第37話 本当の願い

 夕暮れの中。


波の音は砂浜で聴いていた時よりも静かだった。


 僕は流川さんの座っている車椅子を押しながら、海岸線沿いの道を一歩一歩進んで行く。


 弾むと思っていた会話はそこまでで、僕たちは二人してどこか疲れていた。


 途切れ途切れのやり取りをぽつりぽつりと続けている感じだ。


「……なんか今日、ごめんね」


「え?」


 思わず足を止めてしまいそうになる。


 唐突に流川さんが僕に謝罪してきたから。


「お父さんとお母さんがいるとは思ってなくて。私、もうあまり共と一緒に過ごせないのに」


「謝らないでよ、そんなの。僕と過ごしてくれるのはすごく嬉しいけど、一番優先するべきなのはお父さんとお母さんでしょ」


「優先すべき、とかそういうのは無い。皆大切だから」


「じゃあ、なおのこと二人に会えてよかったじゃん? 僕だけが君といたら、それはそれで不平等になる」


「不平等でいいの」


「……言ってること、矛盾してない?」


 僕は笑みを作り、頬を引きつらせてみせる。


 けれども、流川さんは前を向いたまま首を横に振った。


「矛盾してないよ。だって、お父さんとお母さんがいたら、二人は自分たちのことで頭がいっぱいになるの。それで、私は共と一緒にいられない」


「一緒にはいたよ?」


「うん。物理的には。でも、心は離れてる。君とは、一対一で話をしたい。そうでなきゃダメなの」


「それは、流川さんがそう思ってるだけ? それとも、僕の性質がそうで、君はそれを見抜いてくれてるってこと?」


「見抜いてるし、たぶん共も気付いてる。気付いておきながら、それを心の奥底に隠してる」


「……そうかな?」


「そう」


「思ってることは全部言うようにしてるよ? 特に流川さんにだけは」


「でも、まだ足りない」


「僕は君のことが好き。心の底からの本音をちゃんと言った」


「たぶん、まだあるよね? 言いたいこと」


「……」


「流れ星でも何でもいい。誰でもいいからこの願いを叶えて欲しい。そう思ってる」


 車椅子の取っ手を握る手に力が入る。


 流川さんの言ってることに間違いは無かった。


 僕は、一番叶えて欲しいことに今蓋をしている。


 でも、その願い事は、絶対に誰も叶えられないことで。


 きっと神様にしか叶えられない、とんでもない願い事だった。


 だから、言うだけ無駄だ。


 流れゆく星をもう一度流し直して欲しいなんて、そんなの無茶に決まってる。


 それは、彼女の願望でもないはず。


 どうしても言えない。


 言えるはずが無かった。これだけは。


「……簡単だよ。僕は独り占めしたいと思ってるだけだ。たった一人で君のことを」


「……」


「でも、そんなの君のお父さんとお母さんに許してもらえるとは思っていないし、君自身もそれを望んでなんかいないと思う」


「……」


「君は僕のことも想ってくれている。でも、お父さんとお母さんも当然大切にしている。それなのに、僕がそんな君から全部を奪おうとするなんておこがましいにも程があるし、逆に君を傷付けてしまう」


「……」


「そんなのは僕だって望んじゃいない。だからこれは、願い事のようで願い事じゃない、ちょっとよくわからない思いなんだ。無視してくれていいよ」


「……共」


「でも、まさかそれを指摘されるとは思ってもなかった。ほんと、さすがだね。流川さんは。やっぱり敵わないや」


「それ、嘘だよね?」


「……え?」


 僕はその場で進めていた足を止めてしまう。


 波の音が一際大きく聴こえた。


「私、共と過ごしてまだそこまで時間経ってないけど、君の性格とか大体知ってる。共、そんな身勝手なことあんまり考えないし、ましてや願望なんかにはしない。別のことだよね? もっと他の何か」


「……いや、僕は――」


「私、もう死んじゃうんだよ? 何でも言って? 言っとかなきゃ損だよ。言ったよね? 私の願いは、君の願いを叶えることだって。共のお願い、全部何もかも言って? お願いだから」


「っ……」


「言ってくれたら、私は全力で君のお願いを叶える。だって私は――」


「流れ星にも叶えられないことはあると思うんだ」


「……へ?」


 強く言ってしまう。


 流川さんは少し驚いたように疑問符を浮かべていた。


 今さら止まることなんてできない。


 僕は苦虫を噛み潰したような思いで続ける。


「流れ星は……神様じゃない。叶えられない願い事だってある」


「……そんなの別に――」


「だって、現に一瞬しか輝きを見せてくれない。長くその場に留まって、地上を照らすことはしてくれない。その場にずっといられるわけじゃない」


「それはそうだよ。流れるから流れ星っていうんだもん」


 僕は首を弱々しく横に振った。


 流川さんは不自由な体をどうにか動かし、こちらを見ようとしてくる。


 僕は下を向き、ただ苦しく言葉を紡いだ。


「僕には……やっぱりそんなのいらない」


「……え?」


「流れて欲しくない。その場にずっといて、弱い光でもいいから、何かを照らし続けていて欲しい」


「……共……」


「流川さんにも……流れ星になって欲しくないと思った……。今日のやり取りを見て」


 自分でもわかっていた。


 とんでもないわがままだと。


 でも、思いは止まらない。


「……ずっと……僕の傍にいて欲しい。流川さんに……ずっと……」


「っ……」


「それが……やっぱり……僕の心の底からのお願いだ……。どうしようもない……僕の……」


「………………」


 めちゃくちゃなことはわかってる。


 わかってるけれど、自分の気持ちには嘘をつけない。


 叶えようのないことは、ただの駄々だ。


 僕はいったい何を言ってるんだろうか。


 ひたすらにそう思うのだった。

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