第20話 プール。キス。
流川さんに連れて行かれた先は、本当に夜のプールだった。
真っ暗で誰もいないのは当然のこととして、出入り口の扉が思った以上に厳重な形で閉められている。
これはさすがに入れない。
そう思ったのだが、流川さんは常識に囚われない人だ。
軽い身のこなしで側のフェンスをよじ登り始めた。
僕は驚かずにいられない。
もしも落ちて彼女が怪我なんてすれば大変だ。
大慌てで止めに入る。
「な、流川さん。さすがに危ないよ。そこまでしなくたって別に……」
「大丈夫大丈夫。夜の学校は共よりも私の方が詳しいしね。一番安全で一番上りやすいフェンスちゃんと選んでるから」
「一番安全って……。どれも同じだと思うよ? 特別壊れてるとかもないだろうし」
「残念でした。それがあるんだよ。実際何度もここから侵入してるし」
「何度も侵入してるんだ……」
心配だったものの、彼女は本当に言った通り難なくフェンスを上り終え、向こう側へ到達。
仕方なく、僕も不慣れではあるものの流川さんに続いた。
二人でプールサイドに降り立つ。
「そんじゃ、さっそく泳いじゃう?」
「え?」
「なーんてねっ! ちょっと季節外れだし、足浸けるだけにしよっか。きもちーよ」
イタズラっぽく笑んで言う彼女。
僕は内心それが許されるのか不安だったけど、もうここまでくれば何でもアリだ。
呆れるように頷いた。
流川さんの仰せのままに、と。頭を下げて。
彼女も冗談っぽく胸を張って返してくる。では行こう、と。
裸足になってコンクリートの上に座る。
それから足を水に浸した。
冷たさがちょうどいい。
「たまにさ、一人で学校へ来た時にもこうやってプールに足を浸けて夜空を見上げてるんだ、私」
「一人で?」
「そう。一人で。他に一緒に夜間学校行ってる人なんていないし」
わかってて聞いてるんでしょ、と流川さん。
別にそんなつもりはなかった。無意識に聞いてしまっただけだ。
「まあ、何でもいいけどね。私は一人だけど、そんなの言ったら共だって一人だろうし」
「それは間違いない」
「だよね。似てるんだ、私たち」
「でも、森の中一人で暮らしてるところは別に似てないよ。君だけだ」
「だね。でも、私たちは結局こうして出会って、今は一緒に生きてる。それってもう似たもの同士だと思わない?」
「似てる……とは言わないんじゃ? ただ、一緒にいるだけだと思う」
「私たちが一緒にいるってことは、つまり似てるってことなんだ。何言ってるのかわからないかもだけど、私からすればそのままの意味でしかない」
「……ちょっと言ってることの意味がわからない。何だろう? 哲学的な話?」
「そこまで高尚なものじゃない。そうじゃなくて、これはもっと私と共からすれば身近な話。でも、私たちはいずれ似たもの同士じゃなくなる」
「……?」
「流れ星と、それに願いを掛ける人になるの。そう短くない先に、ね」
「……なんかそれ、僕の捉え方が間違ってなければ、君が近いうちに死んじゃうみたいに聞こえる」
「さあ。どうでしょう? 答えは君の願いが叶ってからわかります。お楽しみに〜」
いやいや、と僕は首を横に振る。
楽しんでる場合じゃない。
流川さんが死ぬとなれば尚のこと。
「ま、そういう暗くなりそうな話は一旦置いとこうよ。共の願い事について話そ?」
「気軽には置いとけないよ。君が近いうちに死ぬのなら尚更」
「ふふふっ。ありがとう。そこまで君が心配してくれるのなら私は思い残すことないや。来世でまた会おう」
言いながら彼女は冗談っぽく手を振ってきた。
こんなのさすがに黙ってられない。
僕は少し語調を強めて彼女へ詰め寄る。
「ふざけてる場合じゃないよ、流川さん。君が何か病を患ってることは知ってる。夜間学校だってそのせいで受けてるんだよね? 流れ星みたいにってのも死に際の人の最後の願い事のような気がしてならない。どうなの? 正直に答えて欲しい」
「あはは。いやいや、別にそんなこと……」
「僕に嘘なんて付く必要はない。本当なら死んでるような人間だ。君と出会わなかったら僕はあの日の夜、とっくの昔に自殺してる。そんな奴なんだよ」
「………」
「生きがいだって、君との願い事を叶える事以外何もない。だからお願いだ。隠さずに話して欲しい。流川さんの病気のこと。体調のこと。それから、夜間学校に通ってる本当の理由」
僕なりに勇気を出して発したセリフだった。
流川さんと出会った夜の湖で自分が何をしようとしていたか。
そんなのは彼女を心配させるだけで、流川さんからすれば何の関係もないことで。
だから、僕は最後の最後まで自殺のことを告げるつもりはなかった
なかったんだけど……。
「!?」
一瞬何が起こったのかわからなかった。
隣にいた流川さんが無言のままに僕の手を取り、前の方へ体重をかける。
受け身なんて取れるはずがない。
抗おうとしてもそれはもはや無駄な行為でしかなくて。
僕は流川さんと一緒にプールへその身を投げた。
凄まじい水飛沫と水温。それから体に伝わる冷たさ。
手足で感じていたものとはまるで違った。
冷たくて。冷たくて。
思わず息が止まるかと思うほどだ。
全力で手をバタつかせる。
傍にいた流川の姿が見えない。
呼吸もできない。
でも、それでも。
「流川さん!」
抗って水から顔を出したところで、僕は叫んだ。
夜闇のこともあって、簡単に彼女が見つからない。
どこへ行った。
懸命に探していると、だ。
「私はここにいるよ、共!」
そう遠くない場所で水から顔を出し、流川さんが返事をくれる。
安堵した。
もちろん、どうして突然こんなことを、という思いはある。
でも、それ以上に彼女の身が心配で。
「だ、大丈夫なの!? 底は深くなかったし、どこかぶつけたとか、そういうのは……!?」
「大丈夫大丈夫! 心配しすぎ! 私を舐めないでよ、共!」
「舐めてはいないけど、それでも君は……!」
「大丈夫だよ。私は元気。こうして水にいきなり入ったって何もない。むしろ体は丈夫な方だし」
「で、でも!」
僕は自分のことよりも君のことを心配してしまう。
そんな思いを口にしようとしていた矢先。
それを封じ込めるかのように、冷たくなっていた頬へ温かくて柔らかいものが触れる。
「っ……!」
瞬間的に気付く。
それが流川さんの唇だということに。
「……えへへ」
僕は体を硬直させ、目だけを動かして彼女の方を確認。
流川さんはいたずらに笑み、軽く舌を出していた。
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