第32話 どこへでも君を連れて行く
流川さんが歩けなくなった。
熱が引いて、本当にすぐだ。
ベッドの上で手をつき、そこから動こうとしても脚が動かない。
脚が動かないから、彼女は上体すらも起こせなかった。
僕は冷や汗を浮かべる。
なんて言葉をかけていいかわからず、けれども困惑しているから、勝手に流川さんの名前を口にしていた。
僕の呟きが空気に溶ける。
流川さんは立つことを諦め、額に手を当てながら、仰向けで空笑いしていた。
「……ごめんね、共。こういう風に私は死んでくみたい」
「……っ……」
「一緒にいたいなって思ってたけど……これじゃ共に大変な思いさせるだけになるかも。最低だね、私」
「……! い、いや、僕は……!」
「最後の最後まで、私は君と歩けるものだとばかり思ってたのになぁ……」
「……」
「ごめんねぇ、共」
流川さんが謝ることなんてない。
僕は彼女にそう告げて、自分がこれからどうしていくべきなのか、一気にわからなくなった。
今日、色々しようと思っていた。
外にも出て、自然を見て回って、家に帰ればゲームをして、映画を見て、語りたいことを語って。
そのすべてに、歩くことが前提としてあった。
ベッドから起き上がることさえ叶わなくなった流川さんに、僕はいったい何をしてあげられるだろう。
残っている少ない時間が、急速に僕の心を揺さぶり、急かしてきた。
早くしなきゃ、と。
「……流川さん。僕、朝ごはん作ってくるね」
「……うん」
「無理に起きようとしなくていいよ。僕は、君と一緒にいられるだけでいい」
「……」
言って、それはまるで自分の気持ちだけを優先させたセリフなんじゃないか、と不安になった。
揺らぐ気持ちのまま、僕はなるべく不自然にならないよう努めながら声を絞り出した。
「そ、それじゃ、朝ごはん作ってくるね。流川さんが美味しいと思えるもの」
「……ねえ、共?」
仰向けのまま、手で顔を覆っている彼女に名前を呼ばれる。
僕は作り笑いを浮かべた状態で振り返った。
「……? どうかした?」
「……あのね、私のスマホを一階から取ってきてくれない?」
「スマホ……?」
「うん。スマホ。ごめん、使い走らせるようなことして」
「いいよ。そんなの気にしないで」
僕は、首を横に振って部屋の扉を開ける。
何に使うのか。
今の流川さんのお願いは、一つ一つが特別な意味を持つような気がしたから、その理由を聞きたかったけれど、僕はそれをしないでおいた。
少しばかり暗い通路を歩き、階段を降りる。
リビングのテーブルに置いてあったスマホを手にし、今度は階段を上がって部屋の扉を開けた。
流川さんはさっきと同じ体勢。
ベッドに歩み寄り、スマホを持ってきたことを告げると、彼女は顔に当てていた手でそれを受け取ってくれた。
「ありがと、共」
「ううん。全然」
スマホで何をするのかは聞かない。
改めて、僕は一階に朝食を作りに行く旨を伝える。
「じゃあ、少しだけ待ってて」
「うん、わかった。でも共、聞かないんだね? このスマホで、私が何をしようとしてるか」
「え?」
「遠慮してるの、伝わる。いいよ、そういうの。私にそんなの無しだよ」
「……気付いてたんだね」
「あはは。それは気付くよ。気付くし、わかる。君の顔を見てれば」
「……」
「こういう境遇ですから。そういう能力に長けちゃうんだよね。……共ならわかってくれると思うけどさ」
「……」
「私ね、今からお父さん呼ぶ」
「……え」
「車椅子、たぶんあるからさ。それ、持ってきてもらうよ」
「車椅子……」
「今まで以上に周りの人へ迷惑かけてばかりになっちゃう。ほんと申し訳ない。申し訳ないんだけど……」
「……」
「もう少しだけ、図々しくさせて。お願い」
「流川さん……」
「こうして謝ることしかできないけど。ごめんねって謝ることしかできないんだけど」
「いつか私が星になった時、みんなをたくさん照らせるように頑張るから……ね?」
彼女は笑顔で僕を見つめてそう言う。
笑顔の瞳からは、一筋の涙が伝っていた。
僕はそれを見て、流川さんに背を向けてしまった。
堪えていたものが溢れそうになる。
流川さん以上に。
「……何でも言って?」
背を向けたままの僕がそう言うと、彼女は疑問符を浮かべた。
「どこか行きたいところがあったら、僕は君の行きたいところへ連れて行く。何でもする」
「何でも、かぁ」
「うん。何でも。だから、自由に色々言ってくれて構わない」
「じゃあ、未来とかは?」
クスッと笑いながら冗談を言う流川さん。
僕は、浮かべていた涙を思わず流してしまいそうになるほど吹き出してしまう。
声も少し震えてしまった。
それは無理だよ、と。
「わかった。考えておくね。でも、お父さんが来た時はまたどこかへ隠れておいて? ここへは一人でいることにしてるから」
「……うん。わかった」
「共。本当にありがとう」
何度目かわからない感謝の言葉を受け、僕は部屋から出た。
出て、嗚咽を漏らしながら首を横に振る。
ありがとうは僕が言うべき言葉だ。
そう、心の中で呟いて。
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