第5話 流川さんの秘密

 幼稚園の頃だったと思う。


 一度だけ女の子の家へ行き、そこで遊んだことがある。


 その女の子は、僕の数少ない友達の友達で、僕はついでで呼ばれたような感じだった。


 特に楽しかったという記憶もないし、それ以降呼ばれることはなかった。


 理由もそこまで深いものは無いんだと思う。


 単純に友達の友達でしかなかったわけだし、一緒に遊んでいたのは僕を含めた合計五人くらいだったから、次も家に招待したい相手として僕は彼女のお眼鏡にかなわなかったんだろう。


 残念だけど、仕方ない。


 自分でも楽しいと思えてなかったのだから、そんなものは当然相手にも伝わっている。


 自分の家を楽しんでくれない人なんて、次も呼ぼうとは思わないはずだ。


「じゃじゃーん! ようこそ~、マイハウスへ~!」


 家の中へお邪魔し、流川さんに導かれるまま広々としたリビングに入るや否や、彼女ははテンション高く舞いながら部屋の中心まで駆けた。


 そして両手を広げ、にこやかに僕の方を振り返ってくる。


 照明のおかげで、今度こそはっきりと見えた彼女は、やはり綺麗な人だった。


 大きな瞳と、薄っすらとして健康的な色の唇。そして形のいい顔の輪郭と、女子にしてはやや高めな身長。その身長は細身な上半身と下半身から成っていて、艶やかで手入れの行き届いていそうな黒髪が腰辺りまで長く伸ばされている。


 そんな容姿に、白のワンピースはあまりにも似合い過ぎていた。


 本当にこの世の人なんだろうか。思わず疑ってしまう。


「どう? どう? 外観もだけど、中身も立派でしょ? 私はここに一人で暮らしてるんだよ?」


 それから、底なしの明るさ。


 表情、目の開き具合、口元の動き、仕草、呼吸、語調。


 照明は、彼女のすべてを、これでもかというほどに僕へ教えてくれた。


 流川星乃。


 この人が、どうしてこんな森の中で一人暮らしをしているのかはわからない。


 けれど、一つだけわかったことがある。


 彼女は、僕なんかとは真反対だ。


 同じクラスメイトなら、流川さんは皆の中心にいて、僕は隅っこにいる。


 それで、彼女は、委員会の仕事だったり、当番の仕事だったり、何かそういう業務的に仕方なくやり取りしないといけない時にだけ僕に声を掛け、そこから特にこれといったプライベートな話題に移行したりするということもなく、終わり。


 まさに天と地。


 対極的なところにいる存在だったはずだ。


 歳も同じらしいし、想像しやすい。


 でも、そんな彼女はさっき僕に言った。


『気が合いそうな人にしか話し掛けないよ!』と。


 申し訳ないが、絶対にそれは嘘だ。


 きっと何か企んでいる。


 湖に入ろうとしていたところだって見られていたわけだし、死のうとしていた奴を何かに利用してやろうと企んでるんじゃないだろうか。


 この森の奥にある家だって、犯罪をするにはバレなさそうでもってこいなわけだし。


「……何が目的? この家で何をしてるの?」


「あ、あれ? なんかさっきよりも目に疑惑の色が灯ってますけど? 何で?」


 わかりやすく驚く流川さん。


 彼女はそれから首を横に振り、手を横に振って、自身の潔白を口にしてくれた。何も怪しいことなんてしていないから、と。


「私はここで普通に生活してるだけだよ。朝の六時半に起きて、朝ごはんを食べる。昼には時計の針が十二時を指し示したら昼ご飯を食べて、夜は十九時くらいになったら晩ごはんを食べてる。あ、お昼の三時にはおやつも食べてるね。ハーゲンダッツ。お父さんとお母さんがいつもここまで持って来てくれるから。えへへっ。いいでしょ」


「……食べてばっかりだね」


「べ、別にいいでしょ? 食べてばっかりでも太らなきゃいいわけだし、ちゃんと森の中を歩いて運動してるし。……夜になったら」


「夜になったら?」


「そう。夜になったら。昼間は動くの苦手だから、私」


「……夜は暗いし、あんまり遠出しなくて済むね」


「……何が言いたいのかな~?」


「別に。昼間に比べたら夜は運動量減らせるな、とか、そんなこと微塵も思ってないです」


「思ってること言っちゃってるじゃん」


 むぅ、と頬を膨らませ、すぐそこに置いてあるソファへ流川さんは腰掛けた。


 それから、彼女は僕の方を見て、


「ん」


「……?」


 手招きしてくる彼女。


 こっちへ来い、ということらしい。


 拒否するわけにもいかず、僕は大人しくその手招きに従った。


 ソファまで行き、流川さんの真横……ではなく、少し距離を空けた左の位置に腰掛けた。


 ふかふかで腰が沈む。結構良さげなものだ。


「んっふっふ。良いソファでしょ? このソファに座れば最後。あなたはもうここから逃れられませ~ん」


 人差し指をふわふわ動かし、わかったように言う流川さん。


 でも、それはあながち間違いではなかった。


 寝転んだらすごく気持ちよさそうだ、このソファ。


「……これ、いったいどこから盗んできたの?」


「残念でした~。盗んでませ~ん。これは元々この家にあったもので、私のおじいちゃんが買ってたもので~す」


「おじいちゃん……。じゃあ、この家もそもそも……?」


 腕組みしたまま頷く流川さん。


「そういうこと。おじいちゃんの持ち家。別荘……みたいなところかな? それを今は私が一人で使ってる。一人暮らしをするために」


 別荘、か。


 そう言われて、僕はリビングを軽く見回してみる。


 置かれている家具なんかも洗練されている気がした。


 見た目が煌びやかというわけではないけど、このソファみたいに使ってみたら高性能みたいな、そんなオーラを発していた。


「流川さんは、もしかしていいところのお嬢様?」


「ううん。ぜーんぜん。うちのお父さんとお母さんは普通のサラリーマンと主婦だよ。おじいちゃんが割とお金持ちってだけで」


「じゃあ、それはお嬢様ってことにならない? 現にこうしていい家をあてがってもらえてるわけだし」


 言うも、彼女は「いやいやいや」と手を横に振る。


「ならないならない。私ってば超絶自由人だし、こう、何ていうか、『ご機嫌麗しゅう』みたいな立ち居振る舞いも絶対できないし」


 流川さんは立ち上がり、スカートの裾を軽く持ち上げて見せる。


 会って間もないのに申し訳ない。


 確かにそれはできなさそうだった。


 立ち居振る舞いの点で言えば、彼女がお嬢様ということは無さそうだ。どっちかというと、天真爛漫な幼馴染女子という方が似合うだろうか。親近感はすごく感じて話しやすい。


「なるほどね。まあ、そう言われたらそうなのかも。流川さん本人が言ったことだし」


「共? 嘘はダメね? ほんとは『確かになぁ。絶対お嬢様的立ち居振る舞いとかできねぇわ。大雑把な女だし』とかバカにしたようなこと思ってたでしょ?」


「いや、思ってないし。あくまでも僕は流川さんの発言を尊重してるだけで――」


「はいはい。わかってますよーだ。私はお嬢様になりきれませーん。いいとこ適当な扱いしても大丈夫な幼馴染ポジの女の子ですよー」


「鋭い……」


「ほらっ。やっぱそう思ってんじゃん。嘘隠すのが下手なんだから」


 絶対にそんなことはない。


 自己評価ではあるけれど、僕は嘘を隠すの結構うまい方だと思うから。


「違うよ。きっと流川さんが鋭いだけだ。人を見て、何を思っているか、考えているかを察するのに長けてる。そうに違いない」


「そんなことないけど?」


「そういうところは謙虚なんだね。胸張ってもいいと思うのに」


「そういうところは、ってどういうこと? 私は何に関しても謙虚ですが?」


「……」


「黙り込まないでよ~。ひどいなぁ、傍若無人な傲慢女だなんて」


「そこまでは思ってないよ」


「思ってる。顔に出てた」


「いやいや、本当にそこまでのことは思ってない。ただ、強引ではあるよなぁ、と思っただけで」


「変わんないし」


 言って、流川さんは頬を膨らませ、やがてクスッと笑った。


「でもね、自惚れとかじゃなくて、共の言う通りなところある」


「それはどの点において?」


「ちょっと観察力に優れてるところ。人のこと見て、何を思ってるのかとか、察するの得意」


「……やっぱり?」


「うん。何度も言うけど、自惚れじゃなくてね?」


「いいよ。自惚れでも。僕もこれ、皮肉じゃないけれど、自惚れられるのも才能だと思うし」


「ねー? またからかってる?」


「ううん。全然。心から褒める意味で言ってる。観察力に優れてるなら察してよ」


 流川さんはまたクスリと笑う。


 喋りながら思う。


 無意識に出てしまう僕の嫌味っぽい喋りを、こうして肯定するように笑って返してくれるのは彼女だけだろう。


 もっとも、それは何か裏があってのことかもしれないし、僕は彼女に騙されているのかもしれない。


 ただ、それでもいいと思えた。


 出会って少し。


 こうして会話を交わしてるけれど、ここまで自分をさらけ出して話せるのは彼女くらいな気がした。


 だからいい。


 一度捨てようとしてた人生だ。


 その先で流川さんに騙されてズタボロにされようと、僕はそれで構わない。


 構わないんだ。


「……そっか。了解。察したよ」


「うん」


「共はさ」


「うん」


「どこまでも真っ直ぐだね」


「うん?」


「真っ直ぐで、本当に真っ直ぐ。だから、この森の中も真っ直ぐ進んでて、湖の中に入りかけてたんだ」


「……」


 にこりと歯を見せて笑む流川さん。


 彼女は続けた。


「そういうところ、流れ星みたいになろうとしてる私にそっくり」


「……かな?」


「うん。流れ星は真っ直ぐで、光り輝いてて、だけど恥ずかしがり屋で人前に簡単に出られないの。私はそれで――」


「……」


「共もそれ。ね? 私たち、そっくりでしょ?」


 問いかけられても、ではあった。


 うん、と頷くのがいいんだろうか。


 でも、その言葉の意味を僕は真に理解していない。


 適当はダメだ。


 特に流川さんに対しては。


「……ごめん。俺はそのセリフの意味、理解できてない。どういうこと?」


「だよね。訳わかんないと思う。私の境遇とかがわかんないと」


「……うん」


 小さく頷くと、流川さんは柔らかい表情ながら、少しだけ眉を八の字にさせ、


「私、実は病気なの」


「……病気……?」


「うん。昼間、外に出られない病気」


「……え……」


 彼女の言葉を受け、僕の体温は一気に下がっていった。

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