第8話 これだけでも僕は
迎えることがないと思っていた土曜日の朝。
森の中にある一軒の家。
その家の中のキッチン。
ジュウ、とフライパンの上で焼けるウインナーは、部屋中にいい匂いを漂わせていた。
「……ねえ、流川さん? 僕、全然サンドイッチでも良かったんだよ? じゃんけんなんてしなくてもさ」
フライパンを握りつつ、隣でブスっとしながら僕を見つめている流川さんに声を掛ける。
彼女のすぐ近くには、ちょうどいいサイズの弁当箱が二つ並べられていて、おにぎりと卵焼き、それからプチトマトが既に入っていた。
「……いい。じゃんけんしなきゃ私の意見が通されるだけでつまんなかったし」
「でも、じゃんけんした結果もっとつまらなさそうになってるよね? 僕はお弁当の中身どっちでもいい派だったのに」
「別にそんなことないよ? あと共、どっちでもいいとか言うのは禁止。本当は心の底でどっちかがいいって思ってるくせに。自分の気持ちに嘘は付いちゃダメ」
「嘘なんてついてないけどね。どっちでもいい。どっちも美味しそうだから」
「そうは言っても共の好みとかあるでしょ? ごはんとパン、どっちが好き?」
「んー……」
「どっちも一緒くらい好きってことはあり得ないよ。ごはんもパンもまるで別物だもん。両方とも炭水化物で、朝食によく出てくるってところは同じだけどね」
「好きというか、どっちもそんなに嫌いじゃないかな。だから、僕からしたら同一評価」
「はい、同一評価もダメ。ちゃんと自分の気持ちに問いかけてみること。同じくらいって思っても、一ミリくらいで違うかもしれないんだし」
「案外細かいこと言ってくるね」
「そりゃそうだよ。人生は短いんだから。せっかく生まれて来たんだし、自分の気持ちに正直にならなきゃ」
人生は短い、か。
そう言われると、僕は流川さんの患っている病のことについて知りたくなる。
病気のせいでこんな森の中に一人で住むことになったらしい。
どんな病気なのか聞いてみても、彼女はしっかりしたことを少しだって話そうとしてくれなかった。
人前に出るのが苦手なコミュ障症候群とか、人込みに入ると力が暴走しかける厨二病症候群とか、そんな適当なことばかり。
つまるところ、あまり言いたくないんだと思う。
僕に心配をさせないつもりなのか、それとも出会って間もない人間に多くを語る気は無いっていうスタンスなのか、他の理由か。
よくはわからないけれど、僕も僕で抱えていることも全部流川さんへ話しているわけじゃないから、お相子ということにしておいた。
人間、知らない方がいいこともある。
『流れ星になりたいの』
そんなメルヘンチックな願望を持つ明るい彼女だ。
病気を患っているとはいえ、こんないい家をあてがってもらってるし、今まで親に愛され、親戚に愛され、幸せな人生を歩んできたに違いない。
僕のことを赤裸々にぶつけるのはちょっと気が引けた。
「そういうことなら、君の方こそ正直になるべきなんじゃ?」
「どういうこと?」
僕の隣でプチトマトの残りをつまみ食いしながら、首を傾げる流川さん。
僕はそのことに対して何も突っ込まずに続けた。
「じゃんけんに勝つか負けるか。二分の一のギャンブルを楽しみたいってのはわかるけど、主張する力としては僕の方が弱いんだし、そのままサンドイッチがいいって押し通せばよかったんだよ」
「いやいやぁ、それじゃ共がつまんないじゃん」
「それくらいのことで僕はつまんないとか思わないよ。君に引っ張ってもらう方がいい気がするし」
「だけど、楽しくはないよね?」
「楽しいとか楽しくないとかあまり考えないかな。お弁当の中身を決めるのに」
「考えなきゃ~! 考えて~! じゃないと私も流れ星になりきれないし~!」
騒ぎ立て、フライパンを握ってる僕の右手を揺らしてくる流川さん。
危ない。
すぐに左手に持ち替えた。
「子どもじゃないんだから。危ないし、今僕の手揺らさないで」
「なら、考えてよ。もっと自分が楽しい方に行けるようにさ」
「……そんなこと言われたってな」
「共がしたいこと、やりたいことを素直に言ってくれる。これが一番の私の楽しみだし、流れ星にもなる甲斐があるってもんだ」
お得意の笑顔。
笑顔なのはいいんだけど、何ともまあセリフ選びがよろしくない気がした。
流れ星になる甲斐がある。
そういう意味じゃないことはわかってるけど、流川さんが自ら死にに行ってるような、そんな捉え方をしてしまう。
そんなことをするのはきっと僕くらいで、彼女が自殺みたいなバカげたことをしようとするなんて思えない。
僕は、流川さんに悟られない程度に小さく首を横に振り、焼けたウインナーをいったん別皿へ移した。これで少し冷まして、あとは弁当箱の中へ入れるだけだ。
「でも、正直なところ、僕は今のままでもいいと思ってる」
「どういうこと?」
「君にお願いした、生きてて良かったと思える体験をさせて欲しいってやつ。あれ、今実際にさせてもらってるから」
「え? 嘘? そうなの? 私は全然そんなつもりないけど?」
ギョッとして、流川さんは口元に手をやった。
僕は何となく気恥ずかしくなり、頬を掻きながら続ける。
「女の子と二人きりでキッチンに立って料理することなんて、僕はこの先できるかわからないから。なんか……ありがとう」
「え!? こんなんでいいのぉ!?」
いい。
……と言いたいところだけど、口にできなかった。
流川さんが僕の顔を覗き込むようにして、自らの顔を近付けてくる。
眉を八の字に曲げ、拍子抜けしてるのが丸わかり。
彼女は、もしかしたら壮大な何かを用意してくれていたのかもしれない。
でも、僕からすればこんな何気ないひと時で充分だ。
今だけは日常を忘れられる。
ここは自分の家じゃないし、僕という存在を否定する誰かがいるわけでもない。
むしろ、過大とも言えるくらいに肯定してくれる人がいる。
その事実だけでいい。
いや、その事実がいい。
「まったくだなぁ。共が女の子慣れしてないってのは自分でも言ってたから知ってたけど、まさかここまでだなんて」
「自分でもびっくりしてる。これ以上何かを望む気にならないよ。僕はこういうのでいいんだと思う」
「それじゃ私的にはだなぁ~。う~ん……」
腕組みし、流川さんは考え込む仕草。
僕はそれを見て思わずクスッと笑ってしまう。
笑みながら、冷めたであろうウインナーを弁当箱へ入れた。あとは適当な冷凍食品を入れよう。冷凍庫の方へ歩く。
「あ。じゃあさ、これしたげる」
「?」
歩みを止めた。
振り返って流川さんの方を見やる。
彼女は箸を持ち、分けていた皿の上にあるウインナーを掴んで僕の方へ近付いてきた。
何をする気だろう。
そう思っていた矢先、有無を言わさず――
「はい。あーん」
こんなことを言ってくる。
僕は困惑するしかなかった。
あまりにも突然のことに。
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