第11話 食事代と憂鬱な月曜日

『夜間学校って知ってる?』


 背景がおぼろげな世界で、何者かが僕に問うてくる。


 返答するために声を出そうとしても、口から音は出て行かなかった。なぜか満足に喋ることすら叶わない。口がせき止められてるみたいだ。


 でも、目の前の何者かは、僕が言おうとしていることを適切に感じ取ってくれた。まるでテレパシー能力でもあるみたいに。


『まあ、そっか。言葉だけなら知ってる人は程々にいるよね。ほら、たまに噂してる人もいるし』


 いる。


 でも、大半の人は、いや、ほとんど全員が具体的な利用者なんて知らないはずだ。


『へぇ。君、何か自信ありげだね。その皆が知らない具体的な利用者ってやつ、君は知ってるんだ?』


 知ってる。


 土曜日、僕はそれを本人から聞いた。


 驚きでしかなかった。


 その理由も、自分の病気が原因でってことらしい。


『ふむふむ。それは込み入った情報だね。しかし、本人から聞いたとあれば信ぴょう性も高そうだ。君はすごいね。夜間学校利用者の生の声なんて、普通は聞けない』


 だろうとは思う。


 彼女、病気が原因で森の中に住んでるし。


 学校にも昼間とかは一切行ってないみたいだし。


『そうだね。にしても、まだ詳しい病気のことは彼女から教えてもらってないのか、君』


 ……?


『それを知ることができれば、色んな事に対して納得ができるだろうし、悲しまなくて済むだろうに』


 ……どういうことだ?


『いや、知ったとしても病気を食い止めることはできないか。だったら、知らない方がマシ、と。なるほどなるほど』


 ちょっと待って欲しい。


 何を一人で納得している?


 この人は何を言っているんだろう。


『逆らえない運命っていうのはどうしたってあるし、それに対してウダウダ悩むのは時間の無駄……とまでは言わないけれど、自分の心を悪くするだけ。だから、僕は願うよ。君がどうかせめて、最後まで彼女の傍に居てあげることと――』


 意識が薄れていく。


 何でだ。


 こんなタイミングで。


『自分の気持ちに素直になって、君は彼女へ話をして欲しい。それは、何よりも彼女が喜ぶことだろうからね』



 どういうことだ。本当に。


 その言葉の意味をもっと詳しく――




「――っ……!」




 夢。


 そう気付くのに時間はかからなかった。


 鮮明に見えたのは家の中の天井。


 憂鬱な気分になる、手放すはずだった景色。


 土曜日、日曜日を流川さんと一緒に家の中で過ごし、昨日の夜、ここへ帰って来た。


 当然ながら母さんは何も言わず、むしろ僕がいるのを見ると、興味なさげに一瞥だけくれ、その後は特に会話も無し。


 夕飯は冷蔵庫のあまりもので簡単に作る。


 当然、食べたぶんのお金も置いておかないといけない。


 僕は持っていた500円をテーブルの端にメモ書きと一緒に置く。


 それから、すぐに皿洗いをした。


『丁寧に、綺麗にやりなさい。あなたの部屋がそうしてあるように』


 冷たくそう言われる。


 体裁だけは整えておきたいのが母さんだから。


 外から見れば、僕がこんな生活をしているなんて思われていないはず。


 空木さんの家はいつも綺麗で、共君も幸せね。


 近所のおばさんに言われたことがある。


 誰も内側なんて見やしない。


 本当は僕は、もっと母さんとちゃんと話がしたい。


 夕飯だって一緒に食べたい。


 冷たい視線を向けないで欲しい。


 それだけのことすらできないのに、幸せなんて笑える話だ。


 仕方ない。


 言った通り、内側なんて何も見えなくて、僕は母さんに死んで欲しいとまで思われているのだから。


「……」


 布団から上体だけを起こして時計を見ると、登校しないといけない時間が近付いていた。


 そのタイミングで、ちょうど玄関の方からガチャン、と扉の閉まる音が聴こえる。


 母さんも出勤していったらしい。


 沈黙の中で、僕は力なくため息をつき、ゆっくりと立ち上がる。


 やっぱりダメだ。


 ここに戻ると、どうしても気持ちが嫌な方へばかり行ってしまう。


 どうして死ななかったんだろうか、と後悔ばかりが募ってくる。


 そんな後悔、叶うならしたくはなかった。胸の中がヒリヒリしてくる。


 リビングの方へ行くと、当然ながらテーブルはまっさらな状態で、僕に用意されているものなんて何も無かった。


 冷蔵庫を開ければ、そこには母さんがいつも食べている物や、母さんが弁当に入れて行く簡単な食材がいくつも並んでいる。


 ただ、今から何かを作る気なんて起きないし、フライパンなどでウインナーを焼いたとして、すぐに洗って綺麗にしておかないと、母さんは鬼の形相で怒り、ひたすらに僕を殴ってくる。


 だから、時間的にも余裕が無くて、端っこの方にあった魚肉ソーセージだけを一つもらうことにした。


 値段は恐らく五十円ほど。


 僕はまたメモ書きと一緒にテーブルの端に五十円を置いて、身支度を整えてから家を出た。


 外へ出ると、春の晴れた空気が、鬱陶しいくらいに僕の背を叩いてくるような、そんな感覚にさせられた。


 今日は月曜日だ。


 流川さんとは、毎週土曜日と日曜日にあの家で会うことになったから。


 それまではこうしてまた日々を過ごさないといけない。


 彼女がいなければ、僕はとっくの昔にこんな世界と縁を切っていただろう。


 こんなこと、本人の前では絶対に言えないけれど。

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