第7話
思い出あずかり屋が入っている建物は、奥に長い構造をしている。
入ってすぐの部屋は、応接室。その先は一つの部屋を二つに分けていて、一方は防音が施された思い出の間──ここは思い出を録音したり、預かった思い出を聞いてもらったりするための部屋だ──もう一方はメアリの作業部屋兼休憩室。そして一番奥に、防盗性能・対火性能を有した保管室がある。
メアリはセドリックを思い出の間へ案内したあと、「準備がありますので」と言って応接室へ戻った。
ここには、自身で制作した
武骨な機械は部屋の中に置かれた高価な家具と相性が悪そうに思えるが、経年で程よく色づいたアンティークの家具とうまく溶け込んでいた。
ロディム街にある店は、こういった比較的小さめの、風変わりな機械を置くところが多い。
流行に敏感な紳士は、こういったものに目がないためである。
とはいえ、思い出あずかり屋にあるような全自動珈琲抽出機ほどの性能を持つものを所有している店はないだろう。
コーヒー豆と水をセットし、機械の上部から垂れ下がるレバーを引っ張る。すると、あちこちからプシュウピシュウと蒸気が立ち上り、機械がゴウンゴウンと音を立て始めた。
街を訪れたサーカス団が宣伝をする時のような騒々しい音を立てながら、機械はコーヒー豆を砕き、湯を沸かす。
楽しげに体を揺らしてスイングしているようにも見える機械に、メアリは「私の気も知らないで」とつぶやいた。
(厄介なお客様ができてしまいました……)
一度でも利用すれば、繋がりができてしまう。
何か良からぬ予感でも感じ取ったのだろうか。
メアリの胸は、彼と関わるべきではないと騒いでいた。
セドリックが今までの客と同じならば、おそらく鍵を受け取るだけで満足して、再来店することはないはずだ。
だが、万が一でも「セドリックは思い出あずかり屋に大事な思い出を預けたらしい」なんてうわさが流れでもしたら。
メアリの脳裏に、なだれ込んできた貴婦人たちが店内を荒らし、お客様の秘密を暴いてしまうところまでがありありと浮かぶ。
ねじれたチューブの中をくるくると上がっていく湯を見つめ、メアリは
「こんなことなら、誰にでも保管できるようなものを作るべきでした」
音声を記録している部品は保管が難しいため、心得のない人が持っていることは難しい。
だからこそ、メアリが箱を預かって客が鍵を預かるというシステムになったのだが。
「改良の余地あり、ですね」
さて、代わりのものは何が良いだろう。
小さな箱に入るくらいの……薄いものが良いかもしれない。
つらつらと考えを巡らせているメアリの上に、影が落ちる。続いて、
「すごいな。これは……コーヒーを淹れる機械か?」
と、やや上擦ったセドリックの声が聞こえてきた。
メアリは、うたた寝から目を覚ました時のようにパチンとまばたきを一つしてから、ゆっくりと顔を上げる。
その瞬間、視線が絡んだ。
セドリックの淡い青の目が、朝日を反射する氷のようにキラキラと輝いている。
メアリはそのまぶしさに思わず、目を細めた。
セドリックは機械とメアリを交互に見ながら、答えを待っている。
早く答えを聞きたいけれど、見るのもやめられない。しかし、話を聞く時は目を合わせないといけない。
彼の表情には、好奇心と育ちの良さがにじみ出ていた。
落ち着かない様子は、散歩前にはしゃぐ犬みたいだ。
どこからどう見たって落ち着いた大人の男性なのに、案外かわいいところもある。
「ええ、そうです。私がつくりました」
「君が⁉︎」
その先に続くのは「女性なのに?」だろうか。
(女のくせに機械に触れるなんてあり得ない、と怒るかしら)
メアリの周囲の人たちは総じてそんな反応ばかりだ。
この店を押しつけ──否、任せてくれている侯爵夫人だって、「あなたが作ったということは口外しないように」と言っていた。
言ってしまったのは、セドリックがこの機械を褒めてくれたせい。少しだけ、これに懲りて来なくなれば良いという気持ちもあった。
『すごい』
この一言が、メアリにとってどれほど価値のある言葉なのか。
きっと彼は知るはずもないけれど、メアリは嬉しかった。
(用件が終わったらさっさとお帰り願うところでしたが……)
帰る前にコーヒーをもう一杯出してあげてもいいかもしれない。
出すつもりなんてなかったけれど、大事にとっておいたビスコッティを添えてあげなくもない。
冷静そうに見えて、実は少し浮かれているメアリだった。
「この機械は、売り物なのか?」
予想していたどの言葉も出てこなくて、メアリは黙る。
まるで聞いたこともない異国の言葉を
(ウリモノ、ウリモノ……って、もしや売り物ですかっ⁉︎)
思い至った瞬間、メアリの体がビクンと震えた。
視点の定まらなかった目が、焦点を結ぶ。
にわかに信用できない言葉に期待してはいけないと戒めつつ、メアリは慎重に口を開いた。
「……買いたい、のですか?」
緊張に、声が震えそうだ。
まさか、そんな。こんなことってある?
一言一句、噛まないように気をつけながら伝えた言葉に、
「ああ、いくらで買える? 小切手でも良いだろうか? 現金が良ければ、急いで手配するが」
セドリックは興奮気味に答えた。
そこには、メアリに対する嫌悪など微塵も感じられない。
ただ純粋にこの機械の素晴らしさに目を輝かせ、使ってみたいと思っているようだった。
予想外すぎて、頭が追いつかない。
こんなに頭が回らないのは、初めてだった。
「この機械は一つしかつくっていないので……。あなたさえよろしければ、好きな時に来て使ってくださってかまいませんよ」
そうして気づけばメアリは、つい先ほどまで思っていたこととは正反対の言葉を口走っていたのだった。
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