第10話

 浴槽に張られたお湯にカトラが体を沈める。

 大きな波紋が生まれた。全身に心地のいい熱が行き渡る。


「ふぅ……今日は色々なことがありましたね……」


 首までしっかりとお湯に浸したカトラは、ゆっくりと天井を仰ぎながら一日を振り返る。


 まず一番衝撃的だったのは、追い剥ぎを目的としたハンターたち——それを撃退したシオンのスキル。

 事前に魔物を呑み込み使役することができるというのは知っていたが、コボルトロードほどの強敵まで従えることができるとは。

 今も脳裏には、コボルトロードに触れ、小さく低い声でスキル名を呟くシオンの言葉が焼きついていた。




『——亡者の檻』




 シオンの足下から滲み出た闇色の魔力。最初こそシオンを恐れたが、自分を守ってくれた彼の行いに気持ちは反転する。


「むしろカッコよかったなぁ……」


 あのオーラが似合う者はそう多くない。生まれながらにクライハルト侯爵譲りの綺麗な黒髪を持つシオンだからこそ、亡者の檻が生み出す闇に負けていなかった。


「闇の中に浮かぶ紫色の水晶……。鋭く、細く、尖って見えたあの目も、何もかもが幻想的にすら……」


 ほう、と息を吐く。


 シオンは最初から整った顔立ちだ。不敵に笑う姿がよく似合い、自信のある表情がカッコいい。

 だが、あの時、確かにカトラは今までで一番の美しさを見た。冷徹でありながらわずかな温もりを感じさせるシオンに、敵を前にして目が離せない。気づけば全てが終わっていた。


 まさか平然と死体の懐をまさぐるとは思ってもみなかったが。

 でも、あの容赦のなさも素敵……。


「って、ダメダメ! シオン様に見惚れて警戒を怠るなんてネリウス伯爵令嬢の名折れです! もっと強く、もっと有能でなければ……!」


 パシャッ、とお湯を弾いて右手を上げる。グッと握り締められた拳が彼女の意思の強さを表していた。


「せっかくシオン様と仲良くなれたのに、私が弱かったらシオン様の足を引っ張ることになりますからね!」


 聖域は有能なスキルだが、今後もスキルだけでシオンの隣にいられる保証はない。今日だって、シオンはどんどん前に進んでいった。多少は戦闘に参加したが、ボスにいたってはソロで攻略している。


「このまま座して待つのではなく、自らの意思で強くならなければ!」


 浴槽の中で立ち上がる。ばしゃっと派手にお湯が跳ね、大量の波紋を生んで浴槽から流れ落ちる。

 白く曇った湯気の中、玉のように磨かれた自らの肌を見下ろす。胸を優しく腕で持ち上げてみた。


「……それはそうと、シオン様には確か婚約者はいなかったはず。付き合ってる相手もいない……はず」


 カトラもつい最近知ったことだが、シオンはクライハルト侯爵家で不遇な扱いを受けていた。

 側室の子という立場が関わっているのは明白だが、カトラにとってシオンの生まれや境遇はあまり興味がない。何より大事なのは、シオンが誰とも付き合っていないという事実。


「恋愛に興味があるようには見えませんでしたが、それも今だけのこと。私が頑張れば、少しくらいは見てくれますよね?」


 カトラは自分の容姿や体型に多少なりとも自信がある。

 母親譲りの美貌に、母親譲りの大きな胸。それでいて鍛え抜かれた体は引き締まり、今のところポーションのおかげで肌に傷の一つも無い。


 彼女自身、恋愛経験はゼロだ。これまで好きになった男は一人もいない。婚約者の話は何度か持ち上がったが、両親に説得されても悉く強引に拒否してきた。




 今日までは。




「問題は、両親をどうやって説得するか……クライハルト侯爵家ともなると、簡単に婚約できるとも思えませんし」


 うーん、とその場で思考を巡らせる。なかなか妙案は出てこなかった。


「まあ、今はシオン様と絆を深めましょう。お母様も言ってました。相手の好感度を稼ぎ、周りから恋人のように認識されてからが勝負だと! 相手の退路を断ち、がしっとシオン様を掴んでみせます!」


 肉食系の母親の影響で、外見だけは清楚なカトラも、例に漏れず肉食系だった。メラメラと瞳に情熱の炎を宿し、浴槽から出て髪を結ぶ。




「さあ、そうと決まればまずは——剣をたくさん振って強くならないと!」


 実は恋愛に関しては脳筋だったりするカトラ。彼女の暴走する気持ちは、果たしてどのような結果をもたらすのか……そう遠くない未来に判明するかもしれない。




——————————

【あとがき】

プロローグ終了。物語は次のイベントへ。


ここまで読んでくれた読者様、ありがとうございます。10話はカトラのこれまでの気持ちを軽く振り返り、11話からまた本編が始まります。

これからもどうか、本作をよろしくお願いします!


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