第19話 御伽話

 夜間学校の授業を終え、僕たちは昇降口を抜けて外へ出た。


 授業を受ける前も真っ暗だったけど、今も真っ暗。


 流川さん的に言えばこれは放課後らしいけど、僕からしてみればまるでそんなことはなかった。


 夕陽も見えないし、部活動へ行く人たちもいない。


 なんというか、一度くらい行ってみたかった塾というやつの終わりに似てるんじゃないかと思う。


 中学生の頃、難化し始める勉強対策か、学校終わりの学習塾に通う人が増えた。


 みんなそれに伴って塾内の友達を作ったり、昼の休み時間に塾の時の話をしてたりして、すごく楽しそうだったんだ。


 塾に行けば僕にも友達ができるのかもしれない。


 そんな淡い希望を抱いたりして通ってみたいな、と思ったけど、結局母さんにその思いを打ち明けることはできなかった。


 言えば確実に面倒なやり取りをしないといけないし、怒られるかもしれない。


 だったら、と。


 何も言わず、僕は塾に憧れたまま、中学生活を終えた。


 たまに平日の夜、外を歩いていると、塾の前で僕と同い年くらいの人たちが複数人で楽しそうに会話してたけど、今流川さんと二人でいるのは、まさに彼らと同じなのかもしれない。


 塾帰り、僕たちは今日あった授業のことを話したり、先生の話をしたり、明日のことを話す。


 こんな何気ないことなのに、妙に嬉しかった。


 流川さんには感謝だ。


 僕のしたかったことを一つ叶えてくれた。


 それこそ、流れ星みたいに。


「流川さん、授業お疲れ様。それに、ありがとう。貴重な体験をさせてくれて」


「お疲れ様〜。貴重な体験できたでしょ〜? 私の言った通り、せんせーには結局バレなかったしね〜」


 楽しそうにケラケラ笑って言う彼女。


 本当に、だ。


 まさか最後までバレないとは思ってなかった。


 途中、どこかしらで僕の存在はバレて、流川さんとの関係を説明しないといけない、なんてずっと考えてたのに。


 とんだ取り越し苦労。


 そもそも、的山先生から流川さんのことは全然見えてなかったみたいだし、僕を認識できないのも当然と言えば当然なのだが……。


 安堵すると同時に、一つだけ疑問が残った。


 たった一つ。大きいような疑問が。


「流川さん。夜間学校、貴重な体験ではあったんだけど、どうしても気になることが一つある。それについて聞いてもいい?」


「うん。どうぞ。こんな授業スピードで大学受験は迎えられるのか、とか? それなら大丈夫。私は賢いしね〜」


「ううん。違う。いや、君が勉強できるのは今日はっきりわかったんだけど……」


「……?」


「……その、流川さんはどうして夜間学校で授業を受けてるの?」


 核心を突くような質問。


 でも、聞きたいのはこれだけに留まらない。


 僕は続けた。


「先生が視界を遮ってるってのも疑問に思った。まるで君のことを努めて見ないようにしてるみたいだ。どうして? 何か理由でもあるの?」


「……………」


「前、君の両親が家に来た時だってそうだった。二人はなぜか面をしていた。しかも、目の部分が空いていなくて、君に手を引かれなくちゃ歩けなくなるようなほど、視界を遮ってしまうような面を。何か理由でもあるの? 皆、流川さんのことを見ないようにしてるみたい」


「……………」


「ごめん。答えづらかったら無理には聞きたくないんだけど……。でも、答えはすごく聞きたいなって思う。何か大事なことのような気はするし」


「……あはっ」


「……?」


 黙り込んでいたところから笑い出す彼女。


 僕はそれに対してつい首を傾げてしまう。


 何が面白いんだろう、と。


「君はなかなか勘が鋭いねぇ。良いところにお気付きだ」


「からかうのはやめてよ。別に勘が鋭くなくたって聞きたくもなる。その……明らかに不自然だし」


「そう? 別にからかってはないけど。じゃあ私の誤認識かな? 共はあんまり触れてこないかなって思ってた」


「触れるよ。触れたくなる。僕は、君と少し関わり過ぎたような気がするから」


 言うと、流川さんは「このくらい全然でしょ」と手を横に振る。


 そうなのかな。


 そこは僕の感覚がおかしいらしい。


 普段あまり人と関わろうとしないから、いざ関わると、少しのものでと過剰に思えてしまう。


 情けない話だ。


「ん……。けど、そうだねぇ。そこんとこ、共は気になるし、どうしたって気にしちゃうんだ?」


「そりゃね。今日のように学校へ通う人ってあまりいないし」


「まあ、そうだよね。普通なら朝から学校に行って、放課後は部活に行くか、友達と遊ぶか、夕陽の中通学路を歩いて家に帰る」


 普通なら、ね。


 何か意味ありげに彼女は呟く。


 その呟きはどこか儚げで、掴み取って意味を知ろうとする僕の意に反するかのように、夜闇へ消えていった。


 それを面白がるみたいにして、流川さんはまたにこりと笑みながら続けてきた。


「じゃあ、これは例えばだけどね? もしも共が御伽話の世界に入ったとして、人に触れられたらいけない呪いにかかった場合、どうするかな?」


「……? えらく急な話だね。もう一度言ってもらっていい?」


「共が御伽話の世界に行きます。その世界で、君は人に触れたらいけない呪いにかかった。さて、どうする?」


「触れたらどうなるんだろう?」


「さあ? そこは想像に任せるよ。でも、たぶん大変なことにはなるだろうね。どうする?」


「ん……」


 少し考える。


 僕ならどうするだろう、と。


 今それが話の流れに沿ってるのかどうかは別として。


「……まあ、たぶん誰も人のいないところへ行く、かな?」


 言って、少しハッとする。


 でも、呪いなんてのは現実じゃ起こり得ない。


 ハッとして、また疑問符が浮かんだ。


 流川さんはそんな俺を横から見つめて、クスッと微笑む。


「だよね? たぶん私もそうする。人のいない場所へ行く」


「……流川さん……」


「けど、これは例え話だよ。君は今、私の境遇と重ねて考えたのかもしれないけれど、現実は現実だ。呪いなんてのは存在しない」


「……それは……そうだよね……」


「でも、もしかしたら呪いに似たものなら存在するかもしれない。それこそ、長いこと生きられない、みたいな呪いはさ」


「……え……?」


 ドク、と心臓が強く跳ねた。


 長いこと生きられない。


 その言葉がやけに僕の中で響く。


 確かにそれは呪いと似たものだった。


「ま、暗くなる話はここまでにしてさー! 共、私、部活動って憧れてたんだよねー!」


「へ?」


「今日は暖かいし、プール行こうよ! プール!」


「え、えぇ!?」


 驚いたところでもう遅い。


 僕は気付けば流川さんに手を引かれ、走り出していた。


 プールの方へ、強く、強く。

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