第2話 君
なんとなくではあるけれど、僕は女の子が苦手だ。
いや、正確に言うのなら、僕が嫌っているのではなくて、女の子の方が僕を嫌っている風に思えるから、身を引く意味で苦手、といつも思ってる。
ただ、実際にそんなことを誰かに言えば、途端に僕の主張を聞いた人は眉をひそめて面倒くさそうにすると思うから、それを口に出すことはない。
もしかすると、僕が思っているよりも、周りにいる女の子は、僕のことを嫌っていないという可能性もある。
単純に僕が塞ぎ込んで、人を遠ざけて、向き合ってくれる人たちの思いを汲み取れるほどに会話をしようとしないから、そう思えるだけなのかもしれない。
待ってるだけだと何も得られない。
そんなことはわかってるけれど。
僕の場合、何かを得ようとするためのエンジンが人よりも弱いし、そのエンジンを動かすための燃料も枯渇気味だ。
だから。
「おーい! ちょっとちょっと? 君、こんな時間にここで何してるの?」
女の子から声を掛けられるなんて思ってもいなかった。
こんな時間。こんな場所で。
つい、すごい勢いで振り返ってしまう。
びっくりした、ということもあった。
「あ。え。その……」
「ん?」
「え、えっと……」
「んんん~?」
夜闇のせいだ。
目が慣れて、月光の助けがあるとはいっても、事細かに彼女の容姿を理解することはできなかった。
けれど、うつむく僕の顔を覗き込むようにして接近し、自身の顔を近付けてくる彼女の瞳はものすごく綺麗。
月の光に照らされたそれは、真っ黒な宝石のようで、僕は思わず見入ってしまう。
見入ってしまっても、彼女は一つも目を逸らすことなく僕を見つめ返してきた。
そして、にこりと笑った。
その笑みのおかげで、ハッとして我に返る。
僕はすぐに目を逸らし、未だ曖昧な言葉を口から漏らすばかり。
ここで何をしようとしていたかなんて、正直に言えるはずもなかった。
「なるほどね。自分からは教えてあげないってやつ? へへへっ、知りたくば当ててみろ! って感じだね?」
「え」
「ふふん、いいよ。当ててやる。当てて、君を驚かせてあげよう。さっき私を見つけた時みたいな顔させて」
言って、名前のわからない彼女は、またしても楽しそうに笑う。
着ているのはワンピースだろうか。
ゆらゆらと動く彼女に呼応して、そのワンピースもふわふわとスカートの裾が揺らめいている。
どこか幻想的に見えた。
「ズバリ、この満月を見に来た」
人差し指で空を示す彼女。
光り輝く綺麗な白を見に来た。
その予想に自信がかなりあるらしい。
ふふん、とわざとらしく胸を張る。
「いきなり当たりでしょ? 私、
「……ううん。違ってる、かな」
首を横に振る。
この人の名前は流川星乃というらしい。
「え、嘘」
「ほんと」
「んっ。じゃあ、この湖を見に来たとか? こんなに暗くなった夜にここまで来るのは命知らずだとしか思えないけど、命をなげうってでも夜の湖が見たかった。きっとそうだ」
「……半分正解で……半分間違いかもしれない」
「おっ。正解。ふふん、さすがは私だよね。名推理。やっぱり自分の直感には今後も自信を持っていこうと思うよ」
「……はは」
苦笑するしかなかった。
すごく自信家な人だ。
こんな時間にこんな場所へいる人なんて、皆僕みたいに後ろ向きな人間ばかりかと思っていた。実はそうじゃないみたい。
「でも、ちょっと待って? 正解って言っても、たったの半分? 半分なんだ?」
「……うん。半分だと思う」
もっとも、その半分すらも合っているかは怪しいけれど。
「えぇぇぇ……半分かぁ……半分……。じゃあ、もう半分の正解は何なんだろ?」
「はは……何なんだろうね」
「まだ教えてくれないつもりっぽいし……。えぇ……気になるなぁ……」
流川星乃という名の彼女は腕組みして、けれども観念したようにうつむいた。
うつむくのは、たぶんこの人には似合っていないと思う。
だから、もう答えを言ってしまってもいいんじゃないかとも考えたけど、結果的に僕は本当のことを隠し、別のことを訊いていた。
「……その……逆に……そっちはどうしてここに?」
「え?」
顔を上げて、彼女は疑問符を浮かべる。
僕は続けた。
「こんな時間、こんな場所。僕がいるのも変だけど、君がいるのも変だと思う」
「あははっ。それは言えてる」
相変わらず笑いながら言う彼女だけど、「でも」と切り返してきた。
「案外ね、君が思ってる以上に世の中には色々な境遇の人がいて、色々なものを抱えてる。君が普通だと思ってることは、その人からしてみれば普通じゃないかもだし、変だと思うことはその人にとっての普通かもしれない。そうは思わないかな?」
「……急にえらく哲学的なこと言うんだね」
「残念でした。これが本性です。哲学的な女の子は嫌い?」
るん、とスカートをたなびかせながら、その場でくるりと回って見せる流川星乃さん。
不思議な場所で出会った女の子だ。その子自体が不思議ではないわけがない。
僕は顎に手をやり、困ったような表情を作って考え込む仕草。
それを見た彼女は、またしても笑った。あははっ、と。
「そこで考え込まれても困るなぁ。こういう時は、『いいえ』か『はい』で答えるんだよ?」
「大抵、『はい』か『いいえ』の順で提示しない?」
「それはいいの。ある種の誘導なんだから。人間、二択を提示された場合、先に出された選択肢を答えたくなりがちでしょ? って、それを私に言わせないでよ、もぉ」
「誘導質問」
「うるさすぎ。君のは全然違うし」
笑みながら、わざとらしく地団駄を踏む彼女。
僕もそんな流川さんを見て、久しぶりに笑っていた。
死のうとしていた場所で、だ。
「もういいや。君はここに来た理由を全然話そうとしてくれないし、そういうことなら私だってこれ以上聞こうとはしませんよーだ」
「うん。そうしてくれると助かる」
「でも、その代わり、私がここにいる理由も詳しくは話さない。いいよね?」
「……まあ、道理としては」
「ふーんだ」
拗ねるようにして、彼女は地面を軽く蹴る。
ああやっていると、ふと母さんのことを思い出した。
母さんは、地面を蹴るまでいかないとはいえ、ああして機嫌を悪くさせると、しばらく僕のことを意図的に意識の外へやろうとする。
僕はそのたびに冷ややかな痛みを胸に覚え、いつだってズキズキとしたものに耐えるしかないわけだ。
けれど、彼女のやってる仕草は、母さんとは違った。
どこか思いやりが感じられ、暖かささえ覚える。
その感覚に名前を付けることこそ難しいが、僕は不思議と嫌な気持ちにならなかった。気付けばまた、一人で小さく笑っていた。
拗ねないでよ。
そんなことを心の中で思いながら。
「……ふふっ」
きっと彼女も僕と同じ気持ちだったんだろう。
背を向けていたところから、もう一度僕の方へ振り返り、浮かべ続けていたであろう笑んだ表情のまま、こちらを見つめてくる。
僕と彼女は、月光差す夜闇の中見つめ合い、やがてその沈黙を切り裂く。
「ねえ、君の名前は何て言うの?」
「名前……」
「うん。私はもう言ったよね。流川星乃。ほしの、じゃなくて、ほの。星って書いて、すなわちの乃」
「……
「そらき、とも」
「うん。空木共。僕の名前」
これは、運命的な出会いだった。
「良い名前だね。すっきりしてて、覚えやすい」
「それ、褒めてる?」
「褒めてるよ。そこ、別に疑わなくていいし」
「ああ、そう。それはごめん」
君と出会った僕は、なぜか死んでしまうことを頭の中からすっかり抜け落ちさせていて。
「ねえ、共?」
僕と出会った君は。
「今から、私の家へ来ない? すぐ近くだから」
その瞳に、安堵のような光を浮かべていた。
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