第13話 流川さんの考えていることは謎

「的山先生が夜間学校の授業担当を……?」


 気付けば、僕は驚きのあまり自分から先生へ疑問符を投げかけていた。


 的山先生は照れくさそうに頭を掻きながら頷く。


「うん。そうそう。昼は社会科をやってるから、夜は国語を教えてるんだよ。現国」


「え……現国……?」


 何で?


 即座にそんな思いに駆られる。


 社会科の教師は、普通夜も社会科を教えるもんじゃないんだろうか。


 首を傾げる僕。


そんな僕を見て、的山先生は頬を緩ませた。


「不思議に思うだろ? 先生も不思議だよ。まったくあの子はねぇ」


「あの子……」


「ああとも。夜間学校の生徒。たった一人だけども、元気で明るくて、老いぼれ教師は暗い中での授業だってのに明るい中で話してるような、そんな錯覚に陥っちまうんだ」


「……明るい生徒……」


 僕がぽつりとこぼすと、的山先生はそれに対して返してくれる。


「女子生徒だよ。名前は訳あって言えないんだけど、とにかく明るい。一対一の授業だからってのもあるが、何でもかんでも僕が話せば質問してくる」


「……それは……」


「きっと大勢のクラスメイト達のいる教室にいれば人気者だったんだろうなぁと思うねぇ。ちなみに、先生が社会科じゃなく現国を教えるきっかけになったのも、この子が『先生からは現国を教わりたい』って言われたからなんだ」


「……そう……なんですか……」


「ああとも。理由を訊いてみればね、『なんか先生の声で物語読んでもらったらよく居眠りできそうだから』って。もう、コラって怒ってやったね。ただ、怒りつつ、僕も結果的に現国を教えてあげてるんだが」


 言って、的山先生は「はははっ」と比較的大きな声で笑った。


 一般的に聞けばそれはあまり大きくないかもしれないが、いつもの先生の声のボリュームからすれば大きい。


 それでも落ち着いた大笑いだった。


「現国以外には教えたりしてないんですか? その女子に」


「教えてないけどもねぇ……実際は社会科も少し教えてるんだ。僕の他に二人ほど彼女へ授業している先生がいるんだけどもね。普段数学を教えている滑川先生の社会科授業はわからないって言って僕に教えてくれるようせがんできたりするね」


 それはそうだ。


 どうして数学の先生に社会科を習おうとするのか。


 本当に意図がわからない。流川さんの考えてることが。


「ちなみにちなみに、その流れで英語の宿題もたまに見てあげている。ってなると、他の科目も教えていることになるのかねぇ。はははっ。この歳でオールラウンダーだよ。大変なもんだ」


 と言いつつ、的山先生は楽しそうだった。


 流川さん相手に授業をするのは、孫を相手しているのに近いのかもしれない。


 どうもそんな感じだ。


 先生は優しいし、流川さんのおじいちゃんもちゃんと務めていそう。


「けど、さっきのこと」


「ん?」


「暗い中で授業をしているって……」


「あぁ、あぁ。うんうん。暗い中でね」


「それは……本当に暗い中? 電気を消して?」


「そうそう。電気は一切付けない。暗い中でなぁ、こうして……僕は教卓にデスクライトみたいなものを設置して、教科書だけ見えるようにしているんだ」


「どうしてそんなことを?」


「それが夜間学校の決まりだから、だね。その女子生徒を視覚に入れない。他の先生はこう……箱みたいなもので教壇を囲ってな、その子のことを見ないようにしながら授業したりもしているらしい」


「……?」


「不思議なもんだろ? でも、それが決まりだからね。彼女も安心して授業を受けられる」


「その理由は……」


「それは……なぁ。先生もよく知らない。ただ、深い事情があってのことだよ。暗い中で執り行われる授業。そこから【夜間学校】の名前は来ているんだ」


「……」


「どうだろう? 君が聞きたいこと、僕はちゃんと教えてあげられたかな?」


 いや。


 そう、首を横へ振りかけてしまう。


 ただ、それはできなかった。


 聞いても無駄……というか、聞いてはダメな気がして。


 本当に聞くべきことは、彼女自身に聞くのが一番のようだ。


 ちょうど昼休み終了五分前のチャイムも鳴った。


 僕は、先生に会釈し、感謝の言葉を告げ、椅子から立ち上がる。


 そんな折だ。


 先生は僕を呼び止め、こう言ってきた。


「空木君。本当に伝えたいことがあれば、その人がいる間に伝えるようにするんだよ?」


「……え」


「人はね、案外すぐにどこかへ行ってしまうものだから。ほら、僕も気付いたら明日から学校に来なくなってるかもしれない」


 クビになったりして。


 冗談っぽく舌を出しながら言って、的山先生は笑った。


 それに釣られて僕も笑う。


 いやいや、と。


 そんなことだけはあって欲しくない。


 あって欲しくないから、笑いの裏でその言葉は僕の胸に何となく深く刺さったのだった。

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