第8話

「ありがとうございました」


 令嬢を乗せた馬車が、滑るように走り出す。

 薄暗い黒猫横丁から静かに、逃げるように走り去っていく馬車を、メアリは店の前で丁寧にお辞儀をしながら見送った。


 またのお越しをお待ちしております、とは言わない。

 大抵の人は再来店しないし、メアリ自身も来てほしいと思っていないからだ。


 来店時は思い詰めたような顔をしていた令嬢は、晴れやかとは言えないまでもスッキリとした顔をしていた。

 きっと、彼女はもう来ないだろう。


(来るとしても、その時は新しい鍵をお求めになるのでしょうね)


 馬車がすっかり見えなくなると、メアリはゆっくりと顔を上げた。

 その時、彼女の目の前を黒猫が横切っていった。


「あらまぁ」


 唇に指先を当てて少しだけ悩んだあと、メアリは店じまいすることにした。


 看板を店内へ入れ、ポケットに入れていた鍵で店の扉を施錠する。

 通りに面した窓から中が見えないようにカーテンを引いたら、閉店作業は終わりだ。


 なんとはなしにふぅと息を吐いたら、忘れていた疲れがどっと出てきた。

 作業部屋へ戻ろうときびすを返したところで、応接室の全自動珈琲抽出機コーヒーメーカーが目に入り、否が応でも思い出してしまう。


「ああ、もう。どうしてあんなことを言ってしまったのかしら」


 頰に手のひらを添えて、メアリは困り顔で頭を傾けた。

 思い出すのは、日の光を受けて光り輝く凍った湖面──ではなく、全自動珈琲抽出機を見つめるセドリックの目だ。

 薄氷のような淡い青がチカチカと光を放つ様は、とても綺麗だった。


(いえ、思い出したいのはそこではなく)


 疲れのあまり、現実逃避しているのだろうか。

 呆れたようにため息を吐きながら、メアリはガックリと項垂れる。


「浮かれて……いたのでしょうね」


 そうでなければ、あんなことを言うはずがない。


「好きな時に来て使ってくださってかまいませんよ、だなんて。まるでデンバーの言葉のように軽薄ではありませんか」


 長く一緒にいたから、うつってしまったのだろうか。

 こんなどうでもいいようなところ、似たくなんてなかった。


「気持ち悪いと思われていなければ、良いのですが……」


 誰に嫌われていたって気にしないが、メアリがつくったものを欲しがるような貴重な人に嫌われるのは少し……いや、かなりつらい。

 メアリの提案にセドリックは一も二もなくうなずいていたからそれはなさそうだが、絶対ないとも言い切れない。

 だってメアリは、人に好かれ難いタイプの人間なのだ。


 機械に夢中になると、周りが見えなくなって、自分のことさえおろそかになってくる。

 貴族令嬢らしからぬ格好で街を歩くだけでも異常事態なのに、うつむいてブツブツと独り言をつぶやいているなんて、頭がおかしいと思われても仕方がない。


 だからこそ、コンラートと婚約していた時は彼の求めに応じて貴族令嬢らしい振る舞いを心がけていた。

 婚約破棄されてからは居直って服装まで自由になってしまったが、それも次の婚約までだと割り切っている。


「我ながら、なんて単純なのでしょう」


 面倒だと思っていたのに、とメアリの口から特大のため息が吐き出される。

 それはもはや、ため息というより深呼吸に近かった。

 両手で口元を隠しながら上げた顔は、恥ずかしそうに赤く色づいている。


 つくった機械を褒められるのは、これが初めてのことではない。

 だが、メアリがつくったと知っても態度を変えなかったのは、セドリックが初めてだった。


 セドリックと関わるのは、面倒ごとの匂いしかしない。

 無意識にさまざまなものを天秤てんびんにかけて、それでもなお出た言葉が「また来て」なのだから、よほど嬉しかったに違いない。


「次はいつ……いえ、本当に来るつもりなんてあるのでしょうか」


 浮かれすぎていて気づかなかったが、もしかしたら、大人の配慮……社交辞令だったのかもしれない。

 その可能性に今更ながらに気がついて、メアリは残念そうに目を伏せた。


「……いいえ、社交辞令と受け取ってもらわないと困りますわ」


 我ながららしくないとメアリは思った。

 でも、仕方がないではないか。

 メアリがつくった機械をあれほどまで気に入ってくれた人なんて、いなかったのだから。


 最初の客となったブラウン伯爵夫人は、蓄音機グラモフォンを喜んでくれた。

 だが、製作者がデンバーではなくメアリだと知ると、複雑な表情を浮かべていた。


 侯爵夫人に紹介してくれたのは、彼女が変わったものを好む性質たちだから。

 特に機械に関しては幅広くアンテナを広げているようで、夫である侯爵とともに各国の珍しい機械を蒐集しゅうしゅうしている。


 そんな侯爵夫人でさえ、メアリには「あなたが蓄音機をつくったことは、絶対に言ってはいけませんよ」と口酸っぱく言ってくる。

 それは店の価値を下げないためでもあるし、メアリを守るためでもあるそうだ。


 誰からも、評価してもらえない。

 それは、たとえ趣味であっても、ただ好きで続けていることでも、さびしいことだ。

 だからつい、魔が差した。そうに違いない。そうだと思いたい。


 おそらく次なんてないだろうけれど。もしも、もしもがあったとしたら……。

 お気に入りのコーヒー豆でもてなすのはどうだろう? 来客用のコーヒー豆は高級品だけれど、彼の好みではないようだったから。


「あらあら、私ったら」


 しぐさから、今日出したコーヒーが好みではないことを察する程度には、彼のことを気に入っているらしい。


「機械以外にも興味を持てたのね」


 セドリックは帰り際、メアリに甘いお菓子は好きかと尋ねてきた。

 はいと答えたから、もしかしたら今度来るときは茶菓子を持ってきてくれるのかもしれない。


 もしもそんな日が来たら。

 メアリは自慢の機械コレクションを披露してあげなくもないと思った。


 作業部屋には、メアリがつくった機械がたくさん置いてある。

 実用的なものからガラクタみたいなものまで、さまざま。


 セドリックがまた来る保証なんて何もない。

 それでも、新しい機械をつくろうと思い立った時のようなワクワク感が、メアリの心にひょっこりと芽吹いていた。

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