第15話
シオン・クライハルト。
かつて何度も顔だけは会わせたことのある人物。アイシスは大して興味も無かったが、ここ最近メキメキと頭角を現してきた。
最初にシオンに興味を持ったのは、メイドが話してくれたヴィクトーの件。
「あ、そう言えばご存じですか、アイシス様。ヴィクトー侯爵子息様が次男のシオン様に殴られたという話を」
お茶を注いだ仲のいいメイドが、唐突に語った。その内容は、アイシスからしても信じられないものだった。
「え? ヴィクトー様が弟に殴られたの?」
何その面白そうな話、とアイシスが興味を示す。
「はい。私は偶然当主様の話を聞いただけですが、何でもヴィクトー様の左頬が真っ赤に腫れていたとか。で、本人が弟に殴られたことをポロっといろんな場所で漏らしているらしいです」
「何でわざわざ自分の醜態を吹聴するのかしら」
「弟のシオン様を悪者に仕立てている、というのが侯爵様のご意見でしたね」
「納得したわ」
メイドが淹れてくれた紅茶をアイシスは一口含んだ。温かい液体が全身をほぐすように巡る。
そして内心、「ヴィクトー様らしいわね」と苦笑した。
アイシスはヴィクトーとそれなりに付き合いがある。同じ侯爵家の子息令嬢なのでお茶会に誘われる機会も多い。何より、アイシス自身も気づいているが、ヴィクトーはアイシスのことが好きだった。頻繁に名指しでお茶会に誘われるくらいには積極的である。
アイシス自身はヴィクトーの傲慢でプライドの高い部分を苦手としているが、婚約する相手には申し分ない。名門の子息、かつ有能なスキル持ち。貴族間の関係を良好に保つためには結婚も視野に入れていた。
それでもヴィクトーなら自分のプライドというか、慰めてほしいという気持ちが先行して自らの醜聞を吹聴するような真似をしてもおかしくないと納得できるくらいには、どうしようもない男だと思っている。
まあ、それも成長すれば治るだろう。きっと。
「でも、解せないわね」
「解せない? 何がですか、アイシス様」
もう一口紅茶を飲んでから彼女は答えた。
「クライハルト侯爵家の次男と言えば、落ちこぼれで有名。そんな無能が、当主に剣術を教わっているヴィクトー様を傷つけられるとは思えない。仮に傷つけられても、あの人の性格なら絶対に復讐するはず。次男のほうは無事なのかしら?」
的確な指摘にメイドの女性はうーん、と頭を捻る。記憶を漁り、ピコン、と欲しい情報を思い出した。
「確か、シオン様のほうはピンピンしてるはずですよ。仕返しされたなんて話は聞いてませんね」
「そう。話に出ていないだけの可能性もあるけどね」
話半分に聞いておく。実際に見ないことにはアイシスは信じられなかった。少しだけ、ヴィクトーの力は信用しているから。
しかし、その考えはすぐに吹き飛ばされることになった。
きたる学園入学試験の日。
試験会場となった運動場の観客席側で彼女は見た。兄ヴィクトーを翻弄し、たった一撃でヴィクトーをノックアウトさせるシオンの姿を。
「す……ごい……」
綺麗だった。少しの無駄もない完璧な回避。そこから繰り出される高速の一撃。
動きの一つ一つが洗練されていた。まるで相手の動きを最初から把握しているかのように間合いの管理が完璧だ。
アイシスは目を奪われる。黒髪に紫色の瞳の彼から目が離せない。
それは一種の完成形。同い歳の少年が見せた戦い方は、天才と呼ばれてきた自分が凡人になり下がるほどの技術が詰め込まれていた。
どうして? どうやったらあそこまで戦いを極めることができるの?
アイシスはその疑問に支配された。聞きたいことがたくさんある。もっとたくさん戦ってる姿が見たい。人生で一番の興奮を覚え、クールな彼女にしては珍しく心が躍った。
知りたい。知りたい知りたい知りたい知りたい! 彼のことをもっと知りたい。
気づけば頭の中はシオンで埋め尽くされ、残念ながらヴィクトーの入る隙はなかった。
そこからシオンに積極的に話しかけ、仲良くなろうとする。
ヴィクトー本人が乱入しようとしてきたり、いけ好かない女(カトラ・ネリウス)が子爵子息風情にナンパされていてざまぁって感じだったのに、そのせいでシオンとの時間を奪われた。
「(あの子爵子息はあとで闇討ちしようかしら? それとカトラ……私より家格が低い、ちょっと清楚で可愛いだけの女がシオン様の興味を引くなんてズルいわ! 実力は私のほうが上なのに)」
少し離れた所で談笑する二人を眺めながら、アイシスは瞳のハイライトを消してギリリ、と奥歯を強く噛み締めた。そうこうしている間にカトラもシオンも試合に向かった。
「……まあいいわ。私がシオン様を篭絡してみせる。あの胸だけ育った牛女と違った方法でね」
ふふん、と胸を張るアイシス。彼女は悲しいことに貧乳だった……。それもまた希少価値だ。ステータスである……たぶん。
▼△▼
「——そこまで! 勝者、シオン・クライハルト!」
審判役の男性教師が試合終了を告げる。
俺と戦った男子生徒は、強烈な一撃を喰らって白目を剥いていた。少しばかりやりすぎたかな?
そう思いながらも合格条件の五勝を達成できたのでよしとしよう。別に彼に恨まれても支障はないしな。
木剣を審判役の男性教師に返し、俺は観客席のほうへと戻った。カトラがこちらに手を振っている。
「シオン様~! お疲れ様です」
「カトラもお疲れ様。そっちは今何勝目?」
「私は三勝ですね。少し休憩したら一気に終わらせるつもりです」
「さすがカトラ。有象無象には負けないな」
試験を受けに来た生徒の大半がダンジョンに一度も潜っていないような雑魚ばかり。すでにレベルをそこそこ上げている俺たちの敵じゃない。
彼女なら誰が相手でもあと二勝くらい余裕だろう。
「私はシオン様の仲間ですからね。恥ずかしいところはお見せできません!」
「そうか? カトラの恥ずかしい姿は見たい気もするが」
なんて冗談っぽく笑ってみせる。するとカトラは、頭から湯気が出るんじゃないかと思えるほど顔を真っ赤にした。
「そそそ、それは……ま、まだ早いかと……」
「え?」
何言ってんだ? 俺、別に変なことは言ってない……あ。こともないな。捉え方によってはセクハラじゃん!
違う! そういう意味じゃない! と弁明しようか悩んだが、弁明すると本気で俺が変態みたいになる。やめだやめ。女性を手玉に取る魔性の男——と思われたほうがいいな。うん、男は少し軟派なくらいがちょうどいい。
前世で陰キャだった俺が何を語るんだって話だが。
「ごほん。それはそうと、試験が終わったらまたダンジョンに潜りに行こう。ちょっと欲しい物があるんだ」
「ほ、欲しいもの?」
なおも顔を赤く染めたままカトラがオウム返ししてくる。
俺はこくりと頷いて言った。
「ああ。俺の予想だとたぶん必要になる」
「? どういう意味ですか?」
言葉の意味が分からないカトラが首を傾げた。しかし、あのイベントの話を彼女にしてもどうして知っているのか疑われるだけ。前世の話ができない以上、曖昧に濁すしかなかった。
「その時が来たら教えるよ。とにかく、どうしても欲しいアイテムがあってね」
▼△▼
シオン、カトラ、ヴィクトー達が試験を受けている最中。
クライハルト侯爵邸の一角にて、メリッサ・クライハルトがお気に入りの男性騎士に向けて口を開いた。
「クローヴィス卿、例の話はどうなっているのかしら?」
名を呼ばれた灰色髪の騎士は、無表情のまま答える。
「暗殺者の手配は済ませました。近日中には隙を突いて襲う算段とのことです」
「そう……それはよかった。前回は命までは狙うつもりがなかったし、私の仕業だとバレたくなかったから適当なゴロツキを雇ったけれど……さすがに、近頃のあの子の態度には限度があります。クライハルト侯爵家はヴィクトーのもの。邪魔はさせない」
窓から差し込む陽光が薄暗い部屋の中をわずかに照らす。だが、メリッサとクローヴィスの影はどこまでも不気味に、そして——笑っているようにも見えた。
——————————
【あとがき】
アイシスはカトラのことを内心で「牛女」と呼んでいますが、カトラのほうもアイシスを「絶壁」や「クレーター」と呼んでいます。仲良しですね!
アイシス「窪んでないわよ‼」
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