第21話 僕は彼女の大切な人

互いの唇が触れ合う。


 キス。


 僕の感覚が間違いじゃなければ、それは愛し合った人たちがする行為であり、決して軽い関係性の二人がしていいことじゃない。


 もちろん価値観は人それぞれあって、中にはキスなんて簡単にできる、というものもあると思う。


 でも、僕はなるべくそうありたくない。


 本当に大切で、心の底から大好きだと思える女の子とだけ唇を交わしたい。


 そうじゃないと契約の意味がない。


 二人の愛した証。


 大切だよっていう証明。


 僕のこんな考えは、重たい奴特有のものかもしれないけれど、それでいい。


 愛の証明が重たくないと、他のどの行為や物事に重さをかけるのか。


 何も重たくなくていいなんてことはないと思う。


 それだけははっきり言える。


「ふっふっふ。……キス、しちゃったね。私たち」


「っ……」


 夜闇の中のプール。


 胸の辺りまで水に浸かっている僕たちは、互いに色々な感情を持って相対している。


 流川さんは口元を押さえ、こっちを見ながらニヤニヤし、僕はただひたすらに彼女を見つめて動揺していた。


「な……流川さん……」


「ん? なぁに? んっふふふ」


 楽しそうな彼女。


 まるで僕をからかってるようだ。


「キス。共は初めてだったかい? どうかね? 美少女からのチューは?」


「ど……どうって……それは……」


「感謝感激で言葉も簡単に出ていかない? えへへへっ。そこまで喜ばれると私も嬉しいなぁ」


「っ……」


「思い切ってした甲斐があった」


 からかうような声のトーンじゃなくなった。


 彼女は口元を覆った手で目元まで若干隠しつつ、俺を上目遣いで見てくる。


 心臓が跳ねない訳がない。


 その仕草にドキッとする。


「……そ、その……流川さん……」


「?」


 軽く首を傾げる彼女。


 そんな何気ない仕草にも今はドキドキさせられる。


 僕は意を決して言葉を続けた。


「こんな質問をするのは……もしかしたら情けなくて……しょ、正直気持ち悪いかもしれない……」


「……うん。何?」


「……君は……僕のことを好いてくれてるの……?」


「……ん……」


 流川さんが何かを言おうとする。


 でも、僕はそんな彼女の言葉を、質問に対する返答を聞いてしまうのが怖くて、被せるように続けて問うた。


「そ、その、僕はそもそも恋愛経験自体ないから。慣れてる人と違って、女の子にキスをされたら、その子は僕のことが好きなんじゃないかとか、そんな思いに駆られてしまう……。そ、それがたとえ勘違いでもだよ。勘違いでも……そう思ってしまって……」


「……」


「ご、ごめん……こんな気持ち悪い僕で……」


 こうして謝罪をするのも、そもそもの話気持ち悪いんじゃないかと思ってしまう。


 謝り過ぎだ。


 堂々としていたいのに。


「……ねえ、共?」


「……?」


 流川さんが控えめに僕の名前を呼ぶ。


 僕もそれに対して控えめに反応した。


「共の中で、私の存在はどんなものかな?」


「……え?」


「寸前のところで命を救ってくれたただの女の子かな? それとも、得体の知れない謎女? それともそれとも、流れ星みたいになろうとしてる痛い子?」


「……」


「それとも今挙げたもの以外に何かある? どう認識してる?」


 ぱちゃり、と水の音がした。


 流川さんが体を動かしたせいだ。


 僕との距離を詰めてくる。


「……僕は……」


「私はね、共のこと、たった一人の大切な男の子だと思ってる」


「……え」


「大切で、唯一無二。たぶん、私の人生の中で、君は最も記憶に残る男の子になると思うんだ」


「……記憶に……」


 それは喜ぶべきなんだろうか、と反射的に思ってしまった。


 気のせいか、どうも違和感のある言い方だ。


「ありがとね、共。こんな私と出会ってくれて。こんな私のわがままに付き合ってくれて」


「別にわがままなんか……。むしろ俺の方がやりたいことをさせてもらって……」


「ううん。私だよ。私の方が色々聞いてもらってる。流れ星に、なんて言って」


「でもそれだって結局僕が……」


「そこはいいの。私が共のささやかなお願いを叶えていくような契約なんだから。その部分は気にする必要なし。わかった?」


「う、うん」


「……最後が君で良かったなって心の底から思うし……」


 ……?


 今、流川さんはなんて言った?


 聞き取れなかった。


 そう思い、僕がぼーっと彼女の方を眺めていると、突如として水がばしゃ、と飛んでくる。


「とまあ、そんなわけで真面目タイムしゅーりょー! おりゃおりゃ! ここからは水かけ合戦だよ! おりゃー!」


「っぷ!? ちょ!? な、流川さ……っぷぁ!」


「あはははっ! 何も言えてないぞー!」


「っとに……!」


 水をかけてくる流川さんに負けじと僕もかけ返す。


 聞きたいことはまだあった。


 でも、僕は何となくわかったんだ。


 聞かない方がいいこともあること。


 たぶん、流川さんは僕に何かを隠しているけれど、それは何があっても明かすことはないこと。


 寂しいけれど、それはきっと他の誰にも同じようにしてるんだろうと思えたら、気が楽になった。


 そこに疑いの余地はない。


 僕は彼女の秘密を知る特別な人にはなれなかったけど、たった一人の大切な人にはなれた。


 それだけで充分だと、強く思った。


 これは紛れもない本音だ。


「じゃ、共! 夜のプールの次は何しよっか!」


「え? 次? 次は……っぷ!」


「あははっ! 隙あり! そうだなぁー、じゃあねー……」


 そう言って、流川さんは色々な体験を僕に提案してくれるのだった。

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