第23話 本当の119
自分の中で意識が弾けた。
ベッドの上で飛び起き、傍で横になっている流川さんに顔を寄せる。
何でこんなことにも気付かなかったのか。
静かに、けれども確かに流川さんは苦しそうにしてる。
眉間に少しばかりのしわを作り、途切れ途切れにどうにか呼吸を繰り返している。
どうにかしないといけない。
でも、どうすればいいのかわからなかった。
知っているのは、彼女が何らかの病を患っているということだけ。
それ以外に詳しいことなんて何も教えてもらってない。
病状も、流川さんのご両親が住んでいる場所も、家族関係も、何かあった時に誰へ電話したらいいかも、本当に何もかも。
知っているのは、流れ星のようになりたがってることと、笑顔が輝くように眩しいってことくらいだった。
だから、僕は迷った。
迷って、とにかく家の中を駆けた。
ぼーっとして、その場に立ち尽くすことだけはしたくない。
何か、彼女を苦しみから救い出すための手立てを家の中から見つけないと。
やるべきは電話だ。
でも、この家があるのは深い森の中。
スマホを見てもわかる通り、完全に圏外。
誰かに電話を掛けるなら、ここを抜けてどこか少しでも電波の届くところまで行かなければならない。
ただ、それだけじゃダメだ。
電話をする相手の番号。
これも抑えておかないと。
流川さんには悪いけれど、僕は一階のリビングまで行き、情報の在処を空き巣犯のように探った。
いくつもの引き出しを開け、その中へ乱雑に手を伸ばし、あれでもない、これでもないと繰り返す。
無い。無い。無い。
流川さんのことを助けてくれそうな人の電話番号が無い。
もう、いっそのこと救急車を呼ぶか?
でも、こんな森の中にまで救急車は来るんだろうか?
いや、救急ヘリか?
だったら番号は119。
そこだ。
もうそこしかない。
そもそもこうやって探してる時間がもったいないんじゃないか。
自分の愚かさを呪いつつ、僕は引き出しから顔を上げる。
とにかく外へ出て、電波の届く場所まで行かないと。
そう思った矢先だ。
ふと、冷蔵庫の方へ視線がいく。
よく見れば、そこには小さいメモのようなものがマグネットと一緒にくっつけられていて、お父さん、お母さん、と書かれ、11ケタの番号が記されていた。
「これだ……!」
すぐさま僕はそのメモを手に取り、家の外へ出る。
まず第一にかけるのは119。
そして、その後にこの電話番号へ電話をする。
急がないと。
「はぁっ……! はぁっ……! はぁっ……!」
どこまで行けば圏外から解放されるのかわからない。
だから闇雲に走るしかなかった。
走りながらスマホを見る。
全力で駆けているのに、圏外の二文字はなかなか解消されない。
「――ぅぐっ!」
転びもした。
木々や葉々が散乱している森の中だ。
スマホを見ながらであれば、転ぶのも無理はない。
ズキズキと膝や手のひらに痛みが走るが、関係なかった。
僕はすぐに起き上がり、また駆ける。
頭の中にあるのは、ただひたすらに流川さんのこと。
昨日の夜まであんなに元気そうだったのに、本当にいきなりだ。
いったい何が悪かったんだろう。
僕がいたせいで生活が不規則になったのかな。
それとも、食べるものの栄養バランスが悪くなってた?
元々、僕と出会う前から体調が悪かったってことも考えられる。
何でだ。どうしてこうなった。
スマホの画面を見ながら、半ばパニックのような状態で息を荒らげる。
「何でこんなに電波が届かないんだよ……!」
苛立ちも覚えた。
でも、そんなことを言っている暇があれば、もっと前に進むべきだ。
悔し涙をこらえ、僕はさらに速く走る。
体力なんてものは一切考えない。
蓄積する疲労も感じない域にまで達し、汗を飛ばす。
涙も気付けば流れていた。
流川さんのことがひたすらに心配で。
僕はもう、彼女のいない土日なんて考えられなくなっていて。
真夜中の湖で出会ったあの瞬間から、僕は彼女に恋をしていた。
最初は命の恩人だと思っていた。
それでも、彼女と過ごす日々は暖かくて、優しくて。
自然と尖っていた感情が丸くなっていき、恩人から大切な人になり、好きな女の子になっていた。
僕は流川さんのことが好きだ。
好きだからこそ、彼女がまた笑っていられるようにしてあげたい。
苦しいところじゃなく、楽しいところへ一緒に行きたい。
森の中でも、外でも。
彼女がいつだって笑っていられる場所へ――
「――っ!」
ボロボロになった顔で見つめていたスマホの画面。
そこにかろうじて点灯している一本の縦線。
圏外じゃなくなった。
電波の通じる場所へなんとか来れたみたいだ。
僕は大急ぎで119に電話を繋げる。
何度か耳元でコールもされ、やがて救急受付の人が機械的な応答文句を電話口で喋る。
それに対して、戸惑いながらも僕は応えきった。
「救急です。森の中の別荘で、女の子が苦しそうに呼吸をしていて」
救急車で来てくれるのか、ヘリで来てくれるのかはわからない。
でも、救急への電話は終わったから。
ポケットに突っ込んでいたぐしゃぐしゃのメモ用紙を取り出す。
そこに書かれていた番号をスマホへ打ち込み、耳元へかざし直した。
「………………」
緊張はなかった。
疲れてるのと一緒で、そんなことを感じている余裕がなかったから。
『はい。もしもし』
電話口の向こうから聴こえたのは、女の人の声。
これは恐らく流川さんのお母さん。
クローゼットの中で見た、面を付けた女の人。
僕は間髪入れずに切り出した。
自分が何者なのか。
流川さんにとってどういう存在なのか。
けれど、返ってきた言葉は予想していないものだった。
震えるような、金切り声。
『人殺し』
そんなものだった。
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