする。
メアリは間違っても言葉にすることがないように、これ以上あふれませんようにと祈りながら、苦い顔をして首に手を当てた。
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