第33話 帰っていなかったお父さん
流川さんが電話をした翌日、彼女のお父さんは大急ぎでこの森の中の家へやって来た。
僕はあらかじめ、二階の部屋にある物置のクローゼット内に隠れ、お父さんが帰って行くのを待つ。
でも、それはなかなかすぐに、というわけにもいかなかった。
お父さんの声が二階にまで聞こえてくる。
どうして歩けなくなってまでこの家に住み続けるのか。
僕という人間と一緒にいて、先はもう長くない。だったら自分たちと一緒に住み、顔を合わせない、ということをしていればいいじゃないか。
もしかして、あの男の子とまたここで一緒に住んでいるのか。
どうしてそうなった。
自分の運命を捧げるようなことをどうしてしてしまうようになった。
お願いだから教えてくれ、星乃。
最後なんて信じたくないが、最後くらいはお父さんとお母さんの元にいてくれ、星乃。
断片的ではあるが、そんな声が聞こえてきた。
もっともでしかない。
流川さんは、僕なんかと違い、お父さんとお母さんに愛されている。
それはもう、たくさん、本当にたくさん。
だから、こうしてお父さんは流川さんが傍にいることを望んでいるし、僕が彼女の傍にいることを心の底から望んでいない。
仕方ない。
仕方ないことなんだ、それは。
それから、どれほどの時間が経っただろう。
僕はクローゼットの中で体育座りをし、外に出られる時を待ち続けていた。
色々なことを考えた。
考えるべきこと、そうではないこと。本当に色々と。
そうして、ちょうど窓の外からカラスの鳴く声が聞こえてきたタイミングで、持っていたスマホがバイブした。
僕は思わずびっくりしてしまい、それを床に落としてしまう。
暗い中だ。
どこに落としたかわからなくなって、手で辺りを触りながら確かめる。
あった。
すぐに画面を点灯させ、通知を見てみると、そこには流川さんの名前が表示されている。
『お父さん帰ったから、一階に降りて来ていいよ』
肩の荷が下りた気分になる。
僕はクローゼットから出て、伸びをした。
そして、すぐに部屋から出て、階段を下りる。
リビングに入ると、そこには車椅子に乗った流川さんがいた。
「お待たせ、共。どう? この車椅子。案外いいもんでしょ?」
言って、彼女はスイっとその場から少し移動して見せてくれる。
僕は気付けば声を漏らしていた。「おぉ」と。
「そういうの、本当にすぐ用意してくれるんだね、お父さん」
「うん。私のお願いとあれば、割となんでも聞いてくれる。優しいでしょ?」
「……だね。優しい」
「なんてね。嘘。冗談。今のは聞かなかったことにして。ほんとは私、こうやってお願い聞いてくれるだけで人のことを『優しい』なんて言いたくないんだ。ちょっとふざけて言ってみた。ごめん」
苦笑いをしながら言う流川さん。
僕はまた頷く。
「でも、優しいのは優しいと思うよ。そういうの、抜きにしてもさ」
「かな? よくわかんないけど」
「あと、優しいのは流川さんもだ。たぶん、お父さん以上に優しい」
「えぇ……? 私が?」
怪訝そうに眉をひそめ、からかってるのか、とばかりに笑む彼女。
僕は首を横に振った。からかってなんかいないよ、と。
「お父さんが聞き入れてくれるお願いしか言ってないんだと思う。無茶苦茶なこととか、ひどいこととか、お父さんのことを考えていないお願いを言わない。だから、君のお父さんは何もかも受け入れるんだ」
「へぇ〜? なんかわかったように言いますなぁ〜? 私、結構無茶なお願いしちゃうよ〜?」
「ううん。しないよ。一緒にいたからわかる。君は、いつだって人のことを考えてる」
「そうかなぁ?」
「そうだよ。そういうことにしておいて。少なくとも、僕はそう思ったから」
「それ、好きな人補正かかってない?」
小悪魔っぽくイジワルな笑顔を浮かべ、流川さんは僕に対してそう言ってくる。
苦笑い……いや、照れ笑いか。
少し恥ずかしくなった僕は、そうじゃない、と首を横に振った。
「けれど、たぶん僕、本当は君のお父さんともっと会話をしなきゃいけないんだと思う」
「死にに行くつもり?」
「いや、死ににはいかないよ。生きて、もっとちゃんと謝らなきゃいけない。君の寿命を減らした張本人だから」
「変わんないよ、別にさ。共と一緒にいなかったとしても、私はたぶん遅かれ早かれこうなってる」
「そんなことないよ。お父さんたちからすれば、僕は君を死に追いやった殺人者。憎くて憎くてたまらないはず」
「そうは思わないけどね。だったら、なおのこと会話なんてしようとしなくていいよ。君がダメージを受けるだけだもん」
「それでもいい。本当は会話すべきなんだ」
「変わってるね、やっぱり共は」
「君にだけは言われたくないよ。流川さんだって変わってる」
「そりゃそっか。なんせ、人に見られたら寿命が縮んじゃうもんね」
他人事みたいに笑って、僕の近くまで車椅子を移動させる流川さん。
彼女は僕のことを見上げ、僕の名前を改めて呼んできた。
「ねえ、共?」
「……?」
「次は私、たぶん目が見えなくなるか、耳が聞こえなくなるんだと思う」
「え……?」
唐突に衝撃的なことを言われる。
それはもちろん予想だ。
わかってる。
わかってるけれど、僕は面食らった。
「だからね、どっちかが機能停止するまでに、それを活かした体験がしたい」
「……目か……耳か……?」
「うん。そう。君の近くで、君と会話する。それが一番だと思う」
「え、い、いや、それは……」
「他に別のことをすべき、って思った?」
僕は頷く。
けれど、具体的に何をするべきか、案なんて一つも浮かんでいなかった。
一緒に日々を過ごせればいい。
それだけだったから。
「共。私はね、君と海を見たい」
「……海?」
「うん。海。この森を抜けて、しばらく歩いた先にある。そこで、ずっと海を眺めていたい」
「……」
「夕方から向かってもいいよ。砂浜から見る夜空は、きっと湖から見るものとは違ってると思うし」
「……」
「何よりも、君と見ることに意味があるから」
拒む理由なんてない。
きっと海まで行くのは大変だろう。
どれくらい時間がかかるかもわからない。
でも、それを彼女が望むなら、僕が拒否することなんて何もなかった。
「いいよ。行こう。なんなら、今からでもいい」
「え。今から?」
「うん。ちょうど夕方くらいだ。全然行ける。君の体調が良ければ、だけど」
流川さんは少し僕のことを見つめ、やがて頷いてくれた。
行こう、と。
「すぐに準備をするよ。水筒とか、適当に持って行く」
「リュックは私が持つね」
「うん。わかった」
そう言って、僕たちは海へ行くための準備をした。
玄関の扉を開けようとした時の時刻は16時半ほど。
帰ってくる時は真っ暗だ。
でも、それに関しては慣れてる。
「じゃ、行こう」
「うん。楽しみだね」
そうして、扉を開けて、先へ進もうとした時だった。
僕たちは、そこにいた人物を見て、瞬間的に驚いてしまう。
「お、お父さん……?」
流川さんが漏らした言葉通り、家の前には彼女のお父さんが立っていた。
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