第16話 面をした両親

「どこでもいいから隠れて! 玄関に置いてる靴も持って!」


 僕の前では見せたことのない顔だった。


 鬼気迫る表情で流川さんは訴えてくる。


 僕は素直にびっくりした。


 突然インターフォンの音が家の中に鳴り響き、その瞬間彼女の顔色があっという間に変わったから。


「どこでもいいって、本当にどこでもいいの!?」


「うん、いい! いいから、本当に早く! 早くして!」


 お父さんとお母さんに僕のことを見られたら殺されてしまう。


 そんなことありはしないだろうけど、後でそうやって言われても何ら不思議じゃないくらいだ。


 流川さんは、僕を家の中に入れてるってこと、よっぽど両親に知られたくないみたい。


 僕は反抗したり抵抗したりする理由も特にないから、言われたまま大慌てで生活物資の入っているクローゼットへ入り込んだ。


 もちろん靴は持っている。


 入った後に思ったけど、もっと見つかりにくそうな二階にでも行けばいいと思った。


 このクローゼットはリビングの中の一角にあるわけだし、何かの拍子に見つかってしまってもおかしくはない。


 大丈夫かな……。


 不安に思いつつ、今さら隠れ場所の変更なんてできなさそうだった。


 流川さんは僕がクローゼットの中に入ったのを見て、玄関へ急いで向かい、その扉を開けていた。


 男の人の声と、流川さんじゃない女の人の声が聞こえてくる。


 あの声の主がお父さんとお母さんなのだ。


 僕は訳がわからないまま心臓の鼓動を早めさせ、生唾を飲み込んだ。


 複数人の足音がリビングの方へ向かってきてるのもわかった。


「二人とも、こっち。うん。大丈夫。足元気を付けて。ゆっくりでいいから」


 リビングの扉が開けられ、流川さんの声が鮮明に聞こえる。


 足音……スリッパでも履いているのだろうか。


 地面と足を擦らせながら歩くぎこちない音も聞こえてきた。


 彼女のお父さんとお母さんは足が悪い……? 流川さんの音じゃないはずだ。彼女の足が悪いなんてこと一つも聞いてないし、そんな素振りも見たことがないから。


「む……ん……。星乃? どうだい? ここで腰を下ろしてもいいのか?」


「うん。いいよ、お父さん。そこに座ればソファ。ふくらはぎの部分で感じられない? ソファがあること」


「星乃、お父さん最近膝を悪くしてるの。しっかり誘導してあげて?」


「そんなこと言ったら母さんもだ。町内会の旅行で山登りして、その時から膝が痛いってずっと言ってる。星乃、父さんのことも程々に、母さんもしっかり座らせてやってくれ」


「あはは。大丈夫。わかってる。二人とも、そこで座ってくれたらいいよ。ふかふかのソファがちゃんとあるから」


 流川さんが言って、ギシギシッと二回音がした。


 状況がイマイチ掴めないものの、ご両親ともにさっきまで僕と流川さんが座っていたソファへ腰掛けたらしい。


 僕がいたこと、バレないだろうか。


 テーブルには食べかけのお菓子とか、色々散らばってるけど。


「それにしても、星乃? 一週間ぶりだけれど、体調はどう? 元気? 問題はないかしら?」


「元気だよ。普段通りの毎日を送ってて、特にこれといった問題はない。お父さんとお母さんたちは? 今日、来るってことは全然聞いてなかったけど」


「あぁ。来週の土日にお父さんたちここへ来れなくなってな。今日はどうにか時間が作れそうだったから、二週間の生活物資とか、星乃の好きそうなもの色々買って来たんだ」


「来週来れないの? どうして? 何か急用でもできた?」


「急用ってことでもないわよ。お父さん、職場の人とどうしても外せない用事ができたんだって聞かないの。どうせこれよ、これ」


「あぁ~、ゴルフ?」


「そうそ、ゴルフ。せっかく愛娘に会える日だっていうのに、会社の人の方優先して。お父さんがいなかったら車も運転する人がいないからね、私もここへは来れないのよ。だから今日来たの」


「なるほど、そういうことだね」


 よその家の家族の会話が繰り広げられている。


 楽し気にお父さんとお母さんが喋り、流川さんもそれを受けて楽しんでいる。


 一般的な僕の憧れた家族の姿がそこにある気がした。


 皆が明るくて羨ましい。


 そこには何も憂いなんて存在しない。


 そんな感じだ。


「とりあえずだ。荷物は後で玄関に運んでおくとして、何か飲ませてくれないか、星乃?」


「え……?」


「コーヒー淹れてくれないかしら? 美味しいって有名な洋菓子屋でケーキ買って来たのよ。三人で食べましょ?」


「あー……う、うーん」


 ぎこちない返答をする流川さん。


 何となくその先に続く言葉というか、彼女が言わんとしていることはわかった。


 どれくらいここにいるつもりなのか。


 そう聞きたいのかもしれない。


「あ、あのさ、私、今日はちょっと一人でやりたいことあるんだよね。急ぎっていうか、今さっきまでそれやろうとしてたっていうか」


 やっぱりだ。


 僕がいるから一刻も早くお父さんとお母さんを帰そうとしてる。


「せっかくお父さんとお母さん来てくれたし、一週間に一回しか会えないからさ、私もこうやって話せて嬉しいんだけど……そ、その、今日はもう――」


「何だ? やっぱり具合悪いのか?」


 流川さんの言葉をさえぎるかのようにお父さんが問いかける。


 その語調は楽し気なものから一転、真剣そのもので、心の底から流川さんのことを心配している風だった。


「星乃、どうなの? あなたがそうやって私たちを追い返そうとするなんてよっぽどじゃない。具合悪いの? 正直に言いなさい。すぐに病院へ電話するから」


 お母さんの方もだ。


 心配そうにして、声を震わせながら流川さんへ問いかけてる。


「バカ。今から医者を呼んだってダメだ。連中は俺たちのように星乃の体に理解がない。医者へ会わせて、それでまた体調が悪化したらどうする。本末転倒だ」


「でも……!」


「いいから。……星乃。どうなんだい? お父さんとお母さんに正直に言いなさい。具合が悪いのか? こうして面はしているが、それでもやっぱりダメか?」


 ……面……?


 疑問符が浮かぶ。


 何なら、お父さんとお母さんの心配ぶりにも疑問符が浮かんでいた。


 さっきからあの二人は何をそこまで心配しているんだろう。


 体調が悪い……? 医者……?


 流川さんは元気なはずだ。


 一人、クローゼットの中で首を傾げる。


 傾げていると、二人とは対照的な、変わらない流川さんの明るい声が聞こえてきた。


「違うよ、違う違う。別に体調悪くないからね、私。そうじゃなくて、本当にしたいことがあるの。お父さんとお母さんに言えないこと」


 それは僕と一緒にいること……なのか?


 わからない。いや、たぶんそうなのだが。


「強がりはよしなさい、星乃。あなたは昔からそういう子よ。限界が来るまで私たちに言わないで、倒れて救急車で運ばれる子なの」


「星乃。本当に辛いなら言いなさい。お父さんたちの一番悲しいことは、お前が苦しむことなんだからな?」


「だからー、本当に違うんだってば。私は大丈夫。見ての通り……ってのは表現として正しくないけど、元気いっぱいだから私。今、最高に生きてるのが楽しいくらいだし」


「……」「……星乃……」


「ね、だから信じて? お父さん、お母さん。私は元気。今日は二人と話すことよりもやりたいことというか、やらないといけないことがあるので帰ってください。お願いします」


 困り果てたのか、物言いも直球になってる。


 でも、ああやって本音を言えるってのは仲が良い証拠でもあった。


 僕だったら母さんにあんなこと言えない。


 羨ましい。


「そう……? 本当にそうなの……? 星乃……? やりたいことがあるだけ……?」


「うん。嘘は付かないよ。お父さんとお母さんには特に」


 二人は考え込んでいるんだと思う。


 場に少しだけ沈黙が漂い、やがてお父さんが「わかった」と静かな空間を言葉で切り裂いた。


「そういうことならお前を信じるぞ、星乃。今日はもう帰る」


「ごめんね、お父さん」


「ただ、来週もやっぱりここへ来ることにした。ゴルフは無しだ」


「あはは。え~、そこまで?」


「そこまでだ。不安になった。星乃のことは信じるけど、それでも不安だからここへ来る。不安なままゴルフなんてしてもダメだ。娘の方が大事」


「へへへっ。愛されてるなぁ、私~」


 当然だ、とお父さんは強く言い放つ。


 たった一人の娘だから。


 その言葉にはかなりの力がこもっていた。


 お母さんも声に出して頷く。


 うん、と。


「でも、しばらく土日じゃなくて月曜と火曜だったじゃん? 来るの。どうして土日にし始めたの?」


「最近土日も休めるようになったんだよ。お父さんの仕事、他の奴に任せても大丈夫になってきてな」


「リモートワークの強みってやつ? お父さん、やるねぇ」


「まあな。娘のためならえんやこら、だ。来週、絶対来るからな」


「うん。待ってる」


 そうやって、長引きそうだった会話は終わり、また足音がし始める。


 今度は二人が帰るために移動しているんだろう。


 僕は少し気になっていた。


 隠れていて欲しいと言われたとはいえ、流川さんのお父さんとお母さんがどんな人なのか。


 こっそり、クローゼットの扉を開けて外を覗き見る。


 すると、だ。






「……え」






 そこには、流川さんと男の人、それから女の人がいて。


 二人とも、目の部分に穴も何も空いていない面を顔に付けていた。


 それを付けながら、流川さんに手を引かれ、玄関まで誘導してもらっている。


 その光景は異様としか言えない。


 僕は思わず首をすくめ、目の前の状況をただただ無言のままに眺め続けていた。


「……どういうこと……?」


 口からぽつりと漏らしても、三人には聞こえなかった。


 三人とも、リビングの扉を閉めて玄関の方へ行ってしまった。


 取り残された僕はクローゼットから出て、しばらく呆然としていた。

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