第12話 夜間学校担当教師

 学校に行っても、僕の周りには基本的に人が寄ってくることはない。


 それもそうだ。


 友達がいないから、というのはもちろんのこと、自分から誰かに話し掛けることもなければ、奇跡的に話し掛けられたとしてもフレンドリーな対応や面白い返しができるというわけでもない。


 事務的な声掛けを、ただ事務的に返す。


 それが学校生活における僕の唯一のコミュニケーションの場。声出しの場だ。


 あとは、授業で先生から当てられた時にも一応声を出す。


 本当にそれだけ。


 何もない。


 少しだけムッとくることや、空しい思いになることはあれど、嬉しい気持ちになることなんてそうそうない。


 でも、個人的にはそれでいいと思っていた節もある。


 家に居れば、母さんと一緒の空間に居れば、僕はもっと苦しい思いをするだけだから。


 学校という何もない場でも、何もないがゆえに安心できる。


 嫌なことも、家に居る時に比べれば起こる確率が低い。


 だから、これでいい。


 本できそう思っていた。


 彼女と出会うまでは。




「……けど」




 昼休み。


 僕は一人で廊下を歩きながら、一人で誰にも悟られないよう軽く苦笑し、小さい声で呟いてみせる。


「自分がここまで単純だとは思ってなかった」


 金曜日の夜、誰もいないはずの森の中、湖の元で出会った女の子。


 同い年で、同じ学校に通ってて、誰も訪れないであろう場所で暮らすしかない彼女。


 未だにわからない部分が多い彼女。


 流川星乃。


 死にかけだった僕は、あの女の子に出会って明らかに生きる希望みたいなものを見出していた。


 彼女が流れ星みたいになるため、たった一つだけ願いを叶えてもらう。


 そんなの、聞いた直後は、おとぎ話に憧れるちょっとイタイ女の子なのかと思った。


 流れ星みたいになりたいって何だ、と。


 なりたい理由を訊いてみても、彼女はカッコいいからだの何だの、と夢想的なことしか話してくれない。


 次第に僕も内心呆れるところがあった。


 あったのだけど――


「結局、今はこうして彼女のことばかり考えてる」


 何だかんだ流川さんは僕を必要としてくれていた。


 流れ星になりたいから、僕に願いを叶えてもらう役を担って欲しい。


 普段は誰にも会わないから、君がここに現れてくれて本当によかった。


 心の底から単純だ。呆れるべき対象は流川さんじゃなく、僕自身。


 詐欺師にだって簡単に引っかかるんじゃないか? 気を付けないと。


 自分でそう思っても、結局また流川さんに寄りかかっていた。


 疲弊しきってる人間に正常な判断なんてあまりできないのかもしれない。


 どうせ死んでいた身だ。


 だったらいっそのこと騙されていてもいいから。


 僕は彼女が流れ星のようになれるため努力しよう。


 努力って言葉、こういう時に使うものなのかはわからないけれど。


「失礼します」


 辿り着いた先。


 社会科準備室。


 僕は、一人の先生の元を訪ねた。


 部屋の扉を開けると、そこにはメガネを掛けた小柄なおじいさんが机に向かっている。


 彼は僕のことに気付くと、にこりと笑んで軽く手を挙げた。


「おお、来たか来たか、空木君。どうぞこっちへ来てここへお座り」


 的山先生。


 下の名前はよく知らないけれど、クラスを分断して行う社会の授業の担当をしてくれている人だ。


 非常勤の先生で、学校にはたまにしか来ない。


 だけど、僕は彼のことを他の人よりは信用していた。


 穏やかで話しやすかったから。


「いやぁ、よく来たね。昼休み、何か他にしたいこととかあったんじゃないかい?」


「いえ。特に」


 言われた通り椅子に座るや否や、的山先生が柔らかい表情で話し掛けてくれるのに、僕は不愛想に首を横に振って応えた。


 先生はそれでも楽し気に顎を触りながら笑う。


「僕がこうしてたまに学校に来た時、昼休みを過ごすってなったらこうして社会科準備室に籠ってるわけだけどね、いつも思うんだよ。外からこう、生徒たちの声が聴こえてきてね、楽しそうだなぁ、青春だなぁ、って」


「……はい」


「それからね、ほら、あそこに窓があるよね?」


 言われ、僕は先生の指差した先を見やる。


 確かにある。備え付けられた窓が。


「あれから外を眺めるんだ。そしたら隣の教室棟が見えて、生徒たちの様子も一部見える。昼休み、はしゃぐわけでもなく静かに読書している生徒」


「……」


「そういうのもまた青春だよ。若いうちの読書は、歳を取った時と違う感覚で一つ一つの文字の羅列や絵を感じることができる。それこそ、何て言うかこう、みずみずしい感性でね」


「……はい」


 僕が相変わらず小さい声で不愛想に返事をすると、先生はまたしても笑う。年寄りの話は長くてよくわからないもんだろう、と。


 そうは思わない。


 こういう話を聞くのは嫌いじゃない。特に的山先生からは。


「僕の話はとりあえず置いとこうか。それで、今日は聞きたいことがあるんだったか、空木君から」


 無言で頷く。


 先生は興味深そうに宙を見上げた。


「それはどんな話だろうか。授業でわからないところがあったとか?」


「いや、そういうわけでもなくて」


「ほうほう。では、どんなことを?」


 訊かれ、僕は簡潔に答えた。


 夜間学校に関して教えて欲しい、と。


 先生なら知っているんじゃないか、と。


 非常勤教師ではあるけれど。


「ふむ。夜間学校かぁ。……これまた少しびっくりだ」


「びっくり?」


「こうして生徒から直接訊かれるとは思ってなかったからなぁ。誰かから聞いた? 僕が授業担当を一部任されていること」


「え」


 知らなかった。


 知らずに訊いたから驚いた。


 まさか先生が授業の担当をしていたとは。

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