第9話
ローランド・クライハルトは、自らの名に密かな自負があった。
クライハルト侯爵家は代々、優秀な剣士を輩出してきたという実績がある。彼自身も王国随一の剣士である。
父がそうであったように、自らの、クライハルト侯爵家の優れた遺伝子を継いだ息子が、さらに侯爵家の名声を上げてくれる。そう、今まで信じていた。
そんなローランドの耳に、面白い話が入ってくる。
「……なに? ヴィクトーがシオンに殴られた?」
ある日の夜。
いつものように大量の書類仕事を片付けたローランドに、そばに控えていた老齢な男性執事が言った。
「はい。ヴィクトー様から聞きました。いきなりシオン様に殴られたと」
「ありえんな。シオンの奴には才能が無い。早々に訓練を辞めさせたはずだ。いきなりであろうとヴィクトーが後れを取るはずがない」
冷遇されていたシオンと違い、ヴィクトーにはローランド自身が剣術を教えている。確かに剣術においては優れた才能こそ持っていないが、肉体に宿る筋肉と経験は嘘をつかない。もう何年も剣を振っていないシオンの攻撃など、ヴィクトーからすれば止まって見えるはずだ。
「私も最初は疑いました。しかし、ヴィクトー様の左頬が腫れています。シオン様かどうかはさておき、殴られたのは間違いないかと」
「侯爵子息であるヴィクトーを殴れる者など、この屋敷どころ王国中を探してもごくごくわずかだろうな。ふむ……」
ローランドの中で疑惑が浮かんだ。
「仮にシオンの奴に殴られたとして、ヴィクトーが簡単にやられると思うか? そもそも、シオンの奴はどうなった」
「それが……先ほど確認した限り、元気そうに歩いていました」
「ほう。剣術を習っているヴィクトーを殴り倒し、その上で反撃すらされなかったと」
「おそらくは」
執事も現実を疑うレベルの話だということは理解している。その上で、実際にシオンがピンピンしていて、殴られたと主張するヴィクトーが酷く頬を腫らしているのだから事実なんだろう。
長年ヴィクトーたちを見守ってきた執事だからこそ、困惑を隠せない。
それは父親であるローランドも同じだ。
しかし、ローランドはすぐに考えを改める。にやり、と凶悪な表情を作って言った。
「……まさか、今更シオンの才能が開花したとでも言うのか?」
「それは……」
執事は返事を躊躇う。言われてみて、その可能性が高いことに気づいた。
「でなければおかしな話だ。ヴィクトーの性格を考えればすぐにでもシオンへ復讐しに行くだろう。だがそれをしない。殴られたと泣き喚くだけでな」
ローランドの脳裏には、みっともなく涙を流すヴィクトーの顔が浮かんだ。見なくても分かる。どうせ泣いているのだと。
「面白い。可能性としては高いのだ、今すぐシオンを呼んで来い。私自ら奴の才能を確認するとしよう」
「畏まりました」
一礼し、執事は部屋を出た。それからすぐに執事と共にシオンが書斎へ足を踏み入れる。
「お呼びでしょうか、父上」
「!」
部屋に入ったシオンの顔を見て、真っ先にローランドは息子の変化に気づいた。
「(シオンめ、顔つきがずいぶん変わったな。前はあれほど卑屈な表情を浮かべていたというのに、今は自信が表れている)」
今は亡き側室の、シオンの母親と同じ紫色の瞳には、爛々と莫大な熱量が渦巻いているように見えた。
「(佇まいといい、わずかに感じる圧といい……ククク! いつの間に化けた?)」
歴戦の猛者たるローランドには一目で分かった。シオンは強い、と。それも自分が15歳の頃よりも圧倒的なオーラを感じる。
たまらずローランドは笑ってしまった。
「ハハハ! ただの石ころがダイヤの原石になるとはな!」
書斎に響くローランドの低い声。それを聞いてシオンは内心、「やけにテンション高いなこのおっさん」と思った。
それくらいローランドが高らかに笑うのは珍しい。
「シオン、お前は兄であるヴィクトーを殴ったそうだな」
「はい」
間髪入れずにシオンは答えた。
「何があった」
「何が……と言われても、ヴィクトーの奴がウザかったので殴っただけです。咎められますか?」
何ら自分に恥ずべき点は無い。後悔も無いといった風にジッとシオンはローランドの目を見つめる。
しばし沈黙が続き、ローランドは首を横に振った。
「……いや、咎めるつもりはない。むしろよくやったと褒めてやろう」
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げるシオン。
「クライハルト侯爵家では強さこそが尊ばれる。理解しているな?」
「ええ、もちろん」
「であれば、昔のお前は死んだ。私に新たな翼を見せてくれ」
「父上がそれを望まれるのであれば」
なんだよ新たな翼って……そうシオンは思ったが、口にはしない。雰囲気というものがある。
「よろしい。早速、明日から剣術の訓練を再開しよう」
上機嫌な声でローランドが告げると、しかしシオンはそれを拒否した。
「いいえ、それには及びません」
「なに?」
じろり、とローランドがシオンを鋭く睨む。
「どういうことだ。剣術には興味がないと?」
「そういうことではありません。ただ、俺はダンジョンでこそ強くなれます。どうせ後で潜るのですから、チンタラ剣術の練習をするより効率的かと」
「無茶だ。お前に何ができる」
「すでにダンジョンの第一層は突破しました」
「なっ⁉」
これにはローランドも後ろに控えていた老齢の男性執事も驚愕する。
まだ15歳の、それもまともに運動をしてこなかった、才能の無い落ちこぼれだと思っていた次男が、魔物の生息するダンジョンを踏破してきた? 例え一層だけであろうと信じられない話だ。
「ですので、どうか自由にさせてください。必ず父上の期待に応えると約束しましょう」
「……ふ、ふふっ」
ローランドは笑ってしまう。笑うしかなかった。
「ハハハハ! いいだろう。お前がそこまで言うのなら剣術の鍛錬は無しだ。好きにダンジョンにでもどこにでも行くがいい」
「ありがとうございます」
「ただし! お前の言葉が真実かどうかを確かめる」
「方法は?」
「お前もヴィクトーと共に学園へ入学しろ」
「学園……」
そこで初めて鉄仮面を付けていたシオンの表情が曇る。
「なんだ? 学園には行きたくないのか? それとも、自らの才能を示すことができないと?」
「……いえ、分かりました。学園に入学します」
「よろしい。では話は以上だ。お前が私の想像すら超えてくれることを祈っているぞ」
「期待に応えられるよう精進します」
再び頭を下げたシオンは、執事の横を通り抜けて書斎を出た。
「ククク。我が家の未来は明るいな」
▼△▼
「そ、それは本当ですか! 母上」
場所は変わってヴィクトーの部屋。
ベッドに腰を下ろしていたメリッサ・クライハルトは、頬を赤く腫れさせながら横たわる愛しい息子の頭を撫でながら、悲しげに目じりを下げて頷いた。
「ええ。先ほどローランド様から通達がありました。シオン……あの側室の子も、あなたと共に学園に入学します」
「そんな! どうして父上は——ッ!」
叫び、頬が痛む。
「落ち着きなさい、ヴィクトー。あの落ちこぼれがどうやってローランド様に取り入ったのかはわかりませんが……母が上手く処理しておきましょう」
「父上に内緒でシオンに何かすると?」
「ふふっ。ちょっと痛い目に遭わせるだけですよ。痛みを知ればあの落ちこぼれも理解するでしょう。ヴィクトー、あなたこそがクライハルト次期侯爵であると」
「母上……ありがとうございます」
「ママでもいいのよ?」
「母上⁉」
ようやくヴィクトーは暗い表情を吹き飛ばした。その顔を、腫れていないほうの頬を優しくメリッサは撫でる。
全ては、自分の息子のため。
——————————
【あとがき】
父親は才能至上主義のクズ!
「長男? 次男のほうが上ならいらね」
正妻は長男大好きマザコン製造機!
「息子のために次男をボコる。殺しも視野に入れてます」
これこそが温かいクライハルト侯爵家!
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