第34話 4人で海へ

「やっぱりこういうことだったんだな」


 家の扉を開けた先。


 木々の見える景色に、いつもなら映らない人の姿。


 面も何もしていない流川さんのお父さんがそこにいた。


 心臓が強く跳ね、嫌な汗が出る。


 生唾を飲み込み、立ち尽くしていると、僕の後方でガチャガチャと音がする。


 すぐに振り返ると、流川さんが車椅子のまま玄関の段差を下りようとしていた。


 かいていた嫌な汗が一気に冷える。


 一瞬だ。


 生まれてきてこんなに素早い動きをしたことはないんじゃないか、と思うほどの早さで流川さんへ駆け寄る。


 けれど、それは彼女のお父さんもだった。


 僕と同じくらいの早さで流川さんの元へ駆け寄って来る。


 戸惑い、まごついてしまう僕。


 でも、うろたえている暇はなかった。


「君、そっちをちゃんと持っていてくれ」


 お父さんに言われ、僕は車椅子の片方を全力で持ち上げた。


 男二人で、流川さんを玄関のコンクリートに下ろす。


 流川さんのお父さんは、彼女の乗っている車椅子の取っ手を持ち、前へ動かしてあげる。


 外へ出た僕たちは、何とも言い難い気まずさに襲われた。


 まさかお父さんがいるとは。


 僕はもちろん、流川さんもそんな様子だ。


 何て言っていいのかわからない。


 わからないから黙り込んでいたんだけれど、その沈黙を流川さんのお父さんは切り裂いてくれる。


「怪しいとは思っていたんだ。孤独なんてお前が一番嫌いなものだったからね、星乃」


 いつもより背丈の低くなった流川さんが、傍で少し唇を噛む。


 視線は斜め左下だ。


 それを見てか、流川さんのお父さんは少し悲しそうに笑った。


「残念だよ。父さんと母さんは星乃に選ばれなかった。選ばれたのは空木君だ」


「……」


「海、行くんだろ? ダメか? 父さんも一緒じゃ」


「……お母さんは? いるんだよね? 本当は」


 黙り込んでいた流川さんが小さい声で問う。


 彼女のお父さんは少し間を置き、頷いてから応えた。


「車の中で待ってる」


「……やっぱり」


「星乃への負担を減らすため……もあるけど、何よりも母さんはお前のことを考えている。面も付けずに星乃の前に出て、娘の命を枯らせてしまうようなことをしたくないんだ」


「……ありがとうって言っておいて。お母さんは、いつでもお母さんらしい。優しい」


「うん。なんたって星乃のお母さんだからね」


 ――お前は優しい子だよ、星乃。


 安い慰めのようなお父さんの言葉だが、なぜか僕はそれにすごく重みを感じていた。


 親からの褒め言葉は、凄く温かい。


 懐かしいような懐かしくないような。


 とにかく、僕は流川さんが少し羨ましくなった。


 お父さんもお母さんも、本当に流川さんのことを考えている。


「それで、どうだい? 父さんと母さんも一緒に海へ行ってもいいかな?」


 車で行った方が楽だろう。


 そんなことを彼女のお父さんは言わない。


 僕と流川さんが二人で色々話そうとしている。それを尊重してくれているようだ。


「……じゃあ、行きの時だけなら」


「うん。わかった。なら、車を停めてるところまで一緒に行こう。必要なものはもう持ってるか?」


 流川さんが頷いて、僕も頷く。


 僕は、流川さんの車椅子を押すお父さんの少し後ろについて歩き、車のある場所まで向かった。






●〇●〇●〇●






 流川さんのお父さんが車を運転してくれる。


 車道を通ると、山道はすぐに抜けられ、やがてすぐに海岸線へ辿り着いた。


 適当な場所で車を停めてくれ、僕たちは外に出る。


 時間にすると、15分程度。


 きっと歩けばほどほどの距離になるだろうけど、車で走ればこんなものだった。


 だいたい5キロほど。


 歩けない距離でもない。


 帰り道、僕と流川さんは二人で一緒に帰るのが決まっていた。


「ちょうどいいね。この砂浜で海を眺めようか」


 夏が来るのにはまだ少し時間がかかる。


 ジメジメとした梅雨が先だけど、カラッとした初夏の風は、海を眺めるのに合っていた。


「周りには何も無いけど、飲み物でも買ってこようか?」


 流川さんのお母さんが言い、流川さんと、お父さんが頷く。


 僕は一人よそ者なため、頷けるはずもなく、ただ居心地悪く微妙な表情。


「空木君は何にする? 僕は無難にお茶にするけど」


「あ……。じゃ、じゃあ、自分もお茶で……」


 僕が言うと、流川さんのお母さんは小銭を持って自動販売機の方へ向かった。


 僕と流川さんとお父さん。


 三人が取り残される形になる。


「星乃。海、どうだ? 小学校低学年の時はよくこうして見に来てたよな」


「……そうだね」


「あれから10年ほど。時間が経つのは本当に早いな。そうこうしてるともう10年もあっという間な気がするよ」


「……うん」


 もしも、の世界を考えてしまった。


 こんなことは絶対に起こらないし、奇跡があったとしても、それが成立するかは怪しい。


 流川さんの寿命が僕と同じくらいだったら。


 きっと彼女は、光り輝いた青春を送って、素敵な恋人を作り、結婚するんだろう。


 僕からすれば眩しいくらいだ。


 たぶん僕は流川さんに近付けなくて、今みたいに仲良くはなれていなかったはず。


 複雑な気分だ。


「……ねえ、お父さん?」


「ん? どうした?」


「私、今日は夜までここにいる。夜、暗くなってから共と一緒に家へ戻る」


「……ああ。それはいいよ。でも――」


「夕方。夕方くらいまで、お父さんとお母さんとは一緒にいたい。もちろん、そこには共もいたまま。いいでしょ?」


 それはつまり、お父さんとお母さんの二人は、夕方になったら帰って欲しいと、そう言ってるってことだ。


 流川さんは補足するように続けた。


「もちろん、お父さんとお母さんが嫌だからとか、そういう意味じゃない。話したいこと、話さなきゃいけないこと、たくさんある」


 お父さんは頷く。


 流川さんは僕の方へ視線をやって、


「でも、それ以上に今は共へ言いたいことがあるの。順番。まずは共から」


「……じゃあ、今ではなかったのか」


「ううん。今じゃないなんてことはないよ。いつでも会いに来てくれていいし、私は二人の顔をなるべくたくさん見てたい。お面とか、そういうのは付けないで、ちゃんと私の顔を見て」


「……そうか」


「昔みたいに、ちゃんと」


 一際大きく波の音が響いた。


 流川さんのお母さんが全員分の飲み物を買ってきてくれる。


 僕たちはそれを受け取って飲んだ。


 何度も言うが、今は昼時。


 まだ時間はある。


 まだ。


「なら、たくさん話そう。ちゃんと目を見て。なあ、母さん?」


 お父さんの目配せを受け、お母さんはすぐに頷いた。


 私たちはそのために来たから、と。

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