第25話 変化した願い事

 流川さんの眠る病室は、一般の人が利用する病室と少し違っている。


 出入り口に二つのボタンが付いていて、そこで扉の開閉を行う。


 中に入ると、壁に沿ってスロープが取り付けられている。歩行が苦しくなった時は、それを頼りに歩いていけばいい。


 室内は広々としていて、ベッドがぽつんとあり、その近くにテレビもあった。


 何インチかは正確にわからないものの、結構大きい。


 なんというか、他の部屋と違って豪華な造りをしている。


 不思議な雰囲気があった。病院らしからぬ感じ。


『その理由、どうしてか教えてあげよっか?』


 スマホから聴こえる声。


 電話口の向こうで、流川さんの落ち着いた声が聴こえる。


 僕はそれに少しだけ胸を痛めつつ、「どうして?」と普段通りのテンションで返した。


『入院してる人の中で、とびきり落ち込んでる人が入るから、なんだって。落ち込んでる人相手には豪華な病室をあてがって、元気になってもらおうってことらしいよ』


「そうなんだ」


『おかしな話だよね。別に私は落ち込んでなんかいないのにさ。元気なのがもっと元気になっちゃう。過保護過ぎだよ、病院の先生も』


「先生は流川さんが落ち込んでると思ったんじゃない?」


『だったらそれは勘違い。落ち込んでなんかいませんし、私は今、こんなにも元気です。共、会いに来ていいよ。証明したげる」


「うん。そうしようか」


『ふふふっ。ほんともう、来て来て? 退屈だし、まだ流れ星の使命を全うできてないよ。君の願い事、叶えられてない」


 はぁ、とうんざりしたように、けれども楽しげにため息をつく流川さん。


 本当なら彼女の元へ行きたい。行こうか、と言いかけてしまう。


 でも、それはもはや叶わない願望だ。


 僕は変わらない声音で口を開く。


「ねえ、流川さん」


『ん? どした?』


「人の願望っていうのは、時間が経ったら変わるし、環境が変わったらそれに伴って変化していく。僕は、君と出会って、一緒に過ごしていくうちにそれを実感したよ」


『それはそうだね。理解できる。まあ、私の願いは残念ながら変わらず、だけど」


「誰しもが変わるってわけじゃないからね。君みたいな例外もいる。意志の強い人」


『意志は強くないよ。それに縋るしかないだけ。私は弱い』


「一つのものに縋れるのも、それはまた強さだよ。僕には残念ながらそれがない」


『そんなこともないんじゃない?』


 言って、流川さんは「まあいいや」と言葉を濁す。


 それから、「続けて?」と僕が喋るのを促してきた。


 僕は続ける。


「僕はさ、君と出会って、初めて誰かの幸せを願えた気がする」


『ふむふむ。私と出会って』


「たぶん、君に感化されてる節はあるよ。君は誰かを幸せにすることを願いにしてる。僕もその良さに気付いたのかもしれない」


『それ、私は喜ぶべきなのかな?』


「わからない。でも、君は僕に心の余裕を与えてくれたから。僕は心の底から感謝してる。君が傍にいてくれなかったら、いずれまた湖の底に沈もうとしてた」


『……うん』


「僕は、君がいてくれる限り、死のうなんて思わない。僕の願いは、生きてて良かったと思える体験をさせて欲しいってことだったけど、本当はそうじゃなかったんだ」


 息継ぎを忘れるほどに喋ってしまう。


 僕は唾を飲み込み、懸命に続けた。


「死ねない理由が欲しかった。大切な人のために生きたいと思える、そんな強い理由が」

「僕は……君のことが好きだ。身の丈以上の思いだってことはわかってるけど、君のことが好き」

「また、君と二人でどこかへ行きたい。誰もいない場所でも、どこでも」

「……けれど、そうしたら僕は君を不幸にさせてしまう。君の寿命を縮めてしまう。君を殺してしまう」

「どうして…………どうしてなんだろう? 僕は……本当に叶えたい願いを……どうしていつも叶えられないんだろう?」


 神様にでもなりたかった。


 たった一瞬でもいい。


 一度だけでもいいから、本当に欲しいものを手に入れられる権利が欲しい。


 流川さんの病。


 それを治してあげて欲しい。無いものにしてあげて欲しい。


 僕の願いはたったの一つ。それだけだ。


『……そんなさ、泣かないでよ、共?』


「……だって……僕は……本当に君に出会って助けられたから……」


『最後のお別れってわけじゃない。私はまだ生きてる』


「……でも、僕たちはもう……」


『会えるよ』


「え……?」


 頓狂な声が出る。


 彼女が言ってることは、してはいけないことで。


 けれど、僕は『会える』という言葉を聞いて、よみがえるかのように体へ力を入れた。


 スマホを持っている手にも力が入る。


『今から、私の病室前に来れる? 森の中にある家の鍵を共に渡す』


「家の……鍵を……?」


『一週間後、君はそこで暮らし始めて欲しい。今度は、私が共に会いに行くから』


「……? い、一週間後って……? それに、君はこれ以上僕に会ったら……」


『幸福になれる。私は、共と一緒にいられたら幸福になれる。だから、私を幸せにして欲しい』


「っ……」


『変わっちゃった君の願い事を叶えてあげられるかはわからないけど……ふふっ。本来、流れ星は流れてる最中に願い事を言わないと力を発揮しないからね』


「……流川さん……」


『保証はできないけれど、君の願い事の少しでも叶えてあげられるよう、私は頑張りたい』


「……」


『だから、君は私の家で暮らしていてくれる?  今度はそこへ私が会いに行くから』

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