第39話 蛍火
もう間もなく死んでしまう。
先は長くない。
たとえば、自分がそういう立場に陥った時、僕はどんなことを考えるだろう。
少し前なら、そんな状況は僕にとってむしろ喜ばしいものだった。
どんな思いをするのかはわからない。苦しいのか、痛いのか、辛いのか、はたまた全部か。
それ以上に生きている方が辛かった。
周りに誰も親身になってくれる人がいない。
誰かがいるようで、温度の感じられる人が皆無だった。
そんな世界で生きていると、溺れるような感覚に陥ってしまう。
深い、深い、水の底。
命の途切れることのない、永遠の苦しみ。
だったら、もういっそのこと事切れてしまいたい。
解放して欲しかった。
苦しくてたまらない世界から。
『――ねえ、君の名前は?』
けれど、そんな苦しみの世界の中で、君は僕を救ってくれた。
手を差し伸べ、光り輝くような笑顔で僕の先を照らし出してくれた。
『共、私が君の願い、何でも叶えてあげる』
『流れ星みたいに。私は流れ星だから』
――だから、今度は僕の番だ。
君の手を引き、君の願いを聞き入れたい。
君からもらった光で、君へ恩返しできるように。
「――流川さん。僕はここだよ。傍にいるからね」
海へ行った翌日。夜明け前の朝。
ベッドの上で横たわる流川さんの髪の毛に触れながら、僕はボソッと呟く。
目は閉じたままだけど、彼女は既に起きていた。
少しばかり頬を緩め、かすれた声で返してくれる。
「おはよ」と。
「今日は天気が良さそうだよ。まだ外は明るくないけど、陽がそろそろ上る。昨日と同じで、雲一つないかも」
「……そっか」
「日焼けとかしてない? 肌とか大丈夫だった?」
「うん。大丈夫。ビリビリした感じはしないし、日焼けしてないと思う」
「ならよかった」
「共も見て? 今の私じゃ、ハッキリしたことは言えないから」
「それって、何ならセクハラし放題ってことにならないかな?」
「そうだよ? 私の魅力的な体を、共は完全にバレずに独り占めできます」
「いや、冗談だからね? そんなことしないし、なんならツッコんで欲しかったんだけど」
「私は寛容な女の子なんだよ。そういう男子のエッチなことにも付き合ってあげられるタイプなの」
「その辺りは叶うならば寛容であって欲しくなかったな」
「大丈夫。そもそも寛容なのは、共に対してだけだから」
それはそれで、だ。
僕は気恥ずかしくなり、頭を掻いた後に窓の方へ視線をやった。
少しの時間しか経過していないのに、外はまたさらに明るくなったような気がする。
「まあいいや。流川さん、お腹は空いてない? 朝ごはんは何食べようか?」
「起きたばっかだしね。お腹は空いてないけど、今日の朝はパンがいい。ブルーベリーのジャムを塗ったやつ」
「パンね。了解。なら、それに合うようなソーセージとかも焼きますか」
「ごめんね、本当に」
「え? 朝から何? もう謝らないで欲しいんだけど? 昨日散々寝る前にごめんごめん言ってたんだし」
僕がわざとらしく拗ねたように言うと、彼女はクスッと笑み、
「朝ごはん作るの、一緒にできなくなっちゃったから。共とやれること、どんどん減ってく。それが悲しい」
「……悲しいって言ってくれるのは嬉しいけど……。だからって、あんまりそういうの思い込み過ぎないで? できること、一緒にやっていこうよ」
「お話?」
「うん。家の中で。君の小さい時の話とか、学校に通ってた時のこととか、色々聞きたい」
「本当はそういうの、外で散歩しながらがよかったんだけどね」
「だったら、家の中で僕は車椅子を押すよ。散歩気分を味わいながらお話しよう」
「えぇ? 家の中をぉ?」
「うん。家の中を。気を付けててね? スピード上げたり、スピード落としたりするから、僕」
「何で(笑) アトラクションみたいなこと言うじゃん(笑)」
「僕の車椅子押しはアトラクション気分を味わえるって定評があります」
「何それ(笑) 車椅子押すの、私が乗ってるやつが初めてなくせに(笑)」
「……まあね」
「認めちゃってるじゃん(笑)」
横たわったままクスクス笑う流川さん。
僕は楽しそうな彼女を見て、どこか救われたような、幸せな気持ちになっていた。
「……あ。そういえば」
「ん?」
笑う彼女を見ていて、ハッと思い出す。
そうだ。そうだった。
「流川さん。一つお願いがあるんだ」
「おっ。何々? 流れ星の出番だよ?」
「お話するのもいいけど、動画を撮ろうと思う。君の動画。君が喋ったりしてる動画」
「え……。何に使うつもり?」
冗談っぽく身を寄せる仕草で引くような態度を取る彼女。
いやいや、と僕は返し、
「変なことには使わないって。使うわけない。そもそも変なことってのがどんなことなんだって感じなんだけど……」
「……エッチなこと」
「今日なんかそういう路線行っちゃってますね、流川さん。安心していい。僕は基本真剣なことしか言わないので」
「真剣に、エッチなこと?」
「やめて。笑うから」
「私も思った。真剣にエッチなことって何?(笑)」
「自分で言ったんじゃん」
またしても笑う流川さん。
僕も吹き出しそうになる。
この雰囲気も久しぶりだ。
冗談を言い合う感じ。
「けど、わかった。私の動画撮るんだね。いいよ」
「ありがと」
「じゃあ、今日は動画撮影の日かな? 私はモデルさん、と」
「色んなことしよう。ちゃんと二人きりなんて久しぶりだ」
「うん。そだね。一緒にお風呂も入っちゃう?」
「だから、やめてね? そういうの」
「私、目が見えないし。オッケーですよ?」
「それ、流川さんが見えてなかったらますますマズくない? 僕が見えてないんだったらいいけど」
「あははっ! 確かに! ほんとだ!」
吹っ切れたように明るい彼女が戻ってきた。
僕は、それに対して一抹の違和感を覚えつつ、けれども幸せな気持ちでため息をつくのだった。
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