第18話 的山先生の本音
「そうして、ここのYへ2を代入して……えっと、ここからどうなるんだったっけなぁ。うーむ……」
「的山せんせー、その問題の回答は『X=8』、『Y=6』ですよ」
「んんっ……!? お……あ……あぁ~。そうかそうか。ここの代入数字は3で、こっちが4になるからかぁ。おぉ、おぉ確かに確かに。そしたら今流川さんの言った通りになるねぇ。正解だ」
「ふふふっ。残念でした。私の方が答えるの早かったです」
「いやぁ、負けた。いっそのこと先生に教えて欲しいくらいだ。うん。じゃあ、気持ちよく答えも出せたということで社会科の授業を――」
「せんせー、次のページ行きましょう。私、次ここ勉強しときたいです。教科書の朗読と問題回答時間ください」
「んん? はははっ。社会科の授業はまだしない感じかね?」
「社会科はせんせーの宿題とリモートの方でしっかり教わりたいです。せっかくこうして生の的山せんせーと会話できてるんだもん。どうせなら一緒に難しいことに挑戦したいですよ」
「難しいことかぁ……。しかし、数1は先生には少し難し過ぎるかな? 教師なのに、教える側の流川さんより問題解けないんだもんなぁ」
「それがいいんですよ~。一緒に悩みながら問題解きましょ? あ、あと色々お話もしたいです。せんせー、最近何か面白いこととかなかったですか?」
「面白いこと? 面白いことかぁ。そうだねぇ。ははは」
いや、「ははは」じゃないんですけども。的山先生……。
開始された夜間学校はツッコミどころ満載だった。
今、僕と流川さんは、二人並んで教壇に立ってる的山先生から授業を受けているのだが、まず教室が真っ暗。
わかっていたことではあった。
最初から話は聞いてたし。それが夜間学校というものだと。
でも、ここまでとは。
的山先生は、大きな仕切りの付けられた特殊な教卓に教科書などを置き、そこへスタンドライトを取り付けて授業を展開している。
ただ、授業を展開しているといっても、それはほとんど俺の知ってる授業なんかではなくて。
流川さんと的山先生が色々会話しながらゆるりゆるりと問題を解いたりしているだけ。
なんか二人とも友達みたいだ。
おじいちゃんと孫が一緒に教科書に書いてる問題を解いてる感じと言えばわかりやすいだろうか。
で、紛れ込んでいる僕なのだが、的山先生も仕切りの中にいるからこっちがまるで見えていないし、真っ暗なのもあって、全然気付かれていない。
完全に先生は流川さんと二人きりでいると思っているみたい。
なんというか、最初にあった心臓のドキドキも、今じゃバレそうにないことから安堵に変わり、苦笑いを浮かべるだけとなってしまった。
こんなのでいいんだろうか……。
「流川さん。僕はね、基本的にはこの夜間学校について生徒へ何か話すことなんて一切やっていないんだ。それは君も知ってくれていることだと思うんだけど」
「そりゃもう。はい。せんせーは口堅そうですし。あ、でも夜間学校の授業してくれてる先生は皆口堅いと思うよ? そもそも残業代とか出ないみたいだし? この授業時間とか」
「はっはっ。そうだよ。残業代は出ない。出ないけど、その分皆君と授業をするのが楽しいって先生ばかりだ。白川先生に末兼先生。……なんか皆歳取ってる人ばかりだねぇ」
「ぷっ! せんせー、それ白川先生に聞かれてたら怒られちゃうよ? 女の人に歳の話はしちゃいけませーんって」
「いやいや、白川先生は今ここにいないはず。……いないよね?」
「あはははっ! 確認してるし。せんせー、面白すぎー」
僕の隣で手を叩いて笑う流川さん。
的山先生も教卓の仕切り内でゴソゴソしてる。その中にいたんじゃそもそも見えないだろうに。
「ま、まあいいってことにしよう。たぶん聞かれてない。うん」
「わかんないよー? 案外どこかで聞いてたり?」
「縁起でもないことを言わないようにね、流川さん。ごほん」
弱々しく咳払いし、的山先生は話を続けてくれる。
「最近ね、それこそ面白いというか、僕からすれば嬉しいことが起こったんだ」
「ふんふん。せんせー的に面白い話」
「いつもは自分から何かを話してくれないけれど、たまに僕の元へ来てくれる男子生徒がいてね。その子が夜間学校について教えて欲しい、と言ってきたんだ」
「へ~、男子生徒。しかもピンポイントだね。せんせーにって」
「そうだね。僕が夜間学校の授業担当をしているのを知っていながら、というのはどうかわからないが、とにかく普段は寡黙な彼が僕へそういった問いかけをしてきた」
「うんうん」
「普通なら誰彼に話すことではないから、何も言わずに別の話題へ逸らしたりするよ。僕も。でも、彼には話してあげたんだ。流川さんが実際に受けてるとは言わずに、一人の女子生徒が受講してくれている、と」
「隠してってことかぁ」
「そうなんだ。隠してどんなことをしているのか教えてあげた。時折噂にもなっているし、友達づくりの話題にでもしたかったのかな? でも、彼は話していいことと話しちゃいけないことの分別が付きそうな生徒だし、性格的にもそういうことはしなさそうだ。具体的にどういう意図があったのか、本当のところはわからなかったね」
「へ~」
「そんな彼を見ていると、自分が学生だった頃を思い出したよ」
「せんせーが学生の頃?」
「ああそうとも。僕が学生の頃。僕は両親がいなくてね。児童施設で幼い頃を過ごし、高校生になったタイミングで一人暮らしを始めたんだ」
「え。そうだったの? それ初めて知った。私と一緒じゃん」
「うん。流川さんと同じ。でも、僕は強くなくてね。両親もいなかったし、一人でいることくらい簡単だと思っていた。それが蓋を開けてみれば、生活に慣れなくてねぇ。独りは苦手だったようで塞ぎ込んでしまい、周りから見れば暗い奴そのものだったろうから、友達だって一人もできなかったんだ」
「えー、せんせーが?」
「そうなんだよ。僕は根っこの部分はそういう奴なんだ。今は妻もいてくれてるし、独立した息子が二人いるから、こうしていられてるけどね。すごく弱い人間なんだ」
「見えないけどなぁ」
「ははは。そうかい? そんなことも無いと思うけれど」
「見えない見えない。それでそれで?」
「それでね、そんな彼に対して僕は親近感を覚えていて、普段からよくしてあげようとすごく思っていたんだ。でも、僕が自分から頻繁に話し掛けに行ったりするのも、彼の友達づくりに悪影響を及ぼしかねない。あいつは的山といつも一緒にいる。自分らは話し掛けないでおこう、みたいになったら逆に悪いことをしている風になってしまう。だから、遠いところから見ていて、いつも応援している」
「……うん」
「でも、彼がそうやって話をしに来てくれたから、僕はすごく嬉しかったし、短い時間だったけれど楽しかったんだ。夜間学校の話をするの」
「……へぇ~」
「どうもありがとう。こんな思いができたのも流川さんのおかげだよ」
「別にそんな改まってありがとうなんて言わないでよ。私も私で楽しみながら授業受けてるんだし」
「あはは。そうかい?」
「せんせーの授業楽しいしね」
「そう言ってくれると嬉しいよ。それこそ、涙が出そうなくらいに」
笑いながら的山先生はそう言う。
もしかしたら、先生は今本当に泣いているのかもしれない。
流川さんも先生から感謝され、薄っすら笑みを浮かべていた。
暗いから細かい表情はわからないけれど、嬉しそうにしていたのは事実だと思う。
ふと考えた。
これも流川さんからしてみれば、流れ星に近付いたような行為なのではないか、と。
誰かに幸福を与えるのは、流れ星の役割の一つだろうから。
「じゃあ、また授業を再開させようかな? やるのは数学だったね」
「お願いします。せんせー、今度は私より早く問題解いてよ~?」
「ははは。プレッシャーはかけないで欲しいなぁ。でも、頑張ろうかね」
言って、的山先生はパラパラと教科書をめくり始めるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます