第17話 夜間学校開始
『流川さん。つまり、今のはどういうこと? どうして君のお父さんとお母さんは前が見えないような面を付けていたんだろう? その理由を教えて欲しい』
わからないことを何でもかんでも聞いてしまう幼子のように、僕も流川さんへこうやって質問したかった。
したかったっていうのは、つまるところ質問できなかったってことだ。間違っていない。
お父さんとお母さんのことについて、僕は何も彼女へ聞くことができなかった。
でも、それはたぶん流川さんが少しくらい気まずそうにしていたら聞けていたことだったんだ。
両親を見送り、僕の元へ戻って来てくれた彼女は、本当に何食わぬ顔で通り雨が過ぎて行っただけのように語り掛けてくる。
『ごめんね、共。びっくりしちゃった。まさかいきなりお父さんとお母さんが来るなんて』
僕は推測した。
そして、一人で勝手に納得する。
そうだ。
たぶん流川さんは、僕がずっと大人しくクローゼットの中に隠れていたと思っているんだと思う。
クローゼットの中にいれば、外の世界のことは何一つわからない。
何も知らない僕はそのままでいい。
流川さんは自分のことを何一つ教えてくれないまま、流れ星のように生きていく。
だとすると、僕は単なる踏み台みたいなものなのかな。
僕は一人で死のうとするくらい寂しい人間なわけで、彼女も僕と同じくらいにどうしようもなく一人で、僕たちはそっくりさんだとばかり思い込んでいた。
僕は、彼女にとって唯一無二になれるのかもしれない。
そうだとばかり考えていた。
でも、実際はそうじゃないのかも。
だとしたらそれは……。
「苦しいな……」
「ん? 何が?」
ぽつりと言った僕の言葉を何気なく拾う流川さん。
夜闇の中、前を歩いていた彼女は、こっちへ振り返ってにこりと微笑んでくれている。
水曜日。
時刻は夜の九時過ぎ。
僕たちは、約束していた通り、二人で夜間学校の授業を受けに学校まで来た。
当然ながら朝や昼間と違い、校内は閑散としていて、電気だってどこも付いていない。
人だって僕たち以外誰もいないように思えるし、こんなに暗くて先生たちは本当にいるのか不安になった。
授業をやる、なんて言って、実際は帰ってるんじゃないだろうか。
そうであってもおかしくない。
それくらいに夜の学校は校舎全体が寝静まっているように思えた。
「でも、学校の先生たちも廊下とかくらい電気を付けてくれてもいいのにって思うよ。たった一人とはいえ、こうして夜間学校を受けに来る生徒がいるんだから」
「って思うじゃん? けど、実際こっちとしてはこういう風に暗い方がありがたいんだよね」
「え……? そうなの……?」
「そうそう。明るいと誰かに見られちゃうし」
「……?」
それでいいんじゃないだろうか。
そもそも、この時間帯、この場所で流川さんのことを見つけたからって驚く人なんていないはずだ。
他に生徒はいなさそうだし、先生に見つかったって流川さんが夜間学校の授業受講者であることを知っているはず。仮に知らなかったとしても、理由を話せばいいだけだし、何も問題になるようなことは無いと思うのだが。
「私的には見られるのマズいんだ。誰か他人にさ」
「その他人に僕は含まれていないの?」
「共は共じゃん? 私の大切な友達にして、私を流れ星のようにしてくれる協力者。他人になんかカウントしないよ」
「……っ……」
「もはや運命共同体ってやつだよね。君は私の一部であり、臓器みたいなものだ」
「臓器って……」
「本当だよ? それくらい大切に思ってるし、私たちは似た者同士だから」
「……それ、本当に言ってること信じて捉えていいの?」
すごく疑ってるような言い方になってしまった。
流川さんは大きめの声で「えぇ!?」と驚く。
廊下に音が響いて行った。
「信じていいよ! 何で疑う必要があるの? 共だって思ってるんじゃない? 自分と私は似てるってさ!」
「それは……」
……そう。
なんて言えるはずもなかった。
恥ずかしいし、なんだか負けを認めたようなよくわからない気分になりそう。
本当は大きく頷きたかったけど、それを拒み、僕は彼女とは違う別の方へ視線をやった。
「そもそも、共と私が運命共同体ってことは最初から言ってたよね? 私だけ? こうやって突っ走ってたの」
「……いや、だって、流川さんが僕を不安にさせるから……」
「……? 共、今なんて言った? ちょっと声小さくて聞こえないよ?」
「何でもない。運命共同体ってとこまで行ってたっけって言った」
「言ったよぉ! 何々? 忘れちゃった?」
「……別に」
「えぇ~!? そんなぁ……! なんか今日の共、素っ気ないよ……! せっかく夜間学校の授業、一緒に受ける日なのにさー」
「それはあんまり関係な気が……」
「関係あるってば! むぅぅ!」
わざとらしく頬を膨らませ、授業の行われる教室へ入る僕たち。
一瞬ためらいはあった。
教室へ入る前に、廊下を歩いている段階で笑い声は響いていただろう。
何か怪しまれるんじゃないかと思う。
授業してくれる先生は、生徒が流川さん一人だと思い込んでいるわけで、そこにまさか僕がいるだなんて想像もしてないはずだ。
ドキドキしつつも、中へ入ったところで安堵。
そこにはまだ誰もおらず、真っ暗な中に机と椅子、それから悲しく置かれている教卓があった。先生は来てないみたいだ。
「まあいいや! 帰ったら何でそんな素っ気ないのか直接聞いちゃうもんね!」
「明日学校あるんだけど? 僕、今日森の中には帰られないよ」
「別に森の中から通えばいいじゃん? それが厳しいなら一日くらいお休みしたっていいだろうし」
「い、いや、休むのは……」
「じゃあ森の中から学校に行こう。大丈夫だよ。私も今日そうしたわけだし。疲れるけど、着けない距離じゃないから」
そうは言っても四キロくらいの距離はある。
四キロって運動をしていない人間からすれば相当だ。
実際、待ち合わせ場所だった寂れた公園に着いた時、流川さんは肩で呼吸し、すごく疲れた様子だった。
明日の朝、あんな風に登校しないといけない。
そう考えると憂鬱だ。憂鬱過ぎる。
「ま、まあ、とりあえずそのことはまた後で。その、こういう状況だし、あんまり――」
なんていう風に会話していた矢先のことだ。
教室の扉がガラッと開けられ、先生が入って来る。
僕は一瞬にして押し黙った。
誰なのかまったくわからない。
歩いている時の音を聞いてもまるで誰なのかわからなかった。
暗いし、見えない。
あれは誰だ?
「はいはい。社会科教師の的山です。こんばんは、流川さん」
まさかの的山先生だった。
マジか。
僕は口に手を当て、心の中で静かに驚くのだった。
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